中国の長い戦乱を制した秦晋随はなぜすぐ滅んだのか
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中国で長く続いた戦乱
春秋戦国時代を収めた秦
三国時代を収めた晋(東晋として続くが統一王朝ではなくなった)
五胡十六国南北朝時代を収めた随はなぜすぐ滅び
五代十国を制覇した宋は長続きしたのか 五胡十六国時代の華北を統一した北魏も長くは続かなかった
まあ後継といえる国が天下を制したが 唐も、太宗の死後はすぐに武氏の周になった
武氏が大政奉還して唐に戻ったが、またすぐ韋氏に乗っ取られそうになった
韋氏を鎮圧した玄宗の代では安史の乱が起きた。普通なら王朝滅亡だ 宋は甥から皇位を奪ったから、慢心する余裕がなかった。孫呉と明も同様 東晋はそれでも十六国のうち成漢・後秦・南燕を滅ぼしている
北の覇者・前秦も直接には滅ぼしてはいないが完膚なきままに叩き潰した ・テムジン ハーン即位 1206年
・後元がジュンガル帝国に滅ぼされる 1688年
※モンゴル国家成立から大元ウルス崩壊まで約500年
ただし、北元の途中でハーンがクビライの血統から代わっている 唐朝は「中国史の最盛期」とよく言われるけど、それは太宗のときだけなんじゃないかなあ?
後の歴史を見ると、むしろ「歴代最弱の統一王朝」、
「統一とは名ばかりの群雄割拠時代」に見えるけど 漢も唐も、結果だけを見れば長く続いたのが歴史の必然みたいに思えるが、別にそんなことはない
呉楚七国の乱や安史の乱は、普通に王朝が崩壊するレベル
王莽や武則天は、もしも続いてたら王朝交代のよくあるパターン >>2
北魏の約150年が長くなかったって?
人間の1世代以上だったら長いと言っていいんじゃないの? 漢だって、王莽に禅譲して一度は王朝が終わった
劉氏の光武帝が再統一して後漢を興したが、同一の王朝と言えるかは微妙だ
前漢と後漢はそれぞれ200年 唐だって安史の乱でほぼ帝国が崩壊しており、それまでで150年
たまたま安史の乱が最終的に鎮圧されて唐朝が復興したが、かつての力を取り戻すことはなかった 司馬炎は直前の魏ではなく
呉楚七国時代の事を教訓とすべきだったな
同じ皇族が力を持つとあぶない そうだ
歴史は結果だけを見て「必然」と思うべきではない
「偶然そうなった」というのは無視できない 漢は呉楚七国の乱をかろうじて鎮圧した
晋は七王の乱を乗り切れず崩壊した
それだけの違い 豊臣秀吉みたいに天下統一は上手くいったが、
2代目が甲斐性なくてすぐに滅んだ 中国ではないが、インドにもそういう前例がある
インドでは、デリースルタン諸王朝と呼ばれるデリーのイスラム帝国が何百年も続いたが、権力闘争が激しく、短期の王朝がコロコロ交代していた
バーブルがロディー朝を滅ぼしてムガール帝国を建設したが、2代目のフマーユーンのときにアッサリと崩壊した
そこまでは過去数百年、何度も繰り返されたパターンだった。だが、そこからが違った
なんと、フマーユーンはペルシャに亡命し、そこで復活してインドの皇帝にカムバックしたのだ。そして、3代目のアクバル大帝のとき、ムガール帝国は最盛期を迎えた
ムガール帝国は、それ以前のコロコロ代わってた短期王朝と何が違っていたのか?
