0001名無しさん@お腹いっぱい。2010/10/17(日) 15:05:51ID:eBDpOYnS0
第二次世界大戦まえ、日本の内政を一手にひきうけていた内務省。
警察をつかって国民を統制していたというマイナスの評価がほとんどだが、都道府県をつうじて効率のよい行政をおこなっていたとの評価もあるが実態はどうだったのか。
0091名無しさん@お腹いっぱい。2014/05/13(火) 10:08:46.06ID:J62C1+VB0
内務省とワイドショーって語感がよく似ている。
治安など生活に密着したテーマをよく扱う点でもよく似ているが。
0092名無しさん@お腹いっぱい。2014/05/16(金) 10:35:00.48ID:w8V/Uk3w0
>>1-90
いまこそ行政改革の省庁統合し内務省を復活しょう!!! 0093名無しさん@お腹いっぱい。2014/05/16(金) 15:02:01.98ID:zY3CDullO
中曽根さんとか、内務省の復活とか、どう思ってんだろ?安倍さんの、師匠の。
政党の草刈り場にされて哀れであったが新官僚なんかはその反動だよね。
0095名無しさん@お腹いっぱい。2014/05/17(土) 20:32:32.53ID:X1i4bD3Q0
まあ、省庁分割で大臣のイスが増えただけだよね。
だいたい、次の内閣改造の理由が早く大臣になりたい候補の要求にあるようじゃ、
こりゃ国のための官庁じゃない。
>>94
内務次官、警保局長、警視総監が政党ポストとか狂っていたよな。
まー、それ以前の藩閥が同じところを握って政党弾圧していた反動もあるんだろうけど。 0097名無しさん@お腹いっぱい。2014/05/18(日) 13:48:00.49ID:4Yz+m40I0
>>96
その反省から第二次世界大戦後、公安委員会制度によって警察を政治の影響力から切り離したのだが
警察が独善的な組織になってしまったのは痛かった。 >97
それでも、政治的な中立性が保たれたことのプラス面の方が大きかったように思うよ。
少なくとも戦後日本の警察組織が他国のそれと比べても国民からの信頼を勝ち得ているのは
この政治的中立性が強く保たれていることにその一因があったのは事実だと思うから。
0101名無しさん@お腹いっぱい。2014/09/06(土) 12:46:53.86ID:XYP32mYN0
昭和30年代には、自治庁と建設省を統合する「内政省」案とか、
自治省と国家公安委員会を統合する「自治公安省」案とか、
内務省復活のための案が政府内部にあったものの、いずれも実現しなかった。
十数年前の省庁再編の際にも、自治省と警察の統合が検討されたが見送られ、
実際には無関係の郵政省との合併による「総務省」だった。
諸外国の例を見ても、地方行政と全国警察を同じ官庁が管轄するのが自然であり、
自治公安省のような形になるべきだったろう。
その意味で、省庁再編前の自民党政権で自治省が公安委員長を兼ねていた慣習は、
理にかなっていたと思う。
とくに昭和50年代、自治大臣が国家公安、北海道開発の2閣僚も兼ねていた時期は、
事実上の内務大臣であり、この3省庁の統合がもっとも理想的だったと思う。
0102名無しさん@お腹いっぱい。2015/02/09(月) 16:52:23.34ID:/SC6wsrm0
戦前よりも悪質!反日マスコミの言論弾圧
ttp://tainichihate.blog.fc2.com/blog-entry-224.html?sp
戦後日本人は、戦前の検閲を軍部が行っていたかのよう思わされていますが、それは誤りで、検閲を行っていたのは内務省でした。
内務省は検閲後の訂正や削除を執筆した本人に命じていました。場合によっては伏せ字という形で言論統制を行っていました。
また、戦前日本には「欠字法」という形式があって、それを忘れたりすると「不敬罪」に問われました。
日本の内務省に対し、GHQの検閲はアメリカ検閲官がアメリカの意にそうように、作者の意向などまったく無視して訂正したり削除したりすることがあったそうです。
戦時中を思い出させる「八紘一宇」などの言葉や、玉体(天皇の身体)、玉歩(天皇の歩み)といった天皇に関する言葉も禁止されました。
戦前と戦後、両方の検閲について知る法学者里見岸雄氏は
「我が内務省検閲すら行わなかった字句の訂正を米検閲官自身の手で加えたりさえした。日本国民が自由に意思を表明する自由を剥奪したのである。
彼等(かれら)の欲する通り修正するという暴虐なやり方であった」
と述懐しています。まるで、日本の反日マスコミですね。
反日マスコミの「日本の右傾化は悪だ!」というような宣伝にダマされないようにしたいものです。
0104名無しさん@お腹いっぱい。2015/03/16(月) 07:18:41.72ID:AmOmb6Xp0
0105名無しさん@お腹いっぱい。2015/03/16(月) 20:23:37.69ID:IT14vvfb0
0106名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/14(火) 02:23:37.63ID:aIaUMG1W0
.
