>>568
日本側の正式名称は朝鮮聘礼使、朝鮮通信使は、日本が朝鮮に対して朝鮮側の呼称はこれを使ってと朝鮮に要求したもの。

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>正式名称を朝鮮聘礼使(ちょうせんへいれいし)と言う。その名の通り江戸幕府はこれを事実上の朝貢使節として扱っていた。
1636年(寛永13年・仁祖14年)の通信使
>通信使は柳川一件の翌年に、それまで柳川家主導で応対されていたものが対馬宗氏によって招かれた。これには幕府によって宗氏の力量が試されたという側面もある。ここにおいて接待、饗応の変更がなされた。これは日本側の主導によるもので、変更の骨子は、第一に、朝鮮側の国書で徳川将軍の呼称を日本国王から日本国大君に変更すること(この「大君」呼称の考案者は京都五山の高僧・玉峰光?である)、将軍側の国書では「日本国源家光」とした。第二に親書に記載される年紀の表記を干支から日本の年号に変更するということ、第三に使者の名称を朝鮮側が回答使兼刷還使から通信使に変更するというものである。