それは、「フマーユーンが奇跡のカムバックを成し遂げたこと」だ。その一言に尽きる。
それがなかったら、バーブルの王朝も「デリースルタン諸王朝のひとつ」という位置づけに終わっただろう フマーユーンは、亡命先のペルシャから大勢の文化人や料理人を連れてきた
当時の世界の最先進国・ペルシャの影響は極めて大きく、インドは絵画も建築もまったく変わった。
インド料理も、このときから美味しくなった
これを見ると、フマーユーンの帰還は天の意思だったのかとも思われる
でも、それはあくまで結果論 北宋とこれに同じだ
五代の王朝がコロコロ代わった後の、北宋の長期政権
これだって、調教員の一代か二代で終わってたら、「五代」ではなく「六代」になったところだ
もっとも、中国では五とか七が好まれるので、なにかをくっつけて七代にしたかしれないが
結果がすべてとは言うものの、たまたまそうなっただけという面があるのは否定できない 後梁
後漢
後晋
北遼(西遼の前身で東遼かも)
後漢
後周
後宋(劉宋と揃えて趙宋かも) 間違えた二代は
×後漢
〇後唐(李氏・朱邪氏・王氏)
インドも何百年間異民族の王朝が続いたな >>34
滅んだのは秀吉-秀頼の系統で、木下家からの別系統で現代に繋がる家系があったはず 羽柴家定(北政所の兄)が大坂落城で
木下に改めた(姓は豊臣朝臣のまま)足守藩が明治に至り子爵
甥の木下延俊の日出藩も騒動を幾つか起こしつつ存続してやはり子爵 >>36
木下家って
秀吉となんの血の繋がりもないだろ 元祖源氏も
結局平家の血筋の北条執権家に鎌倉幕府が移ったことを、清盛公も草葉の陰でお喜びだったろう 当時の世界は職業的な多様性も
無かったから食い詰めた兵士たちが
断続的に戦争をすることで
稼いでいたのではないの?
定期的に戦争をすれば
兵士は儲けられるしね。
今の時代に戦争があまり無いのは
戦争イコール儲からないと言う
のがある。
と言う個人的な推測だけどどうか? これは全部、俺の推測だが、
当時の人々は戦争そのものが
経済活動になったのではないだろうか?
戦争が無くて平和だと
兵士や将軍は儲けられない。
だから定期的に戦争する必要があった。 現代の戦争が儲かるってのもほぼ嘘
関係ない多国間の戦争に絡めた軍需産業が儲かるというだけ
当事国は損ばかり 明王朝も実質2代目で潰れて
3代目以降は別王朝みたいなもん
王朝初期は反乱が必然的におこる 燕王だったから
燕と国名変えても良かったろうな
中国の国名を変えるタイミングというか
法則がよくわからんが 中国の新王朝は功臣を粛清をするかしないかが
大きなターニングポイントだと思う。
基本的に功臣を粛清したほうが新王朝は長く続く。
例 漢・唐・中共 秦
統一後陳勝呉広の農民反乱軍に
かつて合従軍が何度攻めても陥落できなかった函谷関をぶち抜かれる
文官が指揮する囚人兵が何とか農民反乱軍を打ち破るも
秦軍の弱体化も著しいことが見て取れる
隋
かつて燕が服属させていた高句麗になんと大敗する 後隋だけ無いんだな
後周・後秦・後漢・後晋
後唐・南宋・西遼・後金
北元と後元・南明と後明・満州国 >>42
一旦文明圏を押さえて支配が軌道に乗った蛮族は守りに入るだけで戦争をしたい訳ではないと思う まだ文明圏を押さえてない蛮族は好環境の土地を
200年に一回くらいある環境危機で征服したくなるのでは 煬帝は大運河を建設するために民に重労働を強いて恨まれ、隋は短命に終わったが
その隋を倒した唐は大運河の恩恵を受けて長期政権となった
このように
久々に天下統一した政権は久々の強力な全国政権なので今まで誰も出来なかったような大胆な改革をする
その急進的な政策によるひずみで短命に終わるがその恩恵は次代に引き継がれて次が長期政権となる
このパターン多そう 秦→漢で中央集権、官僚制を引き継ぎ、