【統一選】 自民、24年ぶり過半数
前回を上回る1150議席を獲得=民主は苦戦、共産伸長
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1428882999/
10 左翼終わったな。 もうやり方変えなきゃ騙せないんじゃね?ネットじゃ難しいけど
11
維新は第一党維持とか言ってるけど、
地元でも過半数取れずの体たらくで都構想もグダグダ必至だなこりゃ
13
24年前て公明と連立始めたぐらいの時期じゃん。
あの時から自民は負け続けたんだよな。
29>>10 認識が甘くねぇか? 共産が伸びてんだよ。
36
「アベノミクスは大企業と都会の富裕層が儲けてるだけで地方には恩恵がない」
と繰り返してたマスゴミの皆さん、地方選でも自民が勝ったんですが?
これはどういうことか、説明してよ
46 今後は大阪に中韓朝勢力の戦力が集中するね。 大阪人頑張ってね(鼻ホジー) 0107名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/14(火) 02:25:32.87ID:aIaUMG1W0
0108名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/14(火) 02:26:41.57ID:aIaUMG1W0
253 マスコミが民主を押した結果 誰も「官僚打破」を掲げる政治家を信用しなくなったんだよ
263>>216 解党してしまえば 黒歴史と認識する人も居なくなるわけで
283 地方選でコレって、民主は組合も寝てただろ。
295>>263
民主党議員は、維新や緑の党に逃げ込むと思う。
票田の労働貴族もそう願ってるだろう。
ただ、そうしても労組規制は、始まると思う。
345 地方選は自民の惨敗が濃厚とか言ってた奴出てこい
912>>1
安倍政権は国民の真を得た訳だから
TPP参加も移民の受け入れも全て国民は容認したということ 0109名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/14(火) 02:27:32.45ID:aIaUMG1W0
0110名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/02(土) 15:31:17.31ID:xB+1XvX10
0111名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/07(木) 01:17:26.44ID:8lS1/QzZ0
0112名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/30(土) 12:25:24.27ID:bNuyuDPI0
第二次世界大戦前の地方行政が今も続いていたら
大都市制度は都制度になっていたかもしれない。
国の出先機関としての都と基礎自治体としての
特別という感じで。もともと東京都も東京市を
そんな感じにしようと考えていたらしいが。
0114名無しさん@お腹いっぱい。2015/11/27(金) 00:26:07.16ID:M9EY+bII0
警保局の簡単な解説を見ると、警察庁の前身という説明が多いのですが、
国家公安委員会の前身でもあると思うですが、どうなのでしょうか?
0115名無しさん@お腹いっぱい。2015/12/11(金) 14:56:27.27ID:Ux1w5b+00
>>114
制度そのものが違うから厳密な話ではないですけど、警保局と国家公安委員会とは別の性格を持った組織です。
現在の検察庁(官僚組織)が国家公安委員長という国務大臣を中心とした組織である国家公安委員会から
監督を受けているという構図は、警保局という官僚組織が国務大臣である内務大臣の指揮下にあるというのに
近い形態であると思います。 >>114
過疎で諦めていたところ、御返事ありがとうございます。
警保局は、内務省の部局として警察行政を所管していたわけですから、
現在の警察庁、更にその監督官庁である国家公安委員会に相当すると思うのですが、違うのでしょうか。
警保局長が内務大臣の下僚であったことに比べて、
警察庁長官は官僚の一員ですが、国家公安委員長は仰る通り国務大臣ですから、
以前と比べて警察任務の独自性は向上し、ある意味より強化されたような印象も受けます。
ところで、検察庁が国家公安委員会の監督を受けているというのはどういうことでしょうか?
検察庁の上部組織は法務省で、その前身は司法省検事局ではないのですか?
