質問をすると誰かが物凄い勢いで答えてくれるスレ7
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テンプレは他の人が。
スレ立て+テンプレまで貼るやるから
面倒でスレが消えまくってる5ch ベトナムで捕虜となった米軍将兵が解放後、
情報を漏らした漏らさないで自軍から取り調べ
を受けた事例は皆無? ベトナム戦争どころか戦争でもなく、板門店で拐われたジェンキン寿司が、逃亡・情報漏洩で不名誉除隊(懲戒免職)になってたじゃん。
アメリカの扱いが酷いんで日本に亡命して日本人の配偶者資格で永住・就労許可出て日本に住んでたろ。 シーア派のアリーの子孫に受け継がれるという根拠は何処にあるの?
コーランの文言?
「ペテロ後を頼むみたいな」ムハンマドの発言? >>138
親が子を育てるらだよ。
イスラム教は、誰から聞いた、ということがとても重視されるんだよ。
コーランは、マホメットの死後に編纂されてたけれども、項目ごとに伝え聞いた人・経路が記されている。
マホメットが直で信仰を勧めた人を除いて、コーランを読んで戒律に従った生活をしただけではイスラム教徒になることはできず、
少なくとも2人の既にイスラム教徒である証人の前で信仰の宣誓が必要。
マホメットのイトコで直に信仰を勧めたアリーと、マホメットの娘のファーティマは。マホメット直伝の教えを聴いていた正統中の正統
で、その正統を直伝されているから、サイイードはシャリーフは最も純粋な正統だ、というような論法。 国交断絶、戦争上等。こっちから戦争状態申し渡してやる。
ってときにも、交渉役を殺しちゃダメなの?
正使の首を刎ねて副使に持って帰らせるとか。 >>140
極論、世の中は力あるもの正義で勝てば官軍の世界だから、何々しちゃダメってものは無いな。
というか、ダメとダメじゃないの基準ってそもそもなんだ?
使者や交渉役を殺すことは普通しないし、そりゃ文明国(善良とは言ってない)であればあるほどその可能性も低くなるけど >>140
鎌倉幕府が元に対してやった。
近代国家はやらない。 けど、よく、「48時間以内退去、それ以降は外交特権を剥奪」とかいう宣言して追い返すよね。
48時間後にまだ居たら殺す、ってことでしょう? 元が最後通牒を申し渡す、ってときにスパイを殺したことでしょうか?
スパイ防止法違反で死罪相当でしょう >>144
外交特権が無くなるってだけで、殺すとは決まってるわけじゃない。
どうするかはその国次第だから確実なことはいえるわけがないが、国内法適用で不法滞在者という犯罪者になるだろうから大抵は拘束だろうな 諜報やってない外交官とか居ないから、戦争状態で外交官が居座っていたら、スパイ容疑で軍隊預かりでしょう? 1945年の日本大使館にソ連がやったように
宣戦布告文を手渡す直前に電話線を物理的に切断し
一切の文物及び人の出入りを認めず電気の供給も止めれば
国から出ていくのでは? いや、国外脱出手段がなくなるから悲惨な避難民の1団になりますよ 特殊な状況しか念頭になく、愚かゆえにそのことに自覚もなく
あたかもそれが普遍的な事柄なのだと断定する
残念なオツムの持ち主の演説会場はここでつか? ってか、ちゃんと宣戦布告のあった戦争とかあるんかの? そういえば、とにかく宣戦布告しないで戦争始める国が中欧にあったなあ
遅れたとじゃなくて基本的に最後まで宣戦布告する気すらゼロの国が
どこのどいちゅだっけ? ドイツはちゃんと対米宣戦布告をしてから攻撃をはじめたな
それまでの米軍艦は宣戦布告なんかしていないのに一方的に独艦を攻撃していたが
ヒトラーは絶対に反撃するなと厳命していたし
第二次世界大戦で宣戦布告を行わずに軍事行動をはじめる代表例は英かな
中東でも諾威でも予防占領という魔法の言葉が大活躍〜 「方言は集団のメンバー・の身分証となるもので、話す方言からつき合いのあるほかの集団のメンバーを確認することができ」、「大人になって方言を身につけるのは難しく、ふつうは幼いころに覚えるものだ」 >>155
ニューギニア人の言う「ワン・トク」かよ。 ポエニ戦争で質問です
1. ハンニバルはアルプス越えしてローマへ行かなかったのは
栗田健男の「謎の反転」と同じで目的が分かってなかったからですか?