隋→唐で大運河、仏教を引き継ぎ、
民国→人民共和国で工業、産業文明を引き継いだのか >>58
人民共和国が引き継いだのは、日米英独の遺産だど。
民国自身は遺産など残していない。
むしろ紫禁城が空っぽになるまで掠奪して戦費にし、のちに台湾に逃げ込み、故宮博物院に。 民国は未だ粘ってるし
今,建国110年くらいだろ確か 大日本帝国も地球儀と地図上では
南樺太でずっと粘っているな 呉 → 東晋 → 宋 → 斉 → 梁 → 陳
南は一貫して「六朝」と称しているが、北は魏晋と五胡十六国時代で断絶がある 漢禅譲→魏禅譲→晋禅譲→宋禅譲→斉禅譲→梁禅譲→陳
つまり陳こそ漢民族の正当王朝だったんだよ
北魏だとか隋とか異民族が化けたもの よそからやってきた馬の戦闘が得意な奴が現地の文官を従えて王朝開くとかインドやイランとかのようだな 中国・インド・中近東はずっと北からの侵略の歴史
日本は例外 秦が代替わりで速攻滅んだってのが意外、嬴政のカリスマ性や統治能力が突出していただけでは説明できん それは無理もないと思うがなあ
ヨーロッパがイギリス・フランス・ドイツ・イタリア・スペインその他に分かれ、
ナポレオンやヒトラーなど一時的に天下を取りそうな人が出てきても長続きしないのと同じ
秦・韓・魏・趙・斉・楚・燕は、何百年も外国だったのだ。言葉も漢文で筆談もしくは通訳が要るし、
「馬車の軌を統一して、隣の国にも馬車で行けるようになった」が始皇帝の業績とされるほど往来も難しい
始皇帝が一時的に統一したが、死後はあっという間に六国が復活した。漢による再統一がなければ、そのまま続いた可能性が高い ただし、その場合は匈奴が攻めてきて華北を征服されたかもしれない
北方の脅威に対抗するため、統一王朝が必要だった >>75
もうすぐ滅ぶ、つか国連の委任統治領化されて分割統治じゃね? >>77
国体は残ってるじゃん、最高権威の天皇。
将軍、摂政関白、太政大臣は天皇が任命する権力者。
その権力者が滅んでるだけ。 >>78
アッバース朝のカリフもオスマン帝国に廃止されるまでマムルーク朝に正統性を与える存在として存続してたけど
政権としては客観的に見て滅びているというべきだろう
古代律令日本と明治日本で全然制度が違うわけだし… 総理大臣も一応は天皇の認証官じゃん
まあ、最高裁長官や検事総長なども認証官だけど
警察庁長官や警視総監は認証官じゃないんだよね〜、検事長検事正未満の存在ってことになる 国体が続いてるというよりも
そういう神話を皆で信じるために
制度を明治に作り上げたという方が正しい 旧宮家は貞致親王の問題があり
近衛家はアメリカ生まれでヨーロッパ育ちで今は日本に居ない
一条家と鷹司家は吉良義央の子孫になってる
徳大寺家や住友家を皇別摂家と言えるかは微妙 現代日本はこれだな
現代の戦争とは支配集団が自国民に対して仕掛けるものであり、戦争の目的は領土の征服やその阻止ではなく、支配構造を保つことなのだ。
by ジョージ・オーウェル 現在の日本最大の権力集団はテレビを中心とするメディアだな。
政権でさえ簡単に転覆させちまうんだから。 >>85
ジミン党独裁だよ
報道の自由も民主主義選挙も無いしね >>85
>>87
そのように見せかけて事実上はアメリカの経済植民地。
ローマとカルタゴの関係より酷い、アメリカの背後にはグローバル資本家の集団が居る。 >>88
白人国家による植民地統治の基本が対象国のマイノリティ利用による間接統治。
英国の印度統治には教育水準の高いシク教徒(ターバン巻いてるインド人)を使った。
日本の場合は被差別部落系と在日半島人系だね。 明治維新は英米が薩長の下級武士にカネと武器を供与して行わせたクーデターだしね、南米などでCIAが散々やらかしたのと一緒
土佐脱藩浪士の坂本龍馬はその手先だね >>91
クーデターだけど悪いの?