国家公安委員会が、警察と検察と、双方を監督していたのでは、まずいのでは。 >>117
>現在の警察庁、更にその監督官庁である国家公安委員会に相当
あくまで、素人である私の考えであることを前提としてご返答いたします。
警保局は警察行政を担当している内務省内の官僚組織であり、警察庁の前身です。
つまり、ここに在籍している人間は高等文官試験を受けて採用された高等官僚
(現在でいうキャリア官僚)や、その土地で採用された地方職員である警察官
などの公務員です。
当然、選挙などで落選する必要などはないので「民意」といったものに
よる拘束を受けません。
つまり、その行動が「民衆の利益」に反していた場合であっても、
それを是正する力を外部から受けないのです。
そのため、その組織の行動が暴走しないように、監督する必要があります。
内務大臣という、警察組織からみれば外部の存在である「政治家」によって、
民意というものの存在を間接的に受け止めさせてその行動を抑制する必要が
あるのです。
これを理解するために、戦前の陸海軍が暴走する要因の一つともなった
「軍部大臣現役武官制」を置いてみると理解しやすのではないかと思います。
陸海軍の大臣が、陸軍士官学校や海軍兵学校を卒業して任官した現役武官にしか
任用されない制度であったために、その予算要求や政策要求に従わない内閣に対して、
組織として結託して大臣を出さないというストライキやサボタージュのような
手段を使って内閣を倒してしまうような事態が起こりました。
こうした官僚特有の「組織利益の追求」という生理を抑制するために、
内閣組織の一員であることによって首相の意思決定に官僚組織を従わせる
「文民統制(シビリアンコントロール))」の一環として軍部大臣現役武官制が
戦後には廃止されました。
自衛隊などの軍事組織は、政治家(選挙で選ばれた国会議員)である防衛大臣の
指揮の下に、内局と呼ばれるいわゆる「背広組」(大蔵省や検察庁や自治省など
から派遣された官僚)が、軍人である「制服組」をコントロールする仕組みが
採られています。 >117
>警察任務の独自性は向上し、ある意味より強化されたような印象
これについては、戦前の警察機構が内務大臣の指揮下にあったがために、
政党政治家によって過度に恣意的に警察力を運用されたという記憶があり、
それを排除するためにこうした政治家の影響力を段階を踏んで及ぼすよう
間接的な組織統治形態が選ばれたという経緯があります。
極端な例でいえば、政治家が汚職などの犯罪を犯した際に、警察がその
政治家を捕まえようとしても、その政治家の親分である派閥のボスが
国家公安委員長であった場合を考えてみましょう。
国家公安委員長が警察組織の人事権を持っているとなると、現場の警察官は
政治家を逮捕をしたら、政党からその報復として翌日に首にされてしまう
路頭に迷う心配をしなければならないため躊躇してしまうからです。
そのため、政治家である国家公安委員長はあくまで警察庁長官を指導指揮する
権限を持っているだけで、その下部組織である警察庁や地方の警察組織は
警察庁長官の指揮のもとに行動します。
イメージ的には私企業のオーナーが末端の従業員を辞めさせようとした際に、
その企業の社長が「辞めるなら私が辞めます、私の部下は辞めさせません」
といって抵抗して部下を守る権限を持っていて、オーナーといえども恣意的に
社員をクビにする権限までは持っていない、という機構になっているみたいな
感じでしょうか。
※(オーナーとして読売の渡辺恒雄、それに対する読売新聞の社長と社員、
巨人軍の社長・監督と選手、といった具体例を想像するのも有りかと)
もちろん一般の私企業においてはオーナーの意向が優先されますが、公的機関
である公務員がこうした恣意的な任免権の乱用を受けないための制度であろう
と思います。
>検察庁が国家公安委員会の監督を受けているというのはどういうことでしょうか?