2. イタリア半島で十何年も屯して、何万人の兵站はどうしたんですか?
現地で掠奪したら同盟市を敵に廻すだけですよね、つかそれで保つとも思えません
3. カンナエの戦いの何が凄かったのか不明です。鶴翼の陣でしょう?
4. ザマの戦い後のカルタゴはどうしたら生き残れたと思いますか?
戦間ドイツのラパロ条約みたいに隠れて再軍備するしかないとか、ローマはカルタゴ滅ぼすことに決めていたみたいですが 中国でも欧州でも貧富の差が大きくなると革命や反乱など
土地や所得の再分配をするような動きがある気がするけど
このまま格差が過ぎると今後日本を含め暴力的な動きが起きると思いますか? >>157
1 ローマという防御の固いところを避けた。
2 そもそもあの時代の補給はどこの国でも基本現地調達。
一応カルタゴやイベリアからの補給も少しはあった。
3 銃も無い時代に味方の損害は抑えつつ敵を文字通りの意味で全滅されたこと。
捕虜になったのは陣地を守ってた部隊で戦闘に参加したのはまっさきにけちらされてた騎兵が数十人逃げられただけ。
4はザマまで話が進んだらどうにもならんだろうなあ。
持久戦していたら苦しいのはハンニバル側なのはみんな理解してるだろうし。 総力戦だと分かってなかったのですかね? 戦果は凄かったけど、戦術の必勝法(お手本)にはならない宣伝上手
戦闘には強かったけど、戦争をしなかった源義経、山本五十六と同じ愚将だわ、個人の復讐心が動機だと亡国になる見本 過去、東洋と西洋の覇権が800年ごとに入れ替わっているという800年周期説のとおりに
次の800年間の世界覇権国は東洋(中国、ロシア、北朝鮮)ということになるのでしょうか? そもそも世界の覇権なんて概念自体800年前には存在してないだろ。
喜望峰発見が500年くらい前だったよな。 >>161
その800年周期説の覇権国、前の800年の間にはまるで注目されてないところばかりではありませんか?
オゴダイ皇帝の時代にロシアを占領し今でいうとポーランドやスロバキアのあたりまで攻め込んできたモンゴルを
その100年前50年前に注目していた国・勢力はありましたか?
スペインとポルトガルで世界を二分すると豪語するトルデシリャス条約、その年の年初にはまだイベリアにイスラム領があった。
イギリスは16世紀末から海外植民地の進出を始めるが、本国は未だ国家統一もままならん状態。 1939年時点でのアジアの独立国って
日本、タイ王国以外にイラン、イラク、
サウジアラビア、トルコが該当しますよね?
だったら当時のアジアって
結構、独立国があったと言うことですよね? 今のアジアの国ぜんぶ数えてみろ まあアフリカよりはましだったという程度
日本が自称だけど「アジアの光」とか言ってたぐらいだ 『銀英伝』は歴史上の有名人の名前が多く採用されている
ところでキルヒアイスというキャラがいるけど
同名の歴史上の有名人物っているの? 米国史について質問です。
米国はざくっと言うとインディアンの地を侵略して、更にメキシコやスペインと戦争して領土拡張し、ハワイ王国を強制合併して今の形になりました。
その後、拡張主義を辞めています。
実際、第一次世界大戦でも、第二次世界大戦でも領土割譲を要求せず、維持でも離さないロシアと違って、沖縄は返還されました。
第二次世界大戦までの世界は戦勝国は敗戦国の領土を奪うのは当然のノリだったのにも関わらず、アメリカは戦争しまくっていながらもいち早く領土拡張主義を辞めていますし、植民地のフィリピンも手放しました。
この戦争→領土獲得のサイクルで大国に成長したアメリカが世界ではまだ領土拡張主義が蔓延る中、どういう理由でアメリカだけは領土拡張主義を捨てる動きに変化したのでしょうか? イスラム教における民族的なヒエラルキーはあるんでしょうか?
