0001名無しさん@お腹いっぱい。2020/06/06(土) 08:19:03.27ID:nNITwGn00
戦後「戦争は嫌だった」「反対してた」みたいな意見よく見るけど、国民が戦争反対してんならなんで全国規模で反戦暴動起きなかったの?
軍の兵隊の数より国民の数の方が多いんだから本気になって暴動起こせば戦争回避できたんじゃねえの?
実は戦争を望んでいたのは国民の方じゃないの?
0588名無しさん@お腹いっぱい。2022/06/15(水) 15:45:54.43ID:hzqvDWLP0
とりあえず戦犯旗は廃止しろよ 韓国人ほ許さないぞ
いまだ70年前の出来事に縛られている亡者どもよ
大谷すごい日本人すごい俺すごいとたいしてかわんねーな
0593名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/02(土) 18:59:01.65ID:EzO+rxUf0
0594名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/22(金) 13:51:19.88ID:fzITHCiX0
日本人は永遠に反省と謝罪をしていかなければならない。そして賠償も一生涯続けていかなければならない。
0596名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/23(土) 07:41:39.79ID:GUs2E5mY0
日本人は戦犯民族
どの国だって国民に責任は無い
特に民主国家においては
ご聖断で始まってご聖断で終わってるのにな・・・さすがにそれはw
まさか都会は焼かれて軍隊は壊滅し、乞食になるとは思わなかっただろうな
0602名無しさん@お腹いっぱい。2022/10/29(土) 16:29:20.28ID:DHSpbeWj0
日本猿どもは反省などしていない 奴らに必要なのは核ミサイルをお見舞いする事である
0604名無しさん@お腹いっぱい。2022/12/12(月) 11:53:57.89ID:IrD2CIvp0
日本などは永遠に許してはいけません
0605名無しさん@お腹いっぱい。2022/12/15(木) 00:19:22.69ID:sDhtfNLb0
その通り
0607名無しさん@お腹いっぱい。2022/12/31(土) 23:59:48.36ID:13No7l460
日本が滅びますように
0609名無しさん@お腹いっぱい。2023/01/05(木) 18:02:54.27ID:pVIcX51U0
今年こそ核ミサイル宜しく
【バカボン岸田のシムシティ】バイデンから使い捨てのミサイル等を大量購入→増税→「たとえ戦争が起きても決意を持て」(東京新聞)★5 [木枯し★]
ttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1674359858/
0611名無しさん@お腹いっぱい。2023/01/26(木) 23:44:10.77ID:8LQkGx3Q0
戦争責任を突き詰めて検討していくと、
最後は天皇の責任に突き当たってしまう
当時の日本が戦争責任を突き詰めなかったのは、陛下を追い詰めないという配慮もあったんだろう、
逆に、徹底的に突き詰めていったら、あいつが悪いこいつが悪いって責任のなすりつけ合いになり、国民が一致団結して戦後復興を果たそうという機運が薄れてしまっていたと想像できる、
国内は混乱し内乱が生じていたかも知れない、
国内の混乱に乗じ戦勝国側が日本を東西に分割統治していたかも知れない、半島みたいに
今思えば、戦争責任を突き詰めずに陛下の下国民を一致団結させたのは(かかる表現は妥当か分からないが)、ある意味正解だったように思う
団結できたからこそ高度経済成長に繋がっていったように思う
0612名無しさん@お腹いっぱい。2023/01/27(金) 10:15:40.54ID:ydkdpeRC0
謝罪と賠償は永遠に続くべき
経済回復出来なかったのが痛かったな。
そこに515、226で政党政治終了。
国民は軍に期待。
【自民党】政府、ウクライナに224億4000万円の追加無償資金協力。岸田「うるせえ、コオロギでも食っとけボケ」 [Hitzeschleier★]
ttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1677814264/
【ロシウク戦争】ロシア、ベラルーシ西側国境に戦術核兵器を配置★2 [お断り★]
ttp://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1680518113/
東京五輪とかコロナ対策とかの
滅茶苦茶だけどメンツのために挙げた拳は下せないから強行するしかないってのを見せつけられて
戦中の亡霊はまだ生きてるんだなってのが良く分かったよね
国民が狂っていたのは確かだな
日露なんてうまいこと講和しなければ勝ち目はなかったのに、勝った見返りが少ないと暴動を起こすようなバカがいたんだから
アメリカは戦争に参加したかったけど、国民の理解が得られず躊躇していた
そこに真珠湾を攻撃した軍もバカだな
おかげでアメリカはイギリスの救済ができた
ネトウヨA「アカヒ他マスゴミは国民を煽って戦争へと誘導した極悪!」
ネトウヨB「大東亜戦争は白人から植民地解放した正義の戦争! 大日本帝国は正義!大東亜戦争は正義の戦争!」
なお ネトウヨAとネトウヨBの間に一切の意見対立も論争も起きません
これで真実を語ってるつもりなんだから開いた口がふさがらん
