社会主義に憧れるのは能力が低い事が認められない人
プレカリアートは新自由主義政党に投票する。
そして新自由主義化を社会全体に行きわたらせ、労働者全体を地獄へと道連れにしたい。 資本主義か共産主義か、市場主義か再配分主義かは、右と左を分ける境界にはなりません。 自由の平等な分配が夢物語だった身分社会は近代社会よりも遥かに長い歴史を持っている。
保守主義とは身分社会の伝統を復活させること。 この世に万人のユートピアなんて存在しないが、個人的内心におけるそれは存在しうる。しかしそれがそれであることは誰にも証明できないし、証明する必要もない むしろ自分が優れておらず強運の持ち主でもないことを認めているからこそ社会主義者になるんだろう。
自分が平均以下であることを認められない奴が自由市場主義の信奉者になる。
無知のヴェールで考えられない奴は資本主義者になる。 ガザで殺されている子どもたち見れば分かる通り、この世はガチャで運で大半が決まっている
だから、その運任せで世界を放置しておくと、悪や不正義の温床になるので、
社会主義的な公共善に則り、社会格差などを是正していくのが政治の役割
これを倫理と言う 遺伝子、社会環境、家庭環境、生まれる場所や国、偶発性やアクシデント、病気、悲劇
すべて運で決まっている。通り魔に殺傷されるのも運だし、普通に歩いているだけで
がけ崩れに遭って生き埋めになるJKになるのも運。山登りで熊に襲われて死ぬ大学生も
そういう運の持ち主だったというだけの話。
大谷翔平は、野球で大活躍できる運を持っていただけのことであり、一般人が彼を
目指しても、到底、無理である。
そのため、物事を運任せにしておくと、社会格差がとんでもない状態に広がっていくので、
運の良し悪しを是正する倫理的なアプローチとして、社会主義的な政策が必須となる ペットにも運がある。とても可愛がられて、大切にしてくれる飼い主に当たるペットという
とても運が良いケースもあれば、虐待に近い状態や散歩も連れて行かないで
放置されるペットもいる。
こうして、生物というのは運という理不尽さやランダムな暴力に常に晒されているといえる
ペットや動物の虐待を止めさせるのは、動物倫理となり、それも社会主義の一つである 前世の業(カルマ)に関する信念は、特定の宗教や哲学に根ざすものであり、一般的な
信念ではありません。前世の業が運の良し悪しにどのように影響するかについては、
異なる宗教や信念体系で異なる説明がされています。
仏教では、前世で積み重ねたカルマが現世の運命や幸福に影響すると考えられています。
良いカルマを積んでいれば、幸運な出来事があるかもしれません。逆に、悪いカルマがあれば、不運な状況に直面するかもしれません。
ヒンドゥー教でも似たような考え方が存在し、サンスクリット語で「カルマ」という言葉が
使われます。前世での行動や意識が、現世の運命に影響を与えるとされています。 麻原彰晃は、自分が盲目であるのは前世の業によると、述べていた。
もし輪廻転生があった場合、死刑に処された麻原は、盲目だけでなく、もっと酷い状態で
生まれてくるのであろうか。あるいは、人間としてではなく、前世での罰として、虐待される動物として生まれて来たりするのであろうか。人間に使役されている過酷な状態にある動物など
いくらでも世界には存在しているので
ただ、人格者のヘレン・ケラーなどを見ると、前世での悪業の結果であのような重度障害者になったようには見えないので、やはり、単なるランダムな運によるのであろうか。
ホーキング博士だと、才能に関しては非常に運が強いが、病気に関して言えば、非常に運が
悪いと言えるので、こういうケースでも判断がしづらい
この辺りが、どうもはっきりしない。もちろん、輪廻転生の存在からして、はっきりしたことは
言えず、憶測にしかならないのだが アメリカの高学歴のリベラル派や大学生は、社会主義政策を支持している者が多い
民主党支持者層に被る
逆に低学歴やワープアが多い、田舎の州はトランプ支持層が多い 自由主義政策によって、100人中、ごく少数の者しか幸せになれない世界よりも、
社会主義政策によって、100人中、100人がそこそこ幸せになれる世界の方が
良いのではないかな?
社会主義政策には、運や偶然に左右されない倫理的な介入による利点があると
考えられる。ベンサムであれば、これが最大多数の最大幸福であり、功利主義と呼ばれる
ものになる むしろ新自由主義者は恵まれない人達を一生不幸にしておきたい人格異常か
低知能者だろう
他人が不幸でいることで喜び、安心する異常者が共産主義や社会主義を憎む 社会主義的なアプローチの方が生態系的にも好ましいだろう。
資本主義システムだと生産も消費も青天井になり、環境破壊そのものと化すから >>1 的に言う平等ってのはあくまでも「結果の平等」のようなこと。
それは全体主義的な弾圧的にその他大勢を同じにすることでしかないからな。
トクビルの19世紀社会主義批判を読めば解る。
ではない日本的に普遍的な平等とは
本人の個性や多様性的にも
或る領域に興味を持つとそこに達人が存在して、
それへの憧れ的に、対等になる意欲により努力した結果を言う。 それを達成して自由に使いこなせる満足を幸せと言う。
そうなれば、金に余り縁の無い運命でも
資本主義的な金に振り回されることも無く人生を豊かに出来る。
=道 まあ元々が社会主義ってのは
それを考えざるを得ない程に強者による弱者へ
弾圧的な収奪が酷かった弱肉強食な白人社会ゆえ。
その関連で自由とか平等とかが叫ばれたが
唯、抽象的でしかない人権だけはユダヤが絡んでるわけだ。
だから同じユダヤ人のハナ・アーレントが人権をこき下ろしてるから。 この板のオモロイところがこれ
17はオモロイこと言うわ。
全ては運と言っておきながらも最後は運任せだと収集がつかなくなるって?
オモロイこと言うわ。
収集が付かなくなるから社会主義にするとか?
あのな、その制度を変えた社会に生きることも運に織り込み済みや。
あ〜笑えるわ。 おっと、それは22も同様らしいので全てが同一人物によるものだろうね。
ちなみに俺のは27以降。