魏志倭人伝では、繰り返し、繰り返し、「壹與」と記録された人物が、
奥山氏が邪馬台国畿内説の根拠としている後世の中国の文章では、「臺與」に変換されてしまっていることは、
重大な物事だね。
中国人は、意味ではなく発音記号として使用する文字を、試行錯誤したのだが、
そもそもの邪馬壹國を邪馬臺國と変換した全ての原因は、
発音についての推測からではなく、
後漢書の作者が、5世紀の大和王権のことを伝え聞き、魏志倭人伝の九州にあった邪馬壹を、畿内のヤマト=邪馬臺の、
誤記なのだと邪推し、下世話に、後漢書の作者の壹は臺の間違いだという邪推により、
邪馬臺と書き換えたことが始まりであり、
その後世、
邪馬壹國を邪馬臺國と変換してある後漢書を読んだ者が、邪馬壹國や壹與と書かれていた魏志倭人伝と読み比べ、
「魏志倭人伝時代の後から5世紀以前には「壹」の字の発音が変化し、魏志倭人伝時代の「壹」の発音は、「5世紀以降の壹の字の発音」とは異なり、「5世紀以降の臺の字の発音」と同じ発音だったのだ。」
と誤認し、
魏志倭人伝で倭人の固有名詞の音を表す文字である「壹」の字が、正確な発音としては時代遅れになったと考え、全て「臺」の字に変換してしまった可能性があるな。

梁書、、、629年 祁馬臺 臺與   「其後復立男王並受中國爵命」
隋書、、、636年 邪馬臺
案今名邪摩惟音之訛也。李賢。唐。。。676年
太平御覧魏志曰、、、、977年から983年 耶馬臺 臺舉