鎌倉幕府討幕もクーデターだし
平氏政権討伐もクーデターだろう 小泉政権もある意味クーデターといえるよな
あれから日本の新自由主義は完全固定されて本格的日本衰退が始まった
揺り戻しの鳩山政権(小沢一郎、亀井静香、鈴木宗男、福島みずほ)はあっけなく党内クーデターで潰され、野田佳彦が安倍晋三に大政奉還、鈴木宗男が竹中平蔵に恭順、で今に至る >>91
最近、薩長テロリスト説が多いけど、
徳川幕府こそ豊臣家から政権を簒奪した連中だろ。
その上、秀頼に言い掛かりをつけて、豊臣家を滅ぼした。
泣き言はみっともない、 >>91 >>92
主要な政府組織、主要な法体系が継続された場合はクーデター
政府組織・法体系が解体され、新規に再組織されたのなら、革命 「唐朝がシナの最盛期」という見方は、まったくの誤り 唐朝は皇帝権力が弱くて、皇帝は地方勢力との闘争に追われて東奔西走していた
ドイツでいえば神聖ローマ帝国、日本でいえば室町幕府のような中世 >>94
小泉は痛みに耐え明日を良くするとか言ってたんだよな
痛みだけ与えセクシーを残して去ってったw 唐が本当の意味で「天下を統一した」と言えるのは、太宗の一代か、せいぜい高宗までの二代まで 確かに明と清は大国として安定していたし世襲権力の譲渡も上手く機能していた
秦は嬴政が崩御したらガタガタだったもんな、とはいえ2,200年前に一代限りとはいえ統一王朝を作ったのは凄い >>94
民主主義を否定する言説を吐く奴らが民主的手続きを取って為政者になれる、ってのはブラックジョークだよな
清和会政権や維新、石原慎太郎や小池百合子もそうだね
一方で民主主義手続きに真摯に取り組み建前を重んじてジェンダー平等やら外国人の人権やら同性婚を前面に出して日本国民から嫌われバカにされるリベラル左派の野党 確かに武氏の天下は続かなかったが、その後にも韋氏に天下を奪られかけた
たまたま英雄・李隆基が登場したから良かったものの、凡庸な人物ならやはり唐は終わってた 漢の滅亡後に、遊牧民が内地に大移動したため、そこで騎馬軍団の機動力が大幅に向上した
だから、漢朝と唐朝では、唐朝のほうが間違いなく軍事的に強い
さらに、宋代には火薬と羅針盤が発明された。火力が上がったのは言うまでもなく、方角が分かるようになったおかげで軍事行動の能率も上がった
南宋は地味に海洋国家だったから、海軍・水軍の能力は上がった そして、モンゴル帝国の騎馬軍団が登場
優秀な馬を湯水のように投入する軍事革命により、軍隊の機動力は爆上がり
そして、明代には火炮が登場
清朝は、西洋伝来の鉄砲隊の威力で、ついに遊牧民をねじ伏せ、天下泰平を実現した このように、時代が後になるにつれて中央の正規軍が強くなっていくので、地方の勢力が統制されるようになっていく
さかのぼって考えれば、いにしえの漢朝や唐朝が地方を統制するのがどれほど難しかったかは察しがつく 清朝って名君が多かったと思う、少なくても明朝よりも。 そらまあ満州族だからな、優秀でしょう
馬鹿な漢民族に国家運営やらせるとPRCみたいなことにw >>120
っていうか漢民族は長子相続だったけど清は満洲族の風習の名残で兄弟中最も優秀な者が相続したから
漢民族だろうが日本人だろうが何人だろうが長子相続なら清レベルの名君ラッシュはありえんと思う
その代わり後継者争いも起こりにくくて安定してるけど 名君ラッシュでいえばオスマンだろう
あれ異常だよ
10代続けて暗君いないとか凄すぎ 遊牧民の王朝にアリガチな傾向として、兄弟間の争いがすごい
ムガール帝国なんか、代替わりのたびに王子たちがそれぞれの私兵を動員して内戦になる
そこで勝ち残って帝位につく奴は、当然のことながら無能ではない オスマン帝国も、もとはといえば遊牧民
だから暗君が出ない 名君が続けば国が栄えて暗君が続けば国が衰える。
−−という当たり前の法則に縛られてるうちはまだまだ甘い。
何が云いたいかというと、
どんな馬鹿やボンクラが上に立っても揺るがないシステム=江戸幕府が最強。 神宗時代の明もべつに揺らいでなかったから明最強
三征がなかったら明は続いてた 江戸幕府の将軍はボンクラじゃないだろ
九代目の家重のときは「こんなボンクラを将軍にしていいのか」とモメたが、
息子の家治が英明なので「まあいいか。次に期待しよう」ということになった 東漢の献帝などは名君とは言えなくとも決して暗君ではない 現代日本の天皇だって、大量の事務と接待に忙殺されている
誰にでも務まる仕事ではない
男か女かなんてことより、能力で決めるべき そういえば実力主義で継がれた遊牧民王朝の王位/帝位も、王の息子たちを全部排して、息子たちのいとこやはとこに渡ったことってあるのかな
一応息子たちの間から一番ましなのを次の王/皇帝に選ぶというのは優先されてるのかな >>132
事務に忙殺されるのは下々に任せられない暗君な 日常事務に忙殺されて命を縮めたのは、
蜀漢の諸葛孔明(君主ではないけど)、
後周の世宗、清の雍正帝 清の雍正帝は全国から来る陳情の処理に追われ、「過労で倒れた唯一の皇帝」と言われる
スペイン全盛期のフェリペ2世も「書類王」と呼ばれた 遊牧民同士が争って勝ち残った隋は高句麗に大敗して終わったな >>135 >>136
後周世宗(柴栄)も過労皇帝の先例だな
脳溢血で倒れたけど、その根底には過労があったんじゃないの? 漢と明は天才呂雉と洪武帝が締め付けたから長く続いた
清は皇帝が有能揃いで続いた
始皇帝も呂雉ぐらい政敵だけを締め付ける技量があればね国家を維持するに当たって民衆を敵に回す理由は一つもないんだよ >>135
https://okjiten.jp/sp/kanji827.html#:~:text=%E2%80%BB%E3%80%8C%E7%8D%A8%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%8C%E7%8B%AC,%E3%82%8F%E3%82%8C%20%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E5%AD%97)%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
犭蜀 漢 だろwwww
あのさ…じぶん達の文字ちゃうの?