>>617
日露は情報絞っていたのとメディアが煽りに煽っていたからね
明治から日本の新聞はセンセーショナリズムとポピュリズムのイエロージャーナリズムに陥っていた
冷静な新聞もあったがそういうのは部数が伸びない
新聞は講和条件としてバイカル湖以東の全シベリアを要求すべしとか書いてたからね 真に受けた読者がポーツマスの結果を見たらあまりの落差に頭に血が上るのも無理はない
まあ当時の政府は現実を知っていたし冷静だったからね 日本の小村、ロシアのウイッテ共に国内の評判は散々だが政府の評価は高くポーツマスの功により2人とも偶然にも同じ伯爵位を貰った 0622名無しさん@お腹いっぱい。2023/05/18(木) 16:22:32.04ID:9nmasGHG0
糞日本人
戦前日本の代表新聞は読売と朝日であり、戦後の日本でも左右を代表する新聞はこの2紙である
満州事変から敗戦まで両紙は戦意高揚を煽りに煽った
そして敗戦 東久邇宮首相は一億総懺悔を宣言、新聞も流石に意気消沈し紙面に反省の弁を載せた
喉元過ぎれば熱さを忘れ 1924年から敗戦まで実に20年以上讀賣の社長だった正力松太郎、大正力は流石に公職追放されるもあっという間に戻ってきて日テレ社長に 読売グループのドンとして戦後の右派言論を支配した
一方の朝日はと言うと社主の一族村山長挙が1940年から敗戦まで社長を務めていた 村山も当然公職追放されるがパージが解けるとあっという間に復権 再び朝日新聞の社長として君臨しさらには日本新聞協会会長にまで就任するのである
一体どの口で逆コースだの軍靴の音がとか言えたのか驚くべき厚顔無恥であるが読売はもちろん朝日が自省することなど絶対にあり得ないのである
史上最大、最強のサミットになったなw
現代のヤルタ会談とも言われているし
今度はロシアと中国が裁かれる側か
>>621
しかし小村寿太郎は鉄道の共同経営をぶち壊し、アメリカとの関係を最悪なものにした罪はあると思う
ビジネスと一緒で正義なんてないから、苦労して勝ち取った権利だの言い出したらキリがない
現実問題としてアメリカとやりあえるかどうか考えたらわかることではなかったのか? アメリカ 我々はどこで歴史を間違えたのだろうか
https://anond.hatelabo.jp/20220219191228
第二次大戦で日本を叩き潰さずに、中国・朝鮮半島あたりまで日本に任せておけば
「やっぱり第二次大戦で日本を叩き潰したのがまずかった」
「連合国が日本を負かすために中国共産党に肩入れしたのが元凶だった」
「中国・朝鮮・ユーラシア大陸東部あたりまで日本に任せておけば今のような事態にはならなかった」 0629名無しさん@お腹いっぱい。2023/08/01(火) 22:35:04.18ID:Tmv0EqVE0
連合国が肩入れしてたのは蒋介石の国府で毛沢東の中共ではない
そして日本が攻撃の主体としたのも国府で中共は二の次
0630名無しさん@お腹いっぱい。2023/08/16(水) 11:56:35.87ID:a7RnJHJV0
>623
その通り。但し毎日も加えた方が良い。
戦争に導いたのは「新聞」と「国民」であり、そのきっかけは大正デモクラシーと普通選挙法である。
民主主義は衆愚に直結する。ヒトラー政権は極めて民主的なプロセスにより誕生した。
福沢諭吉が、現代中国の「知識人」から敬愛されている理由
https://www.newsweekjapan.jp/nippon/season2/2023/08/459871.php
こうした人物が中国に生まれず残念
19 世紀中期の中国と日本は、共に巨大な時代の変革に直面していた。
日本は福沢のような啓蒙思想家がいたおかげで儒教的な価値観から抜け出し、
西洋的な文明を素直に受け入れ、近・現代国家として発展した。
一方で、中国は100 年以上も西洋的な価値観を拒否し続け、
政府と人民の垂直的な関係が共産党政権の今も変わらない。
福沢は生涯官職に就かず、近代思想を日本国民に紹介した。
福沢のような人物が中国に生まれなかったことを、
心ある中国人は心から残念に思っている。 0633名無しさん@お腹いっぱい。2023/08/28(月) 06:59:17.65ID:+Vr0wyZd0
時代の風潮に自分を合わせる、所謂尻馬に乗るって奴だがそれだけでもない。
戦前の問題は外国との関係で空気が読めなかったってだけの問題で
社会そのものにそれ程大きな問題を抱えていたわけではない。
もちろんあることはあったしそれ自体は敗戦で消え失せたが
未だに厳然とあることにしたい気分って言うのが社会を解体していく。
問題はあってもそこまで気にせずに日本人は生きていたのだが
負けたことで色んなことに我慢ができなくなっていったんだろう。
だから外圧で強引に一気に問題を解決するってことの危険性が問題の根っこにはあるよな。
0634名無しさん@お腹いっぱい。2023/09/08(金) 14:53:22.70ID:wI48V+YM0
戦争と人びとの暮らし 1926-1945 下
著者: 半藤一利
「戦陣訓」が示達された翌一月九日、葉山御用邸にいった天皇は、夕刻になって静養であるゆえ
気も楽になったのか、侍従たちにいろいろ語った。「米、石油、肥料などの御話しあり」とあって、
侍従の小倉庫次がしっかりと天皇の言葉をかきとめている。
「日本は支那ををみくびりたり、早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るがもっとも賢明
なるべき旨、仰せありたり」