実存と真
さて、存在論が今では、実存論である。と言うのも、実存論的なそして実存的に、真であるものが真であるからである。
この事情は、ハイデガーの言う現象学に他ならないと思いますが、現象学を読んで無いので断定出来ません。
しかし、現象学的な真とは、我々実存する存在者にとって、そうとしか捉えられない、考えられない、と言う構造にあります。
現象学的な真、フィロソフィアにおける真
例えば、存在と時間と空間とは、別々に考えることが出来ません。つまりこの三つは同一の何かなのです。振動です。振動するヒモです。それが存在の究極的な形態であるのは現象学的な考察と一致します。