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1964年シカゴ交響楽団(当時の指揮者はジャン・マルティノン)によるラヴィニア音楽祭の指揮者が急病により辞退。

急遽、ニューヨークにいた小澤が開催数日前に招聘され音楽監督として音楽祭を成功に収め、小澤の名声は全米に知れ渡る。

シカゴ交響楽団とはRCAレーベル、EMIレーベルに複数の録音を残した。

日本人指揮者が海外の一流オーケストラを指揮して海外の一流レコード会社からクラシック音楽録音を海外市場向けに複数発売したことは画期的な出来事であった。
1964年からはトロント交響楽団の指揮者に就任し1968年まで務める。

1966年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を初指揮。

1970年にはタングルウッド音楽祭の音楽監督に就任。

同年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任し1976年まで務めた。

1972年には、フジサンケイグループによる突然の日本フィルハーモニー交響楽団の解散後、
楽員による自主運営のオーケストラとして新日本フィルハーモニー交響楽団を創立。

小澤は指揮者として中心的な役割りを果たし、1991年に名誉芸術監督に就任、1999年9月から桂冠名誉指揮者となっている。
1972年に日本芸術院賞を受賞している。