ロンメルは名将か
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さまざまな逸話に彩られる華やかな戦歴
その一方で補給を軽視して敗れたという批判も
彼は名将だったのか
というか、そもそも名将とはなんなのか 戦術では優秀だったが戦略では稚拙だった
というのが近年の海外の評価 本気でよく分からんのだが・・・・
仮にロンメルがアフリカでイギリスに勝ったとして
第二次世界大戦の行方にはどういう違いが生まれるのだろう。 スエズを落とせたとして、ドイツの降伏が少し遅れたかも程度じゃないの アフリカ軍団を率いたのがマンシュタイン、グーデリアン、モーデル他のドイツ軍将星たちでもロンメルの出した結果以上でも以下でもないのではなかろうか >>8
ドイツの降伏が何か月か遅れると、原爆は日本でなくドイツに
使われたかもしれない。
負けるなロンメル、がんばれロンメル。 ドイツにも使うだろうが日本にも使うだろうな
ドイツ降伏が遅れたらソ連の対日参戦も遅れる
ソ連参戦がなければ日本は降伏しないから当然日本にも投下する
数はまあまああったし 「補給戦」読みづらくて途中でやめちまった
戦線広げ過ぎて補給できなくなったんだっけ? >>7
アフリカでイギリスに勝とうとしたのがロンメルの間違い
できる限り少数の兵力と物資で、トリポリタニアを保持するように努力すべきだった。
勝とうとしたから、東部戦線に廻すべき物資や兵力を無駄遣いした >>13
できる限り少数の兵力と物資で維持すべきだったのは東部戦線の方だろう。
ロシアの縦深戦略にハマった軍団に多少の戦力を追加したところで
とうてい数で太刀打ちできず、結局は包囲されてすべてを失う。
そうではなく十分な航空支援を得られるところまで下がって防衛に徹すれば
ソ連が戦車を何万台繰り出そうが片端から撃破できた。
戦力と物資はロンメル軍団の元に送り、石油資源の獲得は北アフリカから
中東を目指すのが正しかった。 ヒトラー総統がそんな戦術許すようならマンシュタインも苦労してないわ そもそもヒトラーがいなきゃポーランド侵攻も西方電撃戦もバルバロッサも起きてない >>11
それは分からん
降伏してなければそうなるがドイツより先に降伏するかもだし
そうでなくてもドイツに原爆落とされた時点で絶望して降伏するかもしれん
あんなの落とされたらかなわん 原爆で降伏に踏み切れるかどうか微妙なところ
実際のところ広島への原爆投下もこれで降伏やむなし、というインパクトまでは戦争指導部に与えられなかった
まる3日閣議も戦争指導会議も開かず放置した上長崎の原爆とソ連参戦でようやくポツダム宣言受諾に踏み切ったのだし
当時の軍部の理解はデカい爆弾程度
今日日本人が非常に恐れる放射線障害の後遺症についてはほとんどわかっていなかったというのもあるだろう 広島で原爆を目の当たりにした
畑俊六大将(第二総軍司令官)が
御前会議で報告したことが
昭和天皇に降伏を決断させた 御前会議ではなく元帥会議だろう
しかし畑が言ったのは第二総軍担当の九州方面の防衛に自信が持てず、という話で原爆の威力がどうこう言ったということが畑の日記や回想、また天皇側の記録にも見えない
あれほどの体験を触れないというのも奇異な話だが、被曝した割に本人はピンピンしてたからあえて杉山、永野同席の元帥会議では持ち出さなかったのかもしれない 正直北アフリカ戦線の勝敗なんて大局には影響なかったろ >>19
御前会議で陸相とか軍令部長が「原爆なんかどうせ一発だけだから恐れるに足らん。戦争継続や!」と息巻いてる最中に長崎に原爆が落ちたから
降伏せざるを得なくなった。
長崎原爆が決定打 大量のトラックを持っていかれた東部戦線の全軍は泣いた >>12
港から前線まで片道1500キロも走る補給距離なんて
アメリカ軍でもムリという結論 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています