時間とは何かの問い
時間とは何か、とは、極めて実存的な問いなのでは無いか。
これから、体験する時間に関して言えば、その時間が何であるかと、問うのは、極めて実存的である。
では、この実存の問いは、どう言う特徴を持っているのか。
また、これから体験する時間が、在ると認識して在る(存在する)と言う事態は、すでに極めて実存的である。
我々、実存する実存者にとって、問うと言う行為は、どのような構造をなしているのか。
実存する構造と時間
我々は現に、時間を何らかのものとして体験している。または、我々が体験している様々の事態は、時間のなかで捉えられている。
その体験に、すっかり現存在がはまり込んでいるなら、時間とは何かと問う事は無いだろう。
しかし、現存在は実存する者として、時間の問いから逃げ出す事は無いし、逃げ出せはしない。それは、実存の構造に起因する。