女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2

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0001日本@名無史さん2020/09/01(火) 01:55:39.55
前スレ 女王國=伊都國=邪馬台国の首都(魏志倭人伝) https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1590076100/

郷土愛に狂う糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」

伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”

伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”

一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

0952日本@名無史さん2021/03/24(水) 22:31:38.56
>>915

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

0953日本@名無史さん2021/03/24(水) 22:32:00.71
>>916

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

0954日本@名無史さん2021/03/24(水) 22:32:32.88
>>917

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/Uno9rXi.jpeg

0955日本@名無史さん2021/03/24(水) 22:32:55.95
結局、今日も>>875の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

0956日本@名無史さん2021/03/24(水) 22:33:43.96
>>921
いや、それだと魏志倭人伝の記述と合わない
伊都国から奴国まで東南に短里で百里(約7.5km)しかないのだから、奴国の都である春日丘陵からの距離を考えると
西新町遺跡あたりまでは伊都国でなければならない
春日丘陵の須玖岡本遺跡から西新町遺跡まで直線距離でさえ10kmあるからね
間に山があるから実際にはもっと遠い
須玖岡本遺跡から北西方向に7.5kmだと天神までしか届かない

当然早良も伊都国ということになる

0957日本@名無史さん2021/03/25(木) 10:40:56.51
>>947の在日ヒトモドキは執拗に玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを流布して回っていますが、同遺跡は意図的に炭素年代測定を行わないまま埋め戻された程度の価値しかありません。

1999年に学術論文「ウルサンムゴドン オクヒョン遺跡」(イ・サンギル、イ・ヒョンソク、ガク・ジョンチョル共著)が発表されて以来20年以上も研究対象になっていない遺跡です。
同論文に在日ヒトモドキが言うような紀元前15世紀や紀元前11世紀などという記述は皆無な上、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社に売却され既に「文殊中学校」になっていると明記されています。

加えてウルサン市の公式サイトには、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社運営の「オクヒョン第二住公アパート」になっていると明記されています。

本国ですら正確な位置を把握していないという無価値さを証明するように玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡を示す記念碑はこの地球上に存在すらしていません。

そもそも玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを始めたのは元国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎氏ただ一人であり、そう主張した2019年に同氏は副館長から一般研究員に降格しました。

よって突如として玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の水田遺構が日本最古の水田遺構より古いという主張は、中国における玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為としてすでに韓国歴史学の恥部となっています。

にも関わらず、在日ヒトモドキは学術論文や行政の発表という現実から逃げ回り、グーグル地図うんぬんやら国の研究機関の公表だとホラを吹き、中国共産党への被害妄想に嵌まり込むという醜態を繰り返すしか能のない卑しくも憐れな無能生物なのです。

グ ー グ ル 地 図 う ん ぬ ん や ら
国 の 研 究 機 関 の 公 表 だ と
ホ ラ を 吹 き 、
中 国 共 産 党 へ の 被 害 妄 想 に
嵌 まり 込 む と い う 醜 態 を
繰 り 返 す し か 能 の な い
卑 し く も 憐 れ な 無 能 生 物な の で す。

グ ー グ ル 地 図 う ん ぬ ん や ら
国 の 研 究 機 関 の 公 表 だ と
ホ ラ を 吹 く こ と で 精 神 勝 利 を 画 策 す る
惨 め な 無 能 生 物 が >>947 で す。

0958日本@名無史さん2021/03/25(木) 10:41:20.16
>>949
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v.jpg
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0959日本@名無史さん2021/03/25(木) 10:41:34.70
>>950
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0960日本@名無史さん2021/03/25(木) 10:41:48.91
>>951
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0961日本@名無史さん2021/03/25(木) 10:42:04.05
>>953
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0962日本@名無史さん2021/03/25(木) 10:43:45.62
>>954
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/GRKi4Wo.jpeg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/e7fbldM.png

0963日本@名無史さん2021/03/25(木) 10:44:07.09
>>955
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

0964日本@名無史さん2021/03/25(木) 10:45:07.50
>>956
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。


少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。


何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。


常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/7Fqjoly.jpeg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0965日本@名無史さん2021/03/25(木) 10:45:50.48
郷土愛に狂う糸島工作員を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re.jpeg

0966日本@名無史さん2021/03/25(木) 18:56:22.18
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◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





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0967日本@名無史さん2021/03/25(木) 18:56:48.57
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◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





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0968日本@名無史さん2021/03/25(木) 18:57:26.16
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◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





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0969日本@名無史さん2021/03/25(木) 22:43:36.50
>>960
>百越系文化を有する阿曇氏
>秦”系の一族の侵略
>奴国(百越系阿曇)






で、百越や秦から渡来定着した証拠の痕跡遺構は?




で、百越や秦から渡来定着したなんて中卒ギャグ飛ばしてる頭の中が
ファンキーすぎる考古学者の論文は?






早く出せよクッサイ汚らしい醜すぎる華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇半ニグロ

0970日本@名無史さん2021/03/26(金) 02:11:46.59
歴史の真実は一つだけ!


現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。


少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。


何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。


常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度で確定。

0971日本@名無史さん2021/03/26(金) 09:35:29.07
イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

0972日本@名無史さん2021/03/27(土) 23:55:36.26
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島工作員の民族願望や妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

現実はコチラ
https://i.imgur.com/e7fbldM.png

0973日本@名無史さん2021/03/28(日) 21:03:19.19
>>965
で投馬国はどこ
女王國なの?

0974日本@名無史さん2021/03/28(日) 21:42:43.61
朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島工作員の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島工作員が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

0975日本@名無史さん2021/03/28(日) 22:15:47.38
>>958
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

0976日本@名無史さん2021/03/28(日) 22:16:11.21
>>959
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

0977日本@名無史さん2021/03/28(日) 22:16:38.31
>>960
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

0978日本@名無史さん2021/03/28(日) 22:17:00.90
>>961

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

0979日本@名無史さん2021/03/28(日) 22:17:45.53
>>962

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/ytHyOsA.jpg

0980日本@名無史さん2021/03/28(日) 22:18:21.94
>>964
いや、それだと魏志倭人伝の記述と合わない
伊都国から奴国まで東南に短里で百里(約7.5km)しかないのだから、奴国の都である春日丘陵からの距離を考えると
西新町遺跡あたりまでは伊都国でなければならない
春日丘陵の須玖岡本遺跡から西新町遺跡まで直線距離でさえ10kmあるからね
間に山があるから実際にはもっと遠い
須玖岡本遺跡から北西方向に7.5kmだと天神までしか届かない

当然早良も伊都国ということになる

0981日本@名無史さん2021/03/28(日) 22:21:19.92
>>970
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

0982日本@名無史さん2021/03/28(日) 22:22:23.38
結局、今日も>>875の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

0983日本@名無史さん2021/03/28(日) 23:52:01.01
>>975
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。


https://i.imgur.com/vbhaOJW.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0984日本@名無史さん2021/03/28(日) 23:52:37.66
>>976
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/d23zGjw.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0985日本@名無史さん2021/03/28(日) 23:53:14.75
>>977
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

https://i.imgur.com/6j9Vxm9.jpeg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0986日本@名無史さん2021/03/28(日) 23:53:34.35
>>978
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0987日本@名無史さん2021/03/28(日) 23:55:57.65
>>979 糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/ebB1e5j.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/qlTY9Ou.png

0988日本@名無史さん2021/03/28(日) 23:56:20.33
>>980
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。


少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。


何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。


常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/7Fqjoly.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0989日本@名無史さん2021/03/28(日) 23:57:04.78
>>981
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。


少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。


何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。


常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度で確定。

https://i.imgur.com/vbhaOJW.jpg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

0990日本@名無史さん2021/03/29(月) 00:13:36.06
>>982
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

0991日本@名無史さん2021/03/29(月) 00:14:18.87
地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である

0992日本@名無史さん2021/03/29(月) 05:21:47.67
名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。

0993日本@名無史さん2021/03/30(火) 01:52:29.42
糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>975-982のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返し、特に複数人を装うサル芝居を繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>975-982のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

0994日本@名無史さん2021/03/30(火) 11:09:55.72
古代史関連スレの四大迷惑チョンの徳島朝鮮人、糸島朝鮮人、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む徳島朝鮮人は巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸島朝鮮人も巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  

古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

0995日本@名無史さん2021/03/30(火) 11:32:04.19
郷土愛に狂う糸島工作員を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

0996日本@名無史さん2021/03/31(水) 03:29:40.08
歴史の真実は一つだけ!


現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。


少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。


何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。


常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度で確定している。

0997日本@名無史さん2021/03/31(水) 12:11:02.10
イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

0998日本@名無史さん2021/03/31(水) 16:17:36.49
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島工作員の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島工作員の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/XygXIv6.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/YVxhW4u.png

0999日本@名無史さん2021/04/01(木) 01:05:40.84
朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島工作員の妄想やこじつけを取り除けば、五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

1000日本@名無史さん2021/04/01(木) 10:49:46.42
地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

涛G対する部族も瑞ィ力もない土地bナどんぐり拾っbスり陸稲しながb邇�ツ生活でノャzホンと暮らしbトた彼らの土地bノ乗り込んできbスのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である

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