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フルヴェンの文化的な側面は
彼が語らなかった同時代の「古臭い」哲学や芸術論のほうが雄弁に語っている側面がある。
例えば複製芸術論、想像の共同体、実存主義、これらが抽象的に語っていることを
フルヴェンは交響曲のもつ構成要素として舞台に乗せていたとうべきかもしれない。

例えば複製芸術論とは反対の行為をしているようでも、ベンヤミンの語るオーラの存在は
フルヴェンの録音において一番多くみられる。その複製品は今でも価値のあるものだ。
想像の共同体も、ドイツ特有の地域共同体(ゲマインデ)に依存しながら
彼のコンサートへの特別な信頼を考えると、メディアにおける共同体形成を夢見てる。
フルヴェンはフロイト流の心理学やニーチェ風の人神論も全く認めなかったが
日本における人気は、シュルレアリスムの無意識の造形、人間の可能性という
全く別の嗜好に満たされている。フルヴェンの指揮はコックリさんと同一視されよう。

足りないのは経済学と政治学の問題で、これらとは距離を置いて蔑視したが
逆にこれらの問題に苛まれる結果に陥っている。そこが人間臭くてよいのだけど。