『仮面ライダー』生誕の地である東映・生田スタジオのドラマを描いた書籍『「仮面」に魅せられた男たち』(牧村康正著、講談社)が刊行された。
『仮面ライダー』制作当時、邦画界は大映の倒産危機に揺れていた。その影響は『仮面ライダー』のスタッフ集めにも影を落とす。
また『仮面ライダー』のスタッフは遠く韓国までおもむいて、特撮映画の指導を行っていたという。
ー中略ー
「まったく『ゴジラ』の真似ですね」
韓国初の怪獣映画『大怪獣ヨンガリ』(1967年)についてふれておこう。
日本の特撮映画が隣国でどう見られていたかを探るためである。
『大怪獣ヨンガリ』は韓国の極東フィルムと東映の共同製作で、ヨンガリのスーツ(着ぐるみ)は八木正夫が監修し、三上は特殊美術を担当した。
特撮専門の会社が仕事を確保するためには、海外市場も無視できなかったのである。
「『ヨンガリ』もまったく『ゴジラ』の真似ですね。プロデューサーがチャ・チジュンさんという人で、自動車会社の社長さんです。
だからカネは持っていたんですね。ただし、あのころ韓国は日本の映画を輸入できなかったんですよ。だからチャさんは日本まで見に来ていたわけです。
日本では怪獣映画が興行的に当たっていたから、チャさんは自分たちでつくろうと考えた。それで日本から技術者を呼んだんです。
だから韓国側は日本の指導を受ける立場だったけど、あそこも負けず嫌いの人が多いから『韓国に呼んでやる』みたいな感じでね。
特撮部分は全部われわれがやって、終わったあと、チャさんはぼくをなかなか日本に帰してくれないんですよ。三上は残ってポスターを描いていけ、といわれてね」(三上陸男)
日本文化の過度な流入を警戒していた
『「仮面」に魅せられた男たち』(牧村康正著、講談社)
67年当時の韓国は軍事政権下(朴正煕大統領)であり、日韓事情も現在とはだいぶ違っていた。
韓国は日本の経済支援によって〝漢江の奇跡〟を成し遂げつつあったが、同時に、日本文化の過度な流入を警戒していたのである。
日本が占領国であるアメリカの文化に抱いた憧れとはおよそ質が違っていた。
さらに三上の指摘どおり、『ヨンガリ』は設定、内容ともほとんど『ゴジラ』そのままである。
韓国内では一定の評価を得たものの興行成績は伸び悩んだ。しかし特撮の発展途上国だった韓国において、三上の技術やセンスは宝物だったに違いない。
三上を日本へ帰したがらなかった韓国側の気持ちはよく理解できる。
(『大怪獣ヨンガリ』は、2022年現在、ニコニコ動画など複数のサイトで鑑賞できる)
牧村 康正(フリージャーナリスト)
4/7(金) 7:03配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f83445666c4e1f88df71c3abf9074a4316aebdf1