言葉の機構ではなく、それを解する存在の宿命がある。そこでの関数は解を可能にする。仮に言語野における決定がマクロだと考えてみよう

絶対的な解が存在しても、相対的に捉えられ(恰も飲み終えたコーヒーのカップの記憶からコーヒーカップと名付けるように)、絶対的になる

哲学にできるのは『何か』を言わないことだ