「物理的存在」を「物理場における現象」であるとしても、
それは物理場における現象でしか捉えられない/捕らえられない。
これを解明する主体と同じ場に持ってくるか、主体側が同じ場にいかなければならない。
それを可能にするものは、現在のところ数学における「圏論」しかなく、
哲学フィールドには数学の「圏論」に相当するものがない。

「時間とは何か?」と考えるとき、その「時間」は、「時間とは何か?」という考えている「場」に
なければなければならない。
いま、問題となっているものは、そういうことだろうと思う。