こんな国情であったから、ユダヤ人はその虐待に耐えることができず、自由の天地を米国に求め、移住した者は、西暦一八八二年から一九〇六年に至る二十五年間に、二百万人を突破した。この米国に移住したユダヤ人が、帝制ロシアに復讐として、革命を行うに至ったのである。まず、日露の戦いには、日本に金融その他の援助をして、抗ロシアをたすけた。当時は、米国の金融界は、完全にユダヤの独占である。また、ロシア内部からは、革命の直接行動を企てた。有名な話であるが、明石中佐(後の大将)が日露戦役中、スウェーデンに隠れて、ロシアの国内革命、混乱を使嗾したが、ユダヤ人との連絡があった。また、ユダヤ人が米国にいて、いかに反ロシア的態
こう形勢が変化すると、ユダヤ人の革命運動はますます火の手を上げ、レーニンはドイツから四千万金マルクの軍資金を携えてロシアに飛び込み、続いてニューヨーク下町で、腕をおさえて待っていた所のユダヤ革命家は、陸続としてロシア革命の舞台に登場し、一週間に八百人づつも入露したといわれた。またこれと共に、軍資金として各方面のユダヤ人から寄贈された。例のユダヤ人で米国の富豪ヤコフ、シップが公開した所でも、彼がロシア革命のテロリストに提供したところの軍資金は千二百万ドルであるという。もってその全貌をうかがうことが出来る。
その後ロシア国の大革命が、皇室、貴族、富豪その他の旧帝制時代の支配者を倒して惨虐の限りを尽くしたことは、読者もすでに知ることであろうし、また、筆するにさえ忍びないのである。ある日本人が革命直後、この惨虐について、
「いかに共産主義反対者であっても、君たちのやり方はあまりにひどいではないか。」
と詰問したら、彼答えて曰く、
「我々ユダヤ民族が数百年来、ロシアの貴族らに虐待されたことを考えるならば、我々の復讐は実に微々たるものである。」
この一事が、いかに、ロシア人とユダヤ人とが反目していたかが解るのである。そして革命政府の首脳者は、大部分ユダヤ人である。レーニン、トロツキー、ヨッフェ、カーメネフ、リトウィーノフなど皆どれもこれもしかりである。
ロシア革命の他に、ハンガリー、英国アイルランド、帝制ドイツの覆滅、一つとしてユダヤ人が活動していない所はない。最近、ドイツナチス運動が勃興するや、ユダヤ人の手からドイツを取り返すためにヒットラーのユダヤ人排斥となったもので、それがイタリアに及ぼし、現に問題となりつつあるのは前に記述した通りである。