漢から獨立した地域 >>130
家重は言語障害を持つ身障者だが、ぼんくらだったかどうか
大河ドラマでの中村梅雀の名演を想い出す >>126
実力主義っぽいけど王族以外が王になるのはなぜか認めない 遊牧民は血統へのコダワリも強い
ジンギスカンの子孫でなければ、大ハーンにはなれない! 秦と晋は内乱や反乱で崩壊したが(晋は江南で続くが統一はなくなった)
漢はすぐに呉楚七国の乱を打ち破ったり
英布らの乱も打った
すぐに反乱をつぶした漢と晋秦は
なにがちがったのか >>72,73
漢
ローマ
イスラエル
ポーランド ベトナムも何度か中国の王朝に征服されて
そのたびに復興してる >>151
宋が滅亡し明が復活 明が滅亡し中華民国が復活した というようなものだな 八王の乱はなんで敵対者を滅ぼして第一人者となった人物がまた次々乱で死んだりしてるの?
反乱がおこるのは中国の王朝初期ではよくあることだけど
長引いたのはなんでだろう
各地で頻発した反乱に負けて滅亡した秦のほうがまだわかりやすい >>151,153
ロシア帝国が滅びてソ連が復活
ソ連が滅びてロシア連邦が復活 >>151
> ベトナムも何度か中国の王朝に征服されて
> そのたびに復興してる
ベトナムが中国の王朝に征服されたのは、明の永楽帝のときだけ
それ以外は負けたことがない 漢の時代に馬援に反乱を鎮圧されたり
呉に反乱おこしたりしてるだろ >>157
> 漢の時代
そこまで行くと、まだベトナムという国ができる前の話になる
それだと、逆に独立できてた試しはない 秦が滅んだのは、始皇帝の大土木工事で不満が高まっていたことに加えて遺勅が偽造され、
ボンクラが2代目になったから
晋が滅んだのは初代皇帝が気を抜いて女色にふけり、2代目はボンクラ、
そのボンクラの皇后がとんでもないブスの策略家だったから
隋が滅んだのは、2代目が大土木工事で民衆を苦しめたから
でも漢は秦の残した法整備と戸籍を生かして繁栄し
唐は隋が残した大運河で繁栄した でも朱熹は南宋の人間だし
北宋はむしろ王安石の学問が流行ってたけど
王朝成立後はどこも大体反乱や内乱がおこるが
それを即座に鎮圧できるかどうかにかかってる
内乱反乱をすぐに鎮圧できなかった晋や乱に負けた秦はほろんだ 「秦漢帝国」「隋唐帝国」という枠組で考えるほうが良いだろう 秦が倒れたのはどう考えても秦の正規軍を倒した項羽の武勇のおかげだろうね
劉邦も項羽を直接倒す事はできなかったから策を弄して周り使って間接的に倒したようなもん 史記では超高と李斯が始皇帝の遺言を偽造したとこになってるけど、
司馬遷はどうしてそれを知ってるんだろう。
超高が「始皇帝の遺言を偽造したぜ」なんて書き残すわけないよね? >>169
> 朱元璋が偉大過ぎた
朱元璋の南京帝国も、秦や隋と同じく2代目で滅んだ
永楽帝以後の北京帝国は、同じ朱氏というだけで実質的に別の国 朱元璋は漢人たけれども高麗人だったという説もある.
