中国語において「任性」とは、「わがままである」ことを意味するとされる。
フランス語において《licencieux》は、「みだらである」ことを意味するとされる。
ドイツ語において»Lust«は、「欲望」を意味するものとされ、»nach Lust und Laune«は、「気の向くままに」を意味することになる。

さて、日本語の古語の「ま(任)けのまにま(随意)に」は、明白に「ゆる(許)しを与えられて意のままに」を表現していると考えられるが、上記の3つの例の場合とは異なり、この表現により伝はってくるのは、「わがままである」ことでも、「みだらである」ことでも、「気の向くままに」でもなく、むしろ、英語で表現するなら、"being at mercy of (the Lord)"と言い換へることができるような「感覚」である。
なぜ、どのようにして、そのような「ねじれ」が生じているのかについて、後でまた書き込むことにする。