0001仮面ウニダー ★2024/03/24(日) 03:44:57.08ID:T8CR7KaJ
■粛慎(みしはせ)の人々の「沈黙交易」とは?
新型コロナ蔓延後、唾液の拡散を防ぐためにマスクをすることは、最早当たり前。
そればかりか、商店や飲食店では一切掛け声もなく、無言のまま注文や支払いが完了することまで、
至極当然とみなされるようになったようである。無言のままの商行為が成り立つとなれば、まさしく、
「無言交易」あるいは「沈黙交易」とでも言い表せる、新たな文化到来かと言いたくなりそうである。
ところがこの「沈黙交易」なる商行為、実は今に始まったものではなかった。
北海道以北では、千数百年前あるいはそれ以前から、日常的に行われていたものだった。
その様子は、『日本書紀』にも記されている。斉明(さいめい)天皇6(660)年3月の条である。
この時、蝦夷討伐(えみしせいとう)のため、安倍比羅夫(あべのひらふ)が陸奥
(北海道ばかりか樺太にまで到達していたとの説も)に派遣されているが、
そこで粛慎国の人々が「沈黙交易」を行っていたというのだ。
比羅夫は、蝦夷ばかりか粛慎まで討伐しようとしていたのだが、その粛慎の人々をおびき寄せるため、
海岸に絹や武器、鉄などを置いて待ち構えたという。案の定、彼らがやってきて、それを黙って持ち去っていった。
ところが、その後、思いもせぬことが起きた。
何と、彼らが同じところに舞い戻ってきて、着ていた衣や布などをその代金だと言わんばかりに置いていったのだ。
もともと、そのような商行為が、彼らにとっては当たり前というべき物々交換の方法だったのである。
■北方から渡来してきた古モンゴロイド
ここに登場する粛慎なる国がどこにあったのかは、諸説あって定かではないが、海洋漁労民族・オホーツク人が暮らしていた
北海道北部から樺太、南千島あたりだったとみられている。
竪穴式住居に暮らしながら、アザラシやオットセイなどの海獣を食料としていたとも。
さらに熊を捕らえ、その毛皮を重要な交易品として、道東のアイヌなどと交易を行っていたようである。
この民族の先祖はロシアのアムール川流域とみられているが、その上流近くにあるバイカル湖といえば、
日本人起源説が取りざたされるブリアート人の居住地域である。
日本人の北方起源説、つまり石器時代に北方から古モンゴロイドが渡来して縄文人となり、
縄文時代晩期に南方から新モンゴロイドが渡来して弥生人になったとの説によれば、この辺りに暮らしていた古モンゴロイドが、
2万年前あたりまで地続きであったユーラシア大陸東端から、サハリン、北海道を経て日本列島全域に拡散。
これが、縄文人の根幹になった…とも考えられるのだ。
■コロポックルこそが日本人の先祖だったかも
さて、本題はここからである。この粛慎なるオホーツク人も、いつの頃(13世紀頃との説も)からか、
道東アイヌと同化あるいは駆逐されて姿を消してしまったようである。
その後は、この地域に住む人々も、アイヌと呼ばれるようになったという。
興味深いのが、その辺り一帯に言い伝えられてきた小人伝説である。
ここにアイヌが住み始める前から、コロポックルという名の背丈の低い人々が、蕗の葉で葺いた竪穴式住居で暮らしていたと
言い伝えられているのだ。
このコロポックルの存在を世に広めたのは、日本初の人類学者として知られる坪井正五郎(つぼいしょうごろう)といわれる。
日本石器時代人=コロポックル、つまり日本人の先祖はコロポックルだと唱えたのだ。
この説はその後多くの学者たちによって否定されたものの、近年、考古学者の瀬川拓郎氏によって、
再び見直されるようになっている。
ー後略ー
藤井勝彦
全文はソースから
3/18(月) 16:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee167d3c65c8a1b16a8941ec5722dd29de6efcf1
新型コロナ蔓延後、唾液の拡散を防ぐためにマスクをすることは、最早当たり前。
そればかりか、商店や飲食店では一切掛け声もなく、無言のまま注文や支払いが完了することまで、
至極当然とみなされるようになったようである。無言のままの商行為が成り立つとなれば、まさしく、
「無言交易」あるいは「沈黙交易」とでも言い表せる、新たな文化到来かと言いたくなりそうである。
ところがこの「沈黙交易」なる商行為、実は今に始まったものではなかった。
北海道以北では、千数百年前あるいはそれ以前から、日常的に行われていたものだった。
その様子は、『日本書紀』にも記されている。斉明(さいめい)天皇6(660)年3月の条である。
この時、蝦夷討伐(えみしせいとう)のため、安倍比羅夫(あべのひらふ)が陸奥
(北海道ばかりか樺太にまで到達していたとの説も)に派遣されているが、
そこで粛慎国の人々が「沈黙交易」を行っていたというのだ。
比羅夫は、蝦夷ばかりか粛慎まで討伐しようとしていたのだが、その粛慎の人々をおびき寄せるため、
海岸に絹や武器、鉄などを置いて待ち構えたという。案の定、彼らがやってきて、それを黙って持ち去っていった。
ところが、その後、思いもせぬことが起きた。
何と、彼らが同じところに舞い戻ってきて、着ていた衣や布などをその代金だと言わんばかりに置いていったのだ。
もともと、そのような商行為が、彼らにとっては当たり前というべき物々交換の方法だったのである。
■北方から渡来してきた古モンゴロイド
ここに登場する粛慎なる国がどこにあったのかは、諸説あって定かではないが、海洋漁労民族・オホーツク人が暮らしていた
北海道北部から樺太、南千島あたりだったとみられている。
竪穴式住居に暮らしながら、アザラシやオットセイなどの海獣を食料としていたとも。
さらに熊を捕らえ、その毛皮を重要な交易品として、道東のアイヌなどと交易を行っていたようである。
この民族の先祖はロシアのアムール川流域とみられているが、その上流近くにあるバイカル湖といえば、
日本人起源説が取りざたされるブリアート人の居住地域である。
日本人の北方起源説、つまり石器時代に北方から古モンゴロイドが渡来して縄文人となり、
縄文時代晩期に南方から新モンゴロイドが渡来して弥生人になったとの説によれば、この辺りに暮らしていた古モンゴロイドが、
2万年前あたりまで地続きであったユーラシア大陸東端から、サハリン、北海道を経て日本列島全域に拡散。
これが、縄文人の根幹になった…とも考えられるのだ。
■コロポックルこそが日本人の先祖だったかも
さて、本題はここからである。この粛慎なるオホーツク人も、いつの頃(13世紀頃との説も)からか、
道東アイヌと同化あるいは駆逐されて姿を消してしまったようである。
その後は、この地域に住む人々も、アイヌと呼ばれるようになったという。
興味深いのが、その辺り一帯に言い伝えられてきた小人伝説である。
ここにアイヌが住み始める前から、コロポックルという名の背丈の低い人々が、蕗の葉で葺いた竪穴式住居で暮らしていたと
言い伝えられているのだ。
このコロポックルの存在を世に広めたのは、日本初の人類学者として知られる坪井正五郎(つぼいしょうごろう)といわれる。
日本石器時代人=コロポックル、つまり日本人の先祖はコロポックルだと唱えたのだ。
この説はその後多くの学者たちによって否定されたものの、近年、考古学者の瀬川拓郎氏によって、
再び見直されるようになっている。
ー後略ー
藤井勝彦
全文はソースから
3/18(月) 16:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee167d3c65c8a1b16a8941ec5722dd29de6efcf1