台北市の旧総督府をはじめ、日本統治時代の建築物が数多く残る台湾。近年、当地を襲った二度の大地震にもびくともしないその堅牢さと優美さ、そして台湾の人々の「日本統治時代は古き良き時代」とする思いから、今も大切に使われ続けています。
台湾出身の評論家・黄文雄さんは自身のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で、そんな建築物の数々を紹介しつつ、日本人の先達たちが苦難の末に台湾に築いた歴史的建造物や街並みを訪れ、日台の絆を再確認してほしいと記しています。
【日台】台湾各地で進む日本時代の建物の観光地化
日本では今、古い建物をリノベーションして新しく生まれかわらせるといった動きがブームになっていますが、台湾でもここ十年来、同じようなブームが続いています。台湾での古い建物といえば、やはり日本時代の建築物です。
日本の建築は基礎も造りもしっかりしているので長持ちするため、戦後70年以上経った今でも、台湾に残された日本時代の建築物の多くは健在です。しかし、老朽化が進んでいるのも事実です。そこで、リノベーションが登場するわけです。
ただ、日本好きの台湾人のことですから、多くの場合、建物の原型や良さを尊重し、それらを有効に残しながら、使いやすいように改善することが多いようです。その典型的な例をいくつか挙げてみましょう。
宜蘭設治記念館
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/c/7/c781d_1524_6758d2ea92d62ebfe6cb583176138efc.jpg
● 宜蘭設治記念館
台湾宜蘭県で、当時の行政長官「西郷菊次郎」(初代宜蘭県長)の官邸として建設された和洋折衷の建物です。歴代の行政長官が住んでいた官邸で、立派な建物の周囲には日本庭園や樹齢100年を超えるクスノキが保存されています。建材は、太平山から切り出された檜を使っており、建築史学上でも貴重な存在です。
この建物は、今は歴史館として、宜蘭県の200年に及ぶ歴史を学ぶ資料館になっています。また、同じ敷地内には、「舊宜蘭監獄門廳」「舊主秘公館」「舊農校校長宿舍」があり、「舊主秘公館」は日本料理店として活用されています。
舊宜蘭監獄門廳
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/4/1/41f88_1524_d2585487896513253cf409d5927df884.jpg
舊主秘公館
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/9/7/973f7_1524_2b30ac68b0ef5b11ec4facbf1310212d.jpg
写真をご覧になればお分かりになる通り、日本を意識した落ち着いた内装と、繊細な料理を提供しています。観光客が疲れた体をゆっくりと休めるにはちょうどいい場所です。「舊農校校長宿舍」は、今は宜蘭文學館という名前に変わっており、文化交流の場として解放されています。金城武が登場した中華電信のコマーシャルのロケ地としても有名です。
宜蘭文學館
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/6/7/67515_1524_4ff4fb3d4bdd84578b13b4c5b5c4a44a.jpg
この宜蘭設治記念館の周囲は観光地として多くの観光客が訪れる場所ですが、この観光エリアの中心になっているのは「シルクプレイス宜蘭」という大型リゾートホテルです。現代的な大型リゾートホテルを中心とした繁華街の中に、日本時代の建物群が存在するという、台湾の新旧の良さが両方味わえる観光地なのです。
● シルクプレイス宜蘭
もう一つ、日本統治時代のものをリノベーションして観光地化したものとして取り上げたい場所は花蓮です。花蓮は、1904年、賀田金三郎によって台湾で初めての日本人移民村「賀田村」ができた場所です。
賀田金三郎は山口県萩市に生まれ、大倉喜八郎の大倉組で頭角を表し、日清戦争後の台湾割譲により大倉組の台湾総支配人に就任しました。
その後、賀田金三郎は大倉組を辞職して賀田組を設立、マラリアが流行し、蕃人が現れる危険な地域であったうえに、不毛の地であった東部台湾において、樟脳製造や製糖、畜産業、運輸業などを興し、あらゆる面で近代化を図り、「東部開拓の父」とまで言われるようになった、台湾の近代化に寄与した功労者です。
民政長官の後藤新平とは肝胆相照らす仲だったといいます。
http://news.livedoor.com/article/detail/13645549/
(続く)
台湾出身の評論家・黄文雄さんは自身のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で、そんな建築物の数々を紹介しつつ、日本人の先達たちが苦難の末に台湾に築いた歴史的建造物や街並みを訪れ、日台の絆を再確認してほしいと記しています。
【日台】台湾各地で進む日本時代の建物の観光地化
日本では今、古い建物をリノベーションして新しく生まれかわらせるといった動きがブームになっていますが、台湾でもここ十年来、同じようなブームが続いています。台湾での古い建物といえば、やはり日本時代の建築物です。
日本の建築は基礎も造りもしっかりしているので長持ちするため、戦後70年以上経った今でも、台湾に残された日本時代の建築物の多くは健在です。しかし、老朽化が進んでいるのも事実です。そこで、リノベーションが登場するわけです。
ただ、日本好きの台湾人のことですから、多くの場合、建物の原型や良さを尊重し、それらを有効に残しながら、使いやすいように改善することが多いようです。その典型的な例をいくつか挙げてみましょう。
宜蘭設治記念館
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/c/7/c781d_1524_6758d2ea92d62ebfe6cb583176138efc.jpg
● 宜蘭設治記念館
台湾宜蘭県で、当時の行政長官「西郷菊次郎」(初代宜蘭県長)の官邸として建設された和洋折衷の建物です。歴代の行政長官が住んでいた官邸で、立派な建物の周囲には日本庭園や樹齢100年を超えるクスノキが保存されています。建材は、太平山から切り出された檜を使っており、建築史学上でも貴重な存在です。
この建物は、今は歴史館として、宜蘭県の200年に及ぶ歴史を学ぶ資料館になっています。また、同じ敷地内には、「舊宜蘭監獄門廳」「舊主秘公館」「舊農校校長宿舍」があり、「舊主秘公館」は日本料理店として活用されています。
舊宜蘭監獄門廳
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/4/1/41f88_1524_d2585487896513253cf409d5927df884.jpg
舊主秘公館
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写真をご覧になればお分かりになる通り、日本を意識した落ち着いた内装と、繊細な料理を提供しています。観光客が疲れた体をゆっくりと休めるにはちょうどいい場所です。「舊農校校長宿舍」は、今は宜蘭文學館という名前に変わっており、文化交流の場として解放されています。金城武が登場した中華電信のコマーシャルのロケ地としても有名です。
宜蘭文學館
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この宜蘭設治記念館の周囲は観光地として多くの観光客が訪れる場所ですが、この観光エリアの中心になっているのは「シルクプレイス宜蘭」という大型リゾートホテルです。現代的な大型リゾートホテルを中心とした繁華街の中に、日本時代の建物群が存在するという、台湾の新旧の良さが両方味わえる観光地なのです。
● シルクプレイス宜蘭
もう一つ、日本統治時代のものをリノベーションして観光地化したものとして取り上げたい場所は花蓮です。花蓮は、1904年、賀田金三郎によって台湾で初めての日本人移民村「賀田村」ができた場所です。
賀田金三郎は山口県萩市に生まれ、大倉喜八郎の大倉組で頭角を表し、日清戦争後の台湾割譲により大倉組の台湾総支配人に就任しました。
その後、賀田金三郎は大倉組を辞職して賀田組を設立、マラリアが流行し、蕃人が現れる危険な地域であったうえに、不毛の地であった東部台湾において、樟脳製造や製糖、畜産業、運輸業などを興し、あらゆる面で近代化を図り、「東部開拓の父」とまで言われるようになった、台湾の近代化に寄与した功労者です。
民政長官の後藤新平とは肝胆相照らす仲だったといいます。
http://news.livedoor.com/article/detail/13645549/
(続く)