国家公安委員会は「警察庁」を監督しています。
よく似た言葉なので間違えやすいのですが、法務省の下に検察庁がある
というかたちで、この両組織は並列した存在です。
戦前でも、裁判所などの司法行政は司法省の管轄であり、警察行政は内務省
(の警保局)の管轄でした。
>>118-119
お答えありがとうございます。
ですが、本題から外れてしまっているように思えます。
国家公安委員長というのは、国家公安委員会の長で、国務大臣です。
ですから、警察庁を管理する国家公安委員会の長ということであれば、
警保局長の上司である内務大臣の後身といえましょう。
国家公安委員会というのは、組織です。
警保局を管理する特別の組織が内務省にあったわけではないですが、
警察行政に特化して管理する職掌からみて、警保局と重なる部分があるのではないかということです。
長でない国家公安委員については政治任用です。民意が反映されているとは言えません。
また、戦前の国務大臣は、必ずしも国会議員ではなかったため、
そういう理由づけでは、内務大臣→国家公安委員長という図式も成立しなくなりませんか。
名称も組織の様態も職務内容も、当然ながら戦前と戦後とで変わっていますから、
単純に前身後身と言えない場合もあるでしょうが、
私には、国家公安委員会が警保局の職務の一部の後身であるように思えます。
また、検察庁と国家公安委員会の関係について、疑問が解けません。
>>115が誤りでないとするなら、検察庁は法務省と国家公安委員会に両属しているのですか、違うと思うのですが。
法務大臣でなく、国家公安委員長が、検察庁、つまりは検事を指導するという事例はあるのでしょうか。 >>120
>長でない国家公安委員については政治任用です。
委員の選出法について、私も正確なところは把握しているわけではないのですが、
公安委員会の委員については「内閣総理大臣が両議院の同意を得て任命する」と
なっているようなので、間接的には民意が反映されているといえると思います。
>戦前の国務大臣は、必ずしも国会議員ではなかったため、
厳密に言えばその通りで、内務大臣が「民意で選ばれている」と言えるのは
大正時代中期に成立した原敬内閣や大正末から昭和初年にかけての政党内閣期に
限られており、多くの場合、内務大臣もまた「官」であったというのが事実です。
なので、118での説明が当てはまるのは上記の限られた時期であり、
「民意によって選ばれた国会議員から内務大臣が任命される」というのは
かなり偏った説明でありました。
その意味で、上記の説明は「戦前において内閣の構成に民意が反映されることが
前提とされていた政党内閣期において成立するもの」という注釈が必要だった
かもしれません。
>検察庁と国家公安委員会の関係について、疑問が解けません。
>検察庁は法務省と国家公安委員会に両属しているのですか、違うと思うのですが。
検察庁は法務省の下部組織であり、国家公安委員会の下に存在してはいません。
>国家公安委員長が、検察庁、つまりは検事を指導するという事例はあるのでしょうか。
ありません。
全く別の組織ですから。 ところで戦前の警視庁は内務省の外局で良いのでしょうか?
後、戦前の警視庁と道庁・府県警察部と
現在の警視庁と道府県警察本部の格の違いを比較すると
戦前の方が差が大きかったと思うんですが、いかがでしょうか?
>122
>現在の警視庁と道府県警察本部の格の違いを比較すると
>戦前の方が差が大きかったと思うんですが、いかがでしょうか?
制度的にどうなっていたのかまでは知りませんが、当時の警視庁は
現在の姿とはその在り方が大きく異なっていたようです。
当時の他府県の警察組織が、各府県知事の下部組織であるのに対して、
警視庁は内務省直轄の組織です。
これも私が勉強している大正期から昭和期のみの話かもしれませんが、
内務大臣が直接指揮する(直接の補佐を受ける)役職のうちの一つとして、
警視庁のトップの警視総監は内務次官・警保局長と並べられており、
この三つの役職は「内務三役」と呼ばれて、内務官僚にとって
出世スゴロクの到達点のような位置にあったようです。
>>121
お答えありがとうございます。
なるほど、大正から昭和にかけてが専門なのですね。
>>114で簡単に述べた通り、私の関心は、
官界における戦前と戦後とでの警察組織の位置についてなのですが、
>>120でも言及したように、単純な比較というのは難しいと思います。
戦前では、内閣総理大臣>内務大臣>警視総監、という図式でしたが、
戦後は、内閣総理大臣>国家公安委員長>警察庁長官>警視総監、という図式です。
特に異なる点は、警察行政を管掌する警保局長が、警視総監の上司ではないという点です。
>>123