例えば世界最大のイスラム国家はインドネシアですがアラブ人が
インドネシア人が集まるモスクに行くとは思えないのですが
そういう対立というか区別的なものはあったりするのでしょうか? 聖地のあるサウジが断然格上だそうだ 聖地巡礼した人も尊敬されるから
サウジに近いほど巡礼経験者も多くて格上っぽいかも
シーア派とかスンニ派とか宗派対立のほうがきつそうだが >>168
我が国から南洋群島を強奪されていますよ!
それと南朝鮮に傀儡反日国家を作り、竹島を渡しました。共産国家には千島・南樺太・満洲をプレゼントしました >>169
1、サイイド シォーリーフ
マホメットの子孫(マホメットのイトコの第四代正統カリフアリーと、マホメットの娘ファーティマとの子孫)
回教圏の名門中の名門
日本でいう皇室、モンゴル・中央アジアでいうジンギス汗裔、ロシアでいうリューリク裔、ヨーロッパでいうカール大帝裔のようなもの
2、ハーシム家
マホメット、アリー、アブーバクル等を出した家
モンゴルでいうボルジギン氏族のようなもの
3、クライシュ族
ハーシム家の属するヒジャズのアラビア人の部族
クライシュ族がマホメットのいた時分に話していたとされる発音がアラビア語の標準語
ヨーロッパでいうサリ族・ユリウス氏族のようなもの
4、そのほかアラビア人
5、そのほか回教徒
6、そのほか一神教の信徒
7、多神教・アニミズム等雑多な宗教の信徒
8、無神論者
シーア派は、宗教的最高指導者は1に限るという。
スンニ派は、小宗派・地域・時代によってまちまち、1〜5で信心に篤く人徳のある人が宗教指導者になるという。
概ね、1〜5がほんまもの真人間、6が準真人間、7は人間としてギリギリ合格のクソ土人、8は神をも恐れるバカ者で野獣同然
コーランが素で理解できるアラビア人が優越するという考えもないわけではない。 >>170
そう主張しているけれど、サウド家、サウド家の属するアニザー部族は、ネジドの砂漠地帯が本貫の、田舎土豪、田舎部族だぞ。
三大聖都のうち二つを庇護する、メッカ・メディナの守護者にふさわしくないと言われないために、ガチガチの原理主義の
スンナ派のなかのワッハーブ派で戒律がんじがめにやってる。
たとえば、飲酒。
「葡萄酒を飲んだ後のときような状態で礼拝所に行くことは好ましくない」というコーランの文に解釈は宗派でマチマチ。
葡萄酒でなければ飲んでも良い、酒の残っている状態でなければ礼拝所へ行ってもいい、一日の最後の礼拝(日没直前)の後なら飲酒しても良い、
神様は酒飲みが大嫌いなんだから一切の酒は禁止……等々。
酒精が国の中に無ければ、酒の戒律違反について解釈の違いでモメることもなかろうと、サウジの国ではアルコールの持込も製造・所持も禁止。 主に復讐心を動機に戦争していた人物って
誰が居ますか?
ハンニバルとヒトラー位でしょうか? >>174
山中鹿介。
まあ「当人の認識」ではこれは復讐だと思いながら騒ぎを起こすやつなんていっぱいいるだろ。 >>174
名目が弔い合戦の、天王山の、豊臣秀吉とかは? 上方と、羽越・松前を往来する廻船、冬場は敦賀や舞鶴でお休みして船員は正月休みで大坂ら辺へ帰郷、
春までにまた徒歩で船を止めてある敦賀や舞鶴に戻ってきたというけれど、その間、船荷は積みっぱなし? >>181
それは17世紀以前のことだと思われる。
17世紀後半までの松前交易は、敦賀で荷揚げして陸路で山越えし、琵琶湖北岸で内航船に乗せ換えて京大坂の消費地へと送った。これらの運送はすべて地場の運送業者が行ったので、水夫たちは次の春までは船の整備くらいしかすることがない。京大坂に家郷があるものは里帰りもしただろう
しかしこれでは陸路の山越えのコストが高くつくんで、若狭を素通りして下関を回って大坂に直航する西廻り航路が開発された。 >>182
いや、その西回り航路の乗組員が、船籍地の大坂の周辺の出身者が多くて、
正月休みを徒歩で帰省、春にまた船に乗って山陰・関門・瀬戸内と通って
北領の産品を大坂で荷下ろしして上方の産品を積んで行く。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています