フラメンコ・ギターが上手かったってのは本当なのか?
0432いつか名無しさんが2015/01/25(日) 10:10:15.64ID:PTkr4MzN
0433いつか名無しさんが2015/01/25(日) 16:03:06.43ID:PTkr4MzN
まともにギター弾けるのかよ?といちゃもんつけた聴衆の前で
華麗にフラメンコ・ギターを弾いてみせた、とかいうエピソードが残ってるけど、
これって要はなんちゃってフラメンコだったなんじゃねえの?という気がしてならない。
タモリの中国語とかキース・ジャレットのマネとか、あの類。
音楽で一番大事なのは「インパクト」なの!
ミュージシャン同士でこっそり頷く音楽よりも、リテナーが「スゲー」って
思う音楽の方が大事なの!
0437いつか名無しさんが2015/01/26(月) 00:08:14.18ID:+RS5fffq
当時はけっこういたであろうサックス吹きが、だんだん有名になり
死語に伝説になって復刻とか当時の録音をCDにしたり本で語られたり
する理由は、本人が持つなにかしらの魅力があったのが理由なんだと思う
早死にしたのも理由だろ、と嫌なことを言うこともできるとは思うが、
「技術も内容も実は大したもんじゃない」のにそこそこ有名になる理由が
確かにあるのは事実だ
0440いつか名無しさんが2015/05/08(金) 23:07:20.47ID:nk9wTiPG
>>438
>「技術も内容も実は大したもんじゃない」
お前サックス吹いたことないのが
丸わかりwww 0441いつか名無しさんが2015/05/13(水) 09:08:36.72ID:G1+CWNAM
>>440
438でカギカッコがついてるのは本人の発言でなく、一部の人から
そう言われていることを書いてるのに、それも読解できない馬鹿 >>441
お前今頃なにを必死になってんの?
頭大丈夫?なわけないわな
さっさと精神病院行ってこい! 0443いつか名無しさんが2015/05/15(金) 15:59:44.63ID:nLV//bgQ
>>442
人に的確に指摘されると、すぐ「必死」という馬鹿 ごちゃごちゃうるせえな
>>438から後のヤツみんな死んじまえ 高柳氏みたいなオーソドックスを超えたとこにあるフリーじゃなくて特化型だからね。
でも自分は好きです。
0448いつか名無しさんが2015/05/22(金) 03:13:31.20ID:GXuTYmtq
0449いつか名無しさんが2015/05/23(土) 19:51:45.92ID:g0/mgNWn
神格化完了済!
阿部薫asと高柳昌行egのduoは何作か1970年にすでに3枚発売されており
これを聴いてみると、上レスでの1970.7.9 Station' 70とは違い、まだ「合
奏」や「音楽」、あるいは「ジャズ」という意識が残存している。たとえば
『漸次照射』を聴けば、交互に音を埋める手法、互いの音を注意し、出てくる
構えから、音楽的にやろうという意識が透けてみえる。
01 - Gradually Projection [Pt. 3] (Gradually Projection, 1970) - Masayuki Takayanagi & Kaoru Abe
https://www.youtube.com/watch?v=08VnWnbB7jk
これはこれで名演であるし、互いの卓越した技術や音感が充溢した名盤
であるといえる。
しかし今改めて聴いてみて感じられるのは、ここでの音楽性が、むしろ
歴史的にジャズ史の中にもう収まってしまっている古典性・芸術性の方
なのである。卓越していることがむしろ、古典にしてしまっている。
2015的に聴こえるのはこういう構えでの「ジャズ=演奏」よりか、
構えを一切捨象したかのような無作法で無思慮な一斉演奏1970.7.9 Station'
70の方なのである。
ノイズ・ミュージックという領域の今的2015年的な意味合いに呼応する
ものが、後者の方により大きい。「ジャズ」とか「演奏」という概念で収ま
らない破壊的な何かであることで、むしろ今的である。その逆説があるよ
うな気がする。これはもう「音楽」とか「演奏」
というレベルでもない。別の「何か」になってしまっている。聴くに
耐えないといえばいえるかもしれない。しかし、ここにあるノイズでしか
表せない瓦礫としての心や感覚、叫び、自己意識、それは我々の中に明ら
かにあるもので、2015的というしかないものである。阿部の極北は実は
1970年のここにあった。そう言ってみたい。 阿部薫のことを「天才」みたいに言う人もいれば、「自己陶酔・低俗」
みたいに言う人もいる。
たとえばyahoo知恵袋に今も以下のような質問と回答が出てくる。「天才」
も「低俗」もどっちにしろ聴き手の主観以上ではない。にせよ、さすがに
耳の悪いが露骨なだけの意見というのは悲惨というか、しかも何故か
これが「ベスト・アンサー」の烙印が押されている不思議なことになって
いる。質問者は「ありがとうございます。一生聴きません!」とお礼を
言っている。この質問者は一回も聴いたことがないままこの回答者に
言われ、「ありがとうございます。もう聴きません!」と言っている。
こうやってその人の音楽体験が決まって行く、その分かれ目が見えた。
結局人が作品を選ぶと同時に作品も人を選ぶ。選ばれなかったという
だけのことなのだろうが。リスナーって何だ?とちょっと考える一瞬
だった。
「阿部薫」という伝説的なサックス奏者がいますよね?
あの人はホントに才能があったんですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1447561509;_ylt=A2RAqakkyGJVNRMAFY1c_PN7?pos=4&ccode=ofv 0453いつか名無しさんが2015/05/30(土) 11:14:16.80ID:3phxT5fx
まあ、その知恵袋の記事は、自分の耳と心で判断しようという
意志がない人の質問だからなあ
先に聴いてから「この音のどこがいいんですか」とか「感じ方が分からない
から教えてください」とかの質問をするなら、肯定する人の言葉が
引き出せて、質問者も考えて判断することも出来るだろうけど
ただ誰かが否定するのを聞いて、それだけを元に「聴きません」なんてのは
会ったこともない人のうわさ話だけ聞いてその人を好きになったり嫌いに
なったりするようなことでもあるし、どうしようもないね
しかし、こういう自分じゃなくて他人の評判をもとに音楽を聴くような人が
多いから、サムラゴウチゴーストライター事件がこんなに大騒ぎに
なってしまったとも言えるのではないかと、、、
他人の評判もそうだが海外の評判もある。日本でのみ知られて海外で
知られていない。評価されていない、をマイナス面として喧伝する
人間もいるわけだが。
「Babymetalは海外であれだけ売れているぞ。何で〜は海外で
評価されてないんだ。どうしたんだ?」的なね。海外で高評価されてる
ものは即素晴らしいと合点する。
あとまだある。「大御所があんなに高評価してるじゃないか」
Babymetalにもこれは関係してる。かまやつひろしがアレを「理解
しなきゃいけない。レディングまで出るのは凄い」と言ってるのを
知って「ムッシュがあれだけ言うbabymetalはやはり凄い。証明された
じゃないか」といい気になってるBabimetalオタクがいる。かまやつが
どう言おうと関係ないので。「大御所がこう言った」がああいうところ
にもまだ生きており、権威つけに貢献してる。しかし問題はああいう
発言があると真に受けて自分の耳をすぐに放棄してしまう
ってところにある。
自分での評価が音楽などすべて。他人の評価は参考にしかならない。
海外の評価といい大御所の評価といい、その手のを真に受けて
駆けずり回る、てのは他人ごとじゃないし気をつけなきゃいかんと
思ってる。
0456いつか名無しさんが2015/06/13(土) 23:01:52.98ID:CS+rCpRa
69年頃 阿部薫さんにはたくさん音楽の事を教えて頂きました。未だにサックスを吹いていられるのは
彼のおかげだと思っています。いまから考えると私の人生を変えた人です。CDでは実際の彼はわからない。
0457いつか名無しさんが2015/06/14(日) 07:29:08.19ID:RLHHBb6g
どなたですか?
Sさん?Oさん?Tさん?Mさん?