内務三役は、何れも内務大臣の下僚であって、協力関係であっても上下関係ではありません。
この関係は、海軍三長官と関係に似ているかもしれませんね。
内務三役とは異なり、軍令部総長と聯合艦隊司令長官を、海軍大臣と並べているのは大きく違いますが、
警視総監とGF長官との共通点は、
国内最大の実働部署の長であること、(指揮下にない部署も多いこと、)
直属の上司ではないものの、警保局長、軍令部総長の強い影響下にあること、
一般的には、大衆からも属吏からも人気の高い官職であったこと、でしょうか。 >>124
>大正から昭和にかけてが専門
ありていに言うと、明治期までの官僚組織は薩長藩閥の影響力があまりにも強く、
その藩閥の中核であった陸海軍の存在が圧倒的で、内政を管掌する内務省は
権力ゲームのプレイヤーにとっては重要な存在ではなかったんですよね。
山縣・桂・寺内と続いた陸軍閥と、山本・加藤らの海軍閥の存在はやはり大きい。
>戦前では、内閣総理大臣>内務大臣>警視総監、という図式でしたが、
>戦後は、内閣総理大臣>国家公安委員長>警察庁長官>警視総監、という図式です。
これについて、法制度的な問題とは別にして、運用的な側面や実態に関する
理解も重要なのではないかと思います。
戦前の組織としては内務大臣の法的な地位は、原則として明治憲法体制のもとに
一貫して変化してませんが、大正デモクラシーによる揺り返しによって選挙結果を
受けた「民意」というものが重視されるようになってから、選挙を管掌する内務省の
存在がそれまでよりも重視されるようになったという経緯があります。
政府が予算を執行する上で、議会の賛同を得なければならないために衆議院における
政党への対応が重視されるようになり、その「議会の賛同を得る」という必要上から
政党の党首が内閣総理大臣として指名されることが必然視されて行き、政党内閣制が
軌道に乗ってきたという流れがあって、内務大臣が「副総理格」として遇されるように
なってきたものそういった事情が預かってのことです。
また、戦後の警察組織では法制度的には警察庁長官と警視総監では長官の方が
上になっていますが、警察キャリアにとっては両者を「同格」と感じている
人も多くいるようです。
後藤田正晴の回顧録に書いてあったと記憶していますが、警察庁長官と警視総監の
ポストはそれぞれが概ね2年間程度在職し、ある年度の最優秀者が長官になると、
その次の年度の最優秀者は総監になり、またその次の年度の最優秀者が長官に
なるといった具合に割り振られるような慣例があったそうです。
キャリア官僚にとっては入省年次が重要視されるので、昭和50年入省組とか
53年入省組とかの「同期」同士がライバルとしてしのぎを削り、出世争いから
脱落した人間は定年前に退官したり天下ったりして少しづつ減ってゆき、
最後まで生き残った人間が長官または総監というポストを手にする、という形。
その場合どちらのポストに就くかというのはその時どのポストの方が先に空くか
どうかという時の運みたいなものになってしまうので、意識の上ではこの二つは
「同格」みたいな感じになるそうです。
また、組織上は長官の方が格上であったとしても、総監の方が入省年次で上だったり
すると後輩である長官の方が遠慮をする、みたいなこともあったりするそうなので
やはりこの辺からも「どちらが格上」とは一概に言えないように思います。 >>124
>内務三役は、何れも内務大臣の下僚であって、協力関係であっても上下関係では
これについても注意が必要です。
内務三役はそれぞれに内務大臣に直結していて、宮中席次でも同格に近いですが、
制度上は警保局長も警視総監も、内務次官の下になります。
国務大臣としての内務大臣の下に、事務方のトップとして内務次官があり、その下に
組織上は並列の存在として、警保局長・地方局長・土木局長・社会局長などが
存在していました。
警保局長は警察行政系統のトップであって、内務省内では地方局(後の自治省)系統の
勢力もそれなりの存在感を持っていました。
むしろ各県の知事として誰をどこに配置するかに関する決定権を持っていた地方局は
「自分たちの方が内務省の本流だ」という意識を持っていて、警保局系統の内務官僚に
対する対抗心を持っていたとも伝えられています。 >>125-126
ありがとうございます。
現代の、系統がはっきりしている、警察庁長官と警視総監ですらそういった様子では、
戦前の様子は推して知るべし、といった感じですね。
内務三役についての示唆は、なるほど、と思う反面、疑念があります。
そもそも、次官は局長の上司(ライン)なのでしょうか、大臣の幕僚筆頭(スタッフ)ではないのでしょうか。
おそらく何事につけ、決裁には大臣に加えて次官も必須でしょうが、
明治の官制では、局長は資格任用で、次官は政治任用でした。
省務に熟知していなけらば務まりませんから、
当時から資格任用に準じて専門的知見のある者を登用したとは思いますが、
次官について運用と議論が進んだ結果、大正期に、政務次官と事務次官が分化します。
私はどちらかというと、元来の次官の性格は、むしろ政務次官の方に受け継がれたように思います。
現在でも、次官が局長の上司に当たるのかというのは、些か疑問です。
というのは、内局の筆頭という位置で、大臣官房があり、官房三課長というのが居ます。
殆どの省庁で官房長を置いていますが、これは任意のことで、法制上必須ではなく、
官房長を置かない場合、大臣官房は次官・次長が統率します。
実務上、次官と局長との間で齟齬があってはうまくないので、
省庁内では、次官も全ての事案に関係するでしょうが、
例えば、省庁内の小事であれば大臣に諮らずとも、次官の権限のみで何か指揮・監督できるのでしょうか。 0128名無しさん@お腹いっぱい。2015/12/25(金) 11:40:47.49ID:XO0sd/x/0
最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり
>>127
>次官は局長の上司(ライン)なのでしょうか、大臣の幕僚筆頭(スタッフ)ではないのでしょうか。
次官は局長の上司かという点に関しては、これはほとんどの場合
「上司である」といってしまって間違いないと思います。
戦前の場合、陸海軍省のみは現役武官制があるのでトップの大臣までが
資格任用だったため、陸海軍の次官は大臣の補佐役という位置づけでしたが、
それ以外の省の場合は大臣が政治任用で就任するため、着任する省の
こまごました取りきめや慣行についての知識が不足している場合があるので、
事務方のトップである事務次官が実質的なその省のトップとなっていました。
この点は現在の省庁にもそのまま受け継がれているシステムです。
どの省庁でも、事務方トップである事務次官がキャリア官僚にとって出世双六の
「上がり」となっていて、彼らにとってその省の形式上のトップである大臣は
あくまで「飾り物」程度にしか思っていない場面の方が多いと思います。
もっとも、これはあくまで制度上の問題では無く「力関係」「意識上の問題」
なので、例外はいくらでも起こり得ます。
大蔵事務次官経験者の池田隼人が蔵相になるような事例もあった様に、
ある省庁で経験を積んだ官僚が政治家に転身し、大臣になって
その省のトップに座るようなことが起こることもあります。
その場合は、大臣が文字通りその省庁のトップとして行政を切り盛りすることに
なるので、事務次官は「事実上のトップ」ではなくなり、文字通りの下僚に
なる事も有ります。 >>127
>次官について運用と議論が進んだ結果、大正期に、政務次官と事務次官が分化します。
ちょうどこの時期が、明治期の藩閥政府から近代的な官僚制度への整備が進む頃です。
伊藤博文や山縣有朋を中心とした薩長出身者によって構成される藩閥に依拠する
維新官僚が組織する政府は、大隈重信や板垣退助らの主導してきた自由民権運動に
出自を持つ政党政治家が蟠踞する議会への抜きがたい不信感を持っていました。
明治憲法には「予算の成立には議会の賛同を得なければならない」との規定があり、
彼らが望む陸海軍の軍備の拡張(艦艇や装備の更新など)や、外交の専門化や
高度化への対応(大使館や公使館の設置を要する国の増加)、殖産興業化を進める
ための内政の充実(港湾整備、道路拡幅、鉄道延伸など)といった明治国家の建設に
とって重要な施策は、どれも新たな予算案を起案して対応しなければならないのですが、
国民の代表として選出されてきた議会は「税金を安くしろ(予算を減らせ)」という
要求しか出さないので、予算案を作成する政府とは常に対立していました。
そうした対立の中で、予算案を否決された政府による議会の懲罰解散が行われたり、
激しい選挙戦を経てそのたびに政党の伸長が起こるという結果を受け、双方が
歩み寄りの姿勢を見せていくことになります。
政府は、政党員に行政の実務に携わらせて予算がなぜ必要なのかを理解させることで
国家運営を行う上での現実を突きつけることを目的として「政務次官」という制度を
導入します。
政党の側からしてみれば、要求の一つでもある「国政への参加」「行政上の権限の
獲得」という果実を得られるという旨みもあってこの制度を受け入れますが、
その果実の分配をめぐって政党同士が仲間割れを起こすなんていう事態も起きました。
けれども、総体としてこうした運用の中から政党の中でも政治の実務に関する
知識が積み上げられてゆき、単なる政府への反対勢力にすぎなかった政党による