永楽帝は実父が蒙古人て実母が高麗人. 漢も、初期に呉楚七国の乱が起きている。たまたま乗り切ったからいいようなものの、あれで滅んでもおかしくなかった
唐も、2代目が死んだ後は武氏に王朝を乗っ取られた。たまたま戻ってきただけ
結果を見ると、なんだか長期王朝になるのが歴史の必然だったように思えるが、そんなことはなく偶然の産物 北宋にしたところで、それまで北朝の短期政権が5回も潰れている
試行回数6回目でやっと長期化した 五代の後唐は荘宗時代と明宗時代は別の王朝と考えるべき。
血も繋がってないし。 近代のイギリスとフランスもそうだ
17世紀、イギリスとフランスの国王は海の向こう側とこちら側で同時に国内の大反乱に直面した
結果的に、イギリス国王チャールズ1世は敗れて処刑された
一方、反乱軍を打倒したフランス国王ルイ14世は国内に敵なしの盤石な体制となり、絶対王政を築いた
これだって、結果を見れば歴史の必然に見えてくるのだが、はたしてどうだったか 明の燕王が起こした反乱も、結果を見れば強大な軍事力を持つ叔父が、気の毒な甥を殺して皇帝の座を奪い取ったとしか見えないのだが
だが、当時の燕王は地方勢力にすぎず、南京帝国の朝廷は強大な国力を誇っていた
中国の歴史で、地方の反乱などいつものことだが、たいてい最後は中央に鎮圧される。明の燕王のは、まさに奇跡の逆転勝利だった 戦の天才が偶にまぎれて居て歴史を変える
体制側に居れば体制維持になり
反体制側に居れば革命になる >>177
だが、建文帝の遺体は見つかっていない
・・・幸田露伴の「運命」は読むのがしんどい
短いにもかかわらず1/3ほどまでで読むのをやめた >>134
馬鹿にわかりやすく言うと、アイドルが握手会を数多くこなさなければならないとして、それを他人に任せられないから無能と言ってるようなものだな 豊臣も長くは続かなかったがのちの徳川は長く続いたみたいなもんだろう
秦が付き楚がこねし天下餅座りしままに食うは漢
宋も長く続いたとはいえ
北方民族に対して弱かったとよく言われる
個人的には防御では決定的な所では守り切っているからそうでもないとも思うが 東晋に比べて
南宋はほろんだという感じも粉々になったという感じもあまりしないのはなんでだろ
東晋にくらべて破滅的な王朝になったというか
ほろんだという感覚があまりない
どっちも北半分領土失って江南いきなのに 東晋は最初蜀も失ってる
西晋の崩壊は漢末期の戦乱による漢民族の減少と異民族の流入の問題点が一気に爆発した感じ 宋=北半分をとられたが存続
晋=粉々になったが江南で再建
こういう感じ >>184,187
宋はむしろ当時既に貧しい地域になってた北半分を切り捨てる結果となって却って繁栄した。 >>183
宋は専守防衛ならかなり強かったが悲しいかな機動力が無いので攻勢に出るとボロ負け >>185
> 東晋に比べて
> 南宋はほろんだという感じも粉々になったという感じもあまりしないのはなんでだろ
金朝に存在感が乏しいからなのでは? >>188
>既に貧しい地域になってた北半分を切り捨てる結果となって却って繁栄
それは東晋も同じ 戦乱が長くなるとそれが常態となる
平和が異様な状態になる
戦乱でも社会は動いてるので平和になったら平和用の社会に作り替えないといけない
それが結構難しいんだろうな 徳川幕府が安定したのも短い織豊政権があったからやろ 趙高が秦王朝を滅亡させた
始皇帝が粛清すべき時に恩赦してしまった
この先例のため「重臣粛清はしっかりせねば!」
となり犠牲者が多数出ることに・・・😨 漢は呉楚七国の乱を鎮圧した
晋は八王の乱で勝ったものが即座にはい落されるというサバイバルに陥った。これだけなら
他の王朝でも起こっていた武力闘争にすぎなかったが
晋の時代は人口比において異民族もかなり国内にいたから話がややこしくなった
司馬炎は軍縮も行っていたので実は失業者とかも結構多かったのではないか 秦の万里の長城建設や
隋の大運河建設は戦乱終結によって戦場での仕事がなくなった人の失業対策もあったのでは? 日本と違って、内地を統一しても異民族との戦いは続いてるからねえ 秦、晋、隋と違い内乱をそくざに沈めた漢や唐(明はまあ反乱者も皇帝の息子だし)