阿部と生前会った人の回想は色々だね。強烈過ぎて演奏以外では御免蒙る、
しかし阿部と交差した瞬間はその人の中でいまだに忘れられない瞬間に
なっちゃってる不思議がある。『阿部薫 1945-1978』に高柳昌行のコメント
が載ってないのも取材が行かなかった訳ないし、断るだけの事情があったわ
けでしょう。コンビ解消にまつわる愛憎というか。阿部は高柳に心中を或る
時求めていたのじゃないか。
死ぬまで音を発し続けられない者は音楽家じゃないと信じているような
ところがあったと思う。演奏しながら死に到ることが音楽家の本望。
「死ぬまで演奏」はないし演奏が終われば日常に戻るだけ。そこで阿部は
そのまま戻らないでいるのが本物だと思い込んでいたような感じが見える。
音楽への信仰である、と同時に共演者にとっては辛い。音楽への
殉教を求められるとしたら。
阿部にとって音楽の超-世界から日常に戻って行く瞬間は失望だったであ
ろう。そこに彼の死を解く鍵があると思う。
ちょっとジャズ界の尾崎豊みたいなところもあるね。早熟、早逝、天才、
自己破綻、…。ただ他者にたいする態度は尾崎の方が極端だね。彼は晩年、
猜疑心にかられ、妻にせよ仕事仲間にせよ、自分しか見てないこと、自分と
しか仕事をしないこと、絶対服従を要求し出した。それで随分多くの重要
なスタッフ-須藤晃、見城徹、田島照久など-から去られ、妻をもボロボロに
傷つけていた。晩年は病んでいたと尾崎が謂われる所以。
同じような早熟・早逝でも70年代と90年代の時代の差を感じますね。
ちょっと尾崎を擁護すると、晩年の異様な姿も、結局他界に一緒に行ける人間
を探していたのかな、て感じもある。服従要求というよりも、心中相手。しか
し、中々そうまでは同行はできない。その一種異常な愛が相手に求めさせていた
のかもしれない。その辺で阿部における音楽への信仰とも重なるかもしれない。
己の願望を共有したかったんだと。
0460いつか名無しさんが2015/06/27(土) 16:11:48.06ID:MfxlkYKF
まあ時代は変わったね
今となっては当時の音は音の素材として切り貼りしたりして
違う音楽の世界に利用される程度の扱いだ(ターンテーブルやサンプラー他)
またはギャグ扱いされるか
0463いつか名無しさんが2016/05/12(木) 09:33:58.38ID:R+nwZhzO
昔から2ちゃんスレでネタとして阿部をさんざんバカにしてきた者だが、本音をいうと大ファン。
個人的な事情では、大昔に惜譲した阿部音源を再入手するまでは蒐集家たちから
「デタラメ」として無視されてもらわなきゃならなかったから、
おれもデタラメ化工作を一生懸命にやった。
んが、こいつを本気でデタラメとか言ってるやつは、耳がかなり、相当に悪いと思う。
とくに「ノイズ」とか言ってるバカw
それと、何の関係もない、かすりもしない「尾崎豊」などをネタじゃなくマジで引き合いに出して阿部を論じてる低能w
阿部ほど独創的な、まさに極東の島国でしか生まれようのないアドリブラインを演奏したやつは他にいない。
井上敬三(ソロ)と阿部薫こそ、日本のジャズ界の秘宝。
0464いつか名無しさんが2017/07/16(日) 07:41:56.14ID:nffTlM6B
平たく言うと音楽ではないんです。安保の時代に要求された偶像でしょうね。何か時代を
模索、破壊するといった願望を彼が見せたんです。でたらめに出した音は音楽でないんですが、聞き手
が存在すると芸術になります。そこに意識の流れがあります。聞き手に思考させた、これは風の音、川のせせらぎ
と同じです。聞き手が意味を見出すんです。阿部が10人いらないですが、一人は必要だった。音楽、芸術を語るなかれ、
自分を思考せよ。そのテーゼを彼が提示したんです。
0465いつか名無しさんが2017/08/02(水) 22:19:28.76ID:Dfo3/qiZ
>>464
そうね。「でたらめに出した音」で合ってるといえば合ってるw彼の出す音は透明だし、良い
音です。しかし、ずっと聴いてると退屈なのは致し方ない。
彼の演奏聴いてて、変化がないというのは感じますね。延々続くインプロヴィゼーションて、
何て退屈なんだろう。途中色んな既製の楽曲を挿入したりすれば平板さも免れたと
思うが。そういう発想ってないんですね。あれを延々聴いてるって修業でしょうw