政権運営というのが現実味を増してゆき、原敬による事実上の政党内閣の
発足へと至るわけです。 続き。
また、この過程で官僚内部でも質的な変化が起こり、それまで薩長出身者によって
占められていた官界の上層部が年齢等による淘汰が起こってきます。
これらの人々は出自による恩恵を得ていたこともあって実務能力や行政手腕には
欠けるところがあり、帝大を卒業して高等文官試験をパスして入省してきた
実務経験豊富な官僚たちが、その穴を埋めるようにして各省の次官や局長ポストを
占めるようになって行きました。
こうした高文組は、それまで自分たちを押さえつけて官界を支配していた薩長藩閥
への敵愾心を抱いていたこともあって、徐々に政党勢力へと接近してゆきます。
やがて「議会対策としての政党操縦」という域を脱して、政党に入ってその中から
政党自体を変革し、官僚として求める国家政策を実現するために、政党の力を
拡大してゆこうという人々が出始めます。
こうした中で、政務次官と事務次官との人的な交流が行われ、局長や事務次官の
経験者が政務次官に就任したり、政党員の政務次官が官僚から実務に関する
知識や経験を吸収したりことで、両者の勢力が徐々に融合して「国家統治機構」が
形作られるということになってゆきました。
こうした流れは清水唯一朗の著書がとても分かりやすいと思います。
『近代日本の官僚―維新官僚から学歴エリートへ』(中公新書)
読みやすいですし、値段も手ごろです。
また同じ著者のこちらの本は、学術書ということもあって読みにくさもありますが、
大臣や次官の関係がどのように変化してきたかを徹底して掘り下げているので、
きっと読みごたえがあると思います。
『政党と官僚の近代 日本における立憲統治構造の相克』 (藤原書店)
目次
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=799
書評
http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=33 >>129-131
いろいろ御教示くださり、ありがとうございました。勉強になりました。
御紹介いただいた書物も、後日読んでみたいと思います。 昔の警察は犯罪者を取り締まる司法警察の側面よりも
営業の許認可等を司る行政警察の面に比重が大きかったから。
色々地位を比べているけど、比較対象の性格が今とは異なるのでは?
>>133
実際その通りで、厳密な意味では行政機構そのものが改変・変容してるから
戦前と現在の組織との、単純な比較は基本的には無理があるというのが正確だろうな。
ただまぁ、厳密な意味での比較類推は出来なくとも、大雑把な見取り図みたいなものは
提示し得るだろうし、それに意味が無いってことも内とは思う。
戦前の陸海軍と戦後の自衛隊との違いほどの大きな性格の違いがあるってことでもないしね。 内務省また復活させるんだよねwwwガチで
内務省は戦後70年の悲願だったからここまでくればやるだろ
よく誘導される日本は独裁方のほうが〜とかいうけど、それって内務省のこと
そもそも共産党自体も反発する気があると思えないもん
日本人は心理的に戦後ずっと共産主義、開発独裁、チャイナの共産党の指導される政治を羨んできた
戦後それだけはずっと羨んで北からそれを作るのは国民の悲願だ
0136名無しさん@お腹いっぱい。2018/01/31(水) 14:46:30.63ID:I/Y5AjPQ0
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
AX4UT
0137名無しさん@お腹いっぱい。2018/07/13(金) 05:41:13.95ID:pegqJS3X0
いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
NPJ
0138 【豚】 【10.8m】 2023/06/17(土) 00:45:59.06ID:44QqYKEO0
( ゚д゚ )
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
0139名無しさん@お腹いっぱい。2023/07/05(水) 23:14:22.20ID:gHfEe+1n0
内務省が今もあればやはり「デジタル局」を設置したのかね
川瀬秀治の回想で大久保亡き後伊藤内務卿時代の内務省では、
内務卿室に西郷従道や中井弘が頻繁に出入りしてた挙句、
夕べの話で散々盛り上がったりして全てが奢侈に流れたと嘆く話があったが、
調べてみると登場人物みんな当時三十代後半なんだな
それぐらいの年齢で金と権力あったらそりゃムリもねぇべ