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「スラブ」について知りたい
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0001世界@名無史さん
垢版 |
2022/04/27(水) 06:04:26.460
スラブ人の語源が「奴隷」というのは俗説だと言われました。
スラブ人について知っていると思っていた唯一の事が否定されて
スラブ人について何もわからなくなりました。だから
0033世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/21(土) 22:18:53.470
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佐藤賢一「王の綽名」 「聖大公」キーウ大公
www.nikkei.com/article/DGXZQOUD255OU0V20C22A4000000/
スラヴ世界のルーツに

 王というが、大ブリデン島やスカンディナビア半島のように、小国の主でも王
と呼んだ地域があるかと思えば、広大な領土を治めているのに、その君主は公や
大公でしかなかった地域もある。東スラヴ人の国家、キーウ公国、後に大公国も
そのひとつだ。そのリューリク朝だが、始祖となったリューリクはノルマン人
で、つまりはヴァイキングだった。最初は北方、バルト海から内陸に入るノブゴロドに拠点を構えたが、それを9世紀末、オレフ公のときに「ドニエプル河沿いを南に進んだキーウに移した。
 このキーウ公国、さらに大公国の最盛期をなしたのが、ウォロディーミル1世 (在位978~1015年)である。公でない大公と呼ばれるようになったのも、ウォロディーミルの時代かららしい。この名君は「大(ウェリーキ)」をつけられ、 「大ウォロディーミル」と呼ばれるが 「聖(スウィヤティ)」をつけられ、 「聖ウォロディーミル」とされることも多い。というのは、国を見事に治めただけでもなければ、度重なる戦争で四方に領土を広げ、キーウを当時のヨーロッパで最大の版図を誇る国にしただけでもない。
 988年、大公は東ローマ皇帝(ビザンツ皇帝)バシレイオス2世に援軍を頼まれた。キーウの南、黒海の向こうにあって、さらに地中海を臨む大国の主だが、この皇帝は有力な将軍の反乱に苦しんでいたのだ。ウォロディーミルは6千の軍隊を送ると約束したが、そのかわり皇帝の妺アンナと結婚したいと申し入れた。が、野蛮な異教徒に皇女を嫁がせるわけにはいないと渋られてしまう。
0034世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/21(土) 22:19:51.700
 さすが由緒を誇るローマ皇帝で、ドイツ皇帝だろうが、フランス王だろうが、ゲルマン人など全て格下だからと、それまでも一切の通婚を拒絶していた。スラヴ人でも同じという理屈だったが、あきらめないウォロディーミルは、それならキリスト教徒になると告げた。クリミア半島にある皇帝の拠点、ケルソネソスで洗礼を受け、そのまま皇女アンナと結婚、意気揚々キーウに戻ると、それまで信仰してきた土着の神々の像やら神殿やらを全て破壊、以後はキリスト教を国教にするとも宣言したのだ。
 このキリスト教だが、ウォロディーミルが受け入れたのは、ギリシャ正教のほうである。ヨーロッパの古代文明はギリシャ・ローマ文明といわれるが、政治的には全てローマ帝国が支配した。が、この帝国が4世紀には東西に分かれてしまう。西口ーマ帝国はラテン語の世界で、キリスト教はローマ・カトリック、これらが西ヨーロッパのゲルマン世界に伝わった。東ローマ帝国はギリシャ語の世界で、キリスト教はギリシャ正教、これが東ヨーロッパのスラヴ世界に伝わった。文明が南から北に、地中海岸から内陸に継承されたのは同じだが、それは東西それぞれだったのだ。
0035世界@名無史さん
垢版 |
2022/05/21(土) 22:20:21.770
 さておき、キリスト教を受け入れたウォロディーミル1世のキーウ大公国は、西ヨーロッパにおけるフランク王国に相当する。5世紀と10世紀で時代は大きく違うが、歴史の流れに占める位置としては、始祖クロヴィスがカトリックの洗礼を受けたメロヴィング朝と、全く同じなのである。これがゲルマン世界の本流となり、スラヴ世界の本流はキーウ大公国である。この国こそ現在のウクライナの原型であり、モスクワなと亜流にすぎない、ロシアなにするものぞといった気概も、俄かに頷けるものとなる。聖大公ウォロディーミルこそ自負の裏付けと、その銅像は今もキーウに聳え立つ。13紀に正式な聖人に認定されたので、大公を祀る聖ウォロディーミル聖堂も建てられ、ウクライナ正教のキーウ総主教座になった。
 ところが、ロシアの側にいわせると、
ウォロディーミル1世の時代には、モスクワそのものがなかっだ。モスクワ公家の成立が、ようやく13世紀のことで、大公になったのが14世紀、これがロシア皇帝を称するのが15世紀なのである。11世紀の話に本流も亜流もない、聖大公は後に発展する全ての東スラヴ人、ギリシャ正教を受け入れた全ての民のルーツなのだということで、その像はモスクワにも聳えている。名前も人気だが、ただロシア語では「ウラジーミル」になる。ロシア大統領プーチンの名前がウラジーミルな通りだ。これに断固立ち向かうウクライナ大統領ゼレンスキーの名もウォロディーミルなのだ。両者の戦いに聖大公ウォロディーミルは何を思うか。(作家)
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