>安保の時代に要求された偶像
は当たってるでしょうね。
ただ、彼の演奏の背景に有ったろう怨みや憎悪や屈辱感、は時代と切り離せない。
と同時に今の僕らにも共感できるものは有る気がする。仕様もない政治や社会やの光景が
これでもかと流れてくる。そこで彼の存在がいまだに語られ、いまいち音楽的ではないあの
演奏が聴かれる。阿部が悲鳴のように、早口の叫びのように出す音が、今も聴かれるのは、
いまだに我々の中にどっか怒りが眠ってるからではないか。
youtubeにもUPされてる蓮舫司会の「pre-stage」であの人が何にも感じられないまま
頓珍漢なことばかり云ってたのが印象的で。怨みや憎悪や屈辱とは無縁な人には縁のない
演奏なんでしょうね。 >>465に「退屈」と書いたが、良く聴いてみると、やはり奇怪で屈折、狂気であるし、聴かせる
ものがあるんだね。恐ろしくまた美しい。恐ろしい表現なんだな彼のは。まさに〈底無しの深淵〉
とも言えるしね。聴き手を楽しませたり慰める勇気づける、そういった種類の音を目指しては
いないからね。 0467いつか名無しさんが2017/11/10(金) 14:25:27.32ID:nshkwdRF
私は安部と同世代です。あの音を聞くと思い出すんですよ。西日のあたる四畳半。
酒とマージャンしかない青春時代。何かに怒りを出す、振り、をしなければどうにも
ならない気がしてた。だから狂気こそジャズだと思ってた。でたらめでもいいんです。
大人にはなりたくないけど、時代を変えなければとも思ってた。でも方法はわからない。
それは自分に対するこじつけかもしれない。ぐちゃぐちゃな思いの毎日。それは今も
心の奥にある。安部を音楽として聞く人がいるのは意外でした。でも皆自分流で
いいんです。
0468いつか名無しさんが2018/04/28(土) 01:14:48.73ID:9rpF+QFG
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0469いつか名無しさんが2018/06/27(水) 15:59:12.12ID:okOpjwcz
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0470いつか名無しさんが2019/12/19(木) 23:10:22.90ID:GSwvXrL9
阿部さんはたまにライブ終了後に客とミーティングみたいのしてたらしいけどどんな話をしたのか興味ある
阿部はジャズ演奏に名を借りた過酷への参入である。自己の生身をさらすことによって
起こる、社会へのアンチテーゼ。それは表出行為でも創造行為でもなく歩む道が無限に
拡大する蟻地獄。途方もない虚無との直面。実現しながら破壊し破壊しながら実現させ
ていくという演奏行為。阿部そして観客にも達成も救済も解放もなく、何ものも与えな
かった。自己否定の繰り返し。その作業こそが唯一の彼の持続の意思である。
阿部にとってライブは単なる演奏行為ではない。それは自我の抑圧と呪縛を解き放つ闘
いのための武器なのであり、他者の強圧のもとにある自己を否定し超克する闘いの場で
あった。現世界の強制としての制度を解体する闘いの彼の戦略なのである。ロゴスの
アンチロゴスの地平に彼の闘いは開けてゆく。肉体と精神、現出性と現存性が激しく交差
するところの終末論的光景を現出させるものとしてあるのだ。
当時は今知られているフリージャズ演奏者以外にもっと多くのミュージシャンが
いた。その中で阿部薫の録音を残そうという動きがあったこと、うまいか下手か
よりも演奏をするんだという気概や気合いが録音に残っていてそれがスピーカー
から感じ取れることを、ありがたく感じる。今の音楽人の多くは当時より発達
していて真似して似たような音をやろうとすればできるかもしれない。でもそれは
やはり「二番め」であってトップバッターの心とは根本が違う。阿部薫のような
音を出す奏者は今後現れないと思う。すぐ逮捕されたりするかもしれないし、
今あのような音を出して耳を傾ける人もあんまりいないだろう。そういう意味で
過去の記録だから価値があるという面はあるかもしれない。今の人は小説や映画の
一シーンとしてかつて実在したサックス奏者を見て楽しむしかないかもしれない。
0478いつか名無しさんが2023/09/26(火) 16:06:17.29ID:MunuONCk