の違い
長年の戦乱を制覇した国は内乱を鎮める力は使い果たしてしまう 秦が崩壊したら、魏・斉・楚などの旧六国がたちまち復活した
隋が崩壊したときも、たちまち南朝が復活し、北朝が東西分裂するという、統一以前の構図に戻ってしまったよ 結局のところ、ソ連の政府はクレムリン
明治新政府も、皇居は江戸城
中共政府も、紫禁城の隣の中南海 ヨーロッパを見るとなんで中華の様な統一帝国が生まれなかったのか不思議だし、
逆に中華を見るとなんでヨーロッパの様に群雄割拠が維持が出来なかったのか不思議 最大の原因は地形でしょうな
ヨーロッパは、バラバラになるように出来ている
イギリスは島国、イタリアとスペインは半島で、
しかも大陸とは険しい山脈で区切られている
フランスからドイツ~ロシアまで陸続きだが、
ドイツから先は森林と無数の湖沼に覆われた
非常に統一しにくい地形 それに比べて、華北平原は極めて平坦で広大
古代には森林に覆われ、軍隊は歩兵中心で
機動力がイマイチだったが
森林破壊が進んで、モンゴル騎馬軍団が登場してからは
こんなに統一しやすい国はないくらいになった 長期的には、気候と地形でだいたい決まる
一時的には、超人的な英雄が出てきて大統一したり
逆に壊し屋が出てきて大分裂させたりするかもしれんが
長期的には、気候と地形からして自然な形に帰結していく 戦乱を長引かせず自分たちで終わらせた
劉邦、李淵李世民、朱元璋は偉大だった 秦は統一後次代で陳勝呉広の乱があった
晋は八王の乱があった
隋は高句麗大敗後内乱があってそれを鎮圧できなかった
周は殷残党の乱をつぶし
漢は呉楚七国の乱を急速につぶし
清は三班の乱をつぶした
長年続く王朝は乱は起きるがそれを早めにつぶすことができる 17世紀の西欧では、イギリスとフランスで国王に対する大反乱が起きた
イギリスでは、国王が処刑されて市民革命
フランスでは、国王が勝利して有力貴族が打倒された結果、史上空前の絶対王政
サッカーと同じで、たまたま勝つか負けるかで結果は天と地の違いになる >>209
王朝初期の内乱は定期イベントだからなw
日本でも王政復古のあと士族反乱があった
もし鎮圧失敗したらカオス状態だったろうな そういえば建武の新政も
すぐ北条の乱があったりして結局南北朝の乱になったな 魏晋の時代に移住した異民族の地位や差別被差別感情の有無はどうだったのか気になる 晋→宋→斉は宗族の力が強い
だから一族同士の乱でほろんでしまう >>215
講談社から出てる中国の歴史5巻
『中華の崩壊と拡大――魏晋南北朝』
がそんなん扱ってた気がする ネイティブ・アメリカンと同じで
ネイティブ中華民も細々と生き延びていた 北魏から始まった、新・中国人の歴史
彼らは、先住民が遺した古代文明から漢文・漢詩を学んで消化吸収し、自分たちの文化としていった 北魏と大和朝廷
秦漢帝国を築いた黄河文明が滅びて数百年の後
東アジア全土を巻き込む民族大移動を経て、中国と日本という新たな文明の形が、ほぼ同じ時期に固まった >>224
黄河流域の中原といわれる地域の先住民は華夏族だろ。 秦の場合、胡亥じゃなくて始皇帝の指定通りに扶蘇が二世皇帝になっていたら領土は減ったとしても実際よりは長く続きそう。 >>226
群れなす愚臣どもが総入替になるわけでもなし、
馬鹿の代わりに牛熊とか云う成語が残るだけで末路は同じなんじゃねえか。
ちなみに馬鹿という熟語は趙高と胡亥の故事由縁なの? >>228
浅学にして他に由来を知らない。
「莫迦」と書くなら佛道の言葉。
どうやら「莫迦」のほうが原語で
趙高の故事にちなむ「馬鹿」は「莫迦」をネタにした言葉遊びのようやな 今の中華が五胡十六国みたいな平和な社会になる事を切に願う 何百年もダラダラと続いた分裂時代
ノンビリとした時代だった 逆に秦・漢・隋・唐・明・清とか統一している時期が異質なんだと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています