0001日本@名無史さん2010/09/20(月) 17:46:16
維新の志士を育てた吉田松蔭。
みんなの評価は?
長州萩の岩倉獄でも松陰の弟子金子が劣悪な環境で獄死している
奇兵隊の被差別部落隊員らは名札差別を受けた末に差別リストラ
抗議したら斬首
岩倉獄はアウシュビッツで長州はドイツナチスだな
>>445
自分で曲解しといてそれを人のせいにされても困るんだよねw バカだから理解できないのかな?
綱吉の時代、伝馬町で牢死者が多発した時は将軍が指示して食事・衛生環境を変えて改善してる
吉宗の時代の一時期なんてほぼ牢死が根絶されてる。
つまり牢獄に入れても衛生管理ができれば、牢死者多数なんてことにはならないんだよバーカw
>あれ、吉田松陰って関東の人だったっけ? おかしいな
ああすまん。国事犯は幕府が裁くとか、自首した下田は天領だとか奉行所が置かれてるとか
それくらいの議論の前提知識だと思ってたが、お前らバカで知るはずないの忘れてたわw
他ももう内容で反論できなくなりつつあるのが哀れというかなんというか 哀れなバカは自分から死刑になりに行った吉田松陰とアウシュビッツ。
0451日本@名無史さん2016/05/19(木) 06:21:15.33
>>441
刑事訴訟法もない即決裁判での処刑って旧ソ連の粛清より酷いんだが… 0452日本@名無史さん2016/05/19(木) 06:22:56.94
>>449
反論できなくなってるのはお前じゃね
明治以降の死刑宣告数を挙げられてからアウアウ状態だろ 0453日本@名無史さん2016/05/19(木) 06:28:01.81
アウシュビッツの主張
松陰は恵まれた揚屋に入り差し入れを貰い手紙も自由に出せるし同囚のいじめもなかった
しかし刑務所問題に憤慨した
そのわりには小伝馬獄の待遇改善の建白一通すら出さず帰萩後もほとんど関心を示してないのに討幕を決意した
結論 松陰はキチガイ
>>402
>GHQと極東裁判所でさえ1,000人以上に死刑宣告しただろが。
極東軍事裁判の死刑判決は7名だよ >>397
何か勘違いしてない?
戊辰戦争は明治2年には終結してるし、
内地での戦乱での責任者処罰なんて明治5年にはとっくに終わってる
明治3年から5年までって内乱罪での処刑が急増したわけじゃないよ
しかも宣告刑での死刑選択はその後も数百人という異常なペースで続いてる
1200人とか言う信じがたい水準まで達したのが明治3〜5年あたりというだけで江戸期に比べたら明治以降は凄いペースなんだぞ
これは明らかに一揆、集団請願などへの弾圧もふくむ厳罰化傾向
なぜそんなことになったかは一揆の発生率やその処理を見たら分かる
(明治になってから一揆はさらに増加してるし、その後いったん減少するが10年代に入って激増する)
江戸末期は慣例的に子供まで殺すことはなかったが武一騒動では子供殺されてる
つまり明治政府は徹底した弾圧に転じてるから死刑宣告数が異常な増加を見せてるんだよ
そして江戸期の刑法を廃止したうえ大逆の規定がなくなってしまったので
刑法に基づく裁判それ自体がないんだ。
ほぼ条理による裁判と処刑。 ↑がやや不正確だったので正確に説明すると
・謀反大逆条は置かれないから、処罰の根拠規定がない。
よって「内乱」に相当する人間は条理によって死刑を言い渡されるか、
ただし刑事法のルートに載せない(つまり殺害してしまう)ケースも相当あるから暗数となる
・一方で百姓や都市民の一揆・請願に対しては兇徒聚集罪により造意者に斬を厳格に適用する
・さらに同罪の従たる者でも殺人放火などを犯したら絞に処すると言う死刑の「幅」の拡大
つまり内乱の増加というより一揆の増加とそれに対する凄まじい厳罰、
さらにその厳罰傾向が一般犯罪にも反映されることで死刑宣告数が何十倍もにはねあがってるんだよ。
簡単に言えばひっとらえた奴を片っ端から吊るすか斬るかして強引に抑え込んでいってるのだよ。
江戸期のように刑罰の言渡の手続を守ってたらこんな異常なペースにはならない。
さらに付言すると、この年間1000人死刑宣告は新たな犯罪に対応するものであり
「溜まっていた未決囚」に対して下されたものではないから、刑事施設問題は未解決のまま、
いやもっと酷くなってる。
それが函館戦争の幹部たちが収容された明治2年の辰の口に一般重罪人が雑居してた理由。
松陰の頃と違って揚屋や大牢といった身分上の区別すら事実上ない。
おーおーw 今日も今日とてよくバカが騒ぐわw
>>451
だからお前は即決でも裁判をして殺すのは酷くて、未決のまま数万人を虐殺するのはおkなんだろ?W
もうバカというより人権を知らないカスだな。
>>453
ようやくまともな方のバカが出て来たが、バカはやっぱりバカだから添削してやる。
>松陰は恵まれた揚屋に入り差し入れを貰い手紙も自由に出せるし同囚のいじめもなかった
しかし『弟子の入れられた大牢では日に三人以上の死者がでており、弟子もこの牢獄で体調を崩した』
『松陰は未決囚の待遇改善すら出来ない幕府を見限るようになる』
>>452 >>449 >>455 >>456 >>456
だから何度も言わせるなよw 俺が問題にしてるのは伝馬町の惨劇が松陰の思考と事績に与えたか否か。
そこにお門違いの明治政府批判持ちだしてどうするw 別に明治政府が無罪だと言ってる訳じゃないのに。
バカって議論の訓練受けてないから被害妄想と自意識過剰でそういう論理のすり替えばっか得意だよねw
まあ付き合ってやらんこともないけど、初期の政権は厳罰傾向になるのはどこも一緒。多分理由はそれだけじゃないの?
お前らが初期明治政府を批判したいなら、初期の江戸幕府がどうだったか資料を示して教えてくれよ。
ちなみに初期の江戸幕府では山野永久が都合6,000人の罪人の試し切りを行ってるという資料がある。
また試し切り可能な死体は死因や身分で非常に限られるから、処刑の実数はかなり上になると予想できる。
プラス言えば明治政府が管轄した領域と江戸幕府が管轄した領域の比較や人口比の比較をする必要がある。
これらをソース付きで証明出来た上で、明治政府が江戸幕府に比して獰猛だったと結論付けられる。
バカじゃない限り、こんな基本くらいきちんと確認してから主張するだろうからさっさと俺に解説してくれ
初期江戸幕府の状況て結構興味あるからぜひ知りたいね。 0459日本@名無史さん2016/05/19(木) 13:10:15.49
アウシュビッツって今日もスレ荒らすの?
>>454
それA級戦犯容疑者の中での死刑確定者だろ
B級C級の容疑者では死刑判決は多い
つか実のところ、A級戦犯容疑者の死刑確定者もB級かC級の容疑でゴリ押ししての死刑確定だったはず 0462日本@名無史さん2016/05/19(木) 14:20:37.31
松陰は
国のために命を捧げる志士を自称しながら
牢屋の待遇が悪いから倒幕をしました
0463日本@名無史さん2016/05/19(木) 15:20:14.22
もし幕府が丁重にもてなしてたら幕府の犬になってたんだろうな
クズめ
0464日本@名無史さん2016/05/19(木) 17:44:03.06
ここ最近に出回ってる合成写真みたいなのはぜんぜん似てない
>>458
>『弟子の入れられた大牢では日に三人以上の死者がでており、弟子もこの牢獄で体調を崩した』
>『松陰は未決囚の待遇改善すら出来ない幕府を見限るようになる』
だからこの認識がそもそも間違ってるって。
松陰は帰萩後も幕府を諫めると言う立場を取ってるから、倒幕論とは一線を画してるんだわ。
密航の時にぶち込まれた獄の状況を見て幕府に絶望したならその後に倒幕論になってないとおかしいだろ。
いつまでこの刑務所論争やる気なの? 大体、松陰の書き物見ても伝馬町の獄がぎゅうぎゅう詰めで絶望した、幕府はもう終わりだなんてギャグみたいな結論は出てこねえよ。
松陰の時代には各藩の牢屋敷でも永牢を申し付けられて獄中で没する人間大勢いるんだし。
>>461
これも不正確だからついでに直しておくけど
極東軍事裁判で死刑判決は7人で、しかも全員、通例の戦争犯罪(B級)で有罪とされている
「B級C級でごり押した」のではなく、A級やC級で起訴したものの
結果的に立証がうまく行かず、従来から罰せられてきたB級に該当する人間しか極刑食らってないの。
だからBC級戦犯のほうが立証が容易で死刑がバンバン出るのは当たり前。 >初期の政権は厳罰傾向になるのはどこも一緒。多分理由はそれだけじゃないの?
いやお前今まで厳罰化否定してたじゃん
単に内乱件数の増加によるものだとか言ってたくせに、
今さら厳罰化認めるのかよ。だったらこの話はもう終わりだろ。
0469日本@名無史さん2016/05/19(木) 19:43:50.60
自称、国のためには死を恐れない志士
しかし牢屋が混んでたから激おこ
それが吉田松陰さん
松陰の書いたものを読んでると精神的ダメージが大きかったのは安政5年の投獄時
この時はリアルにうつ病状態
江戸に召喚されることが決まって逆に喜んだほど
そりゃ田舎の牢に閉じ込められてるより幕府の評定で所信述べてるほうが本望だからな
>>468
バカに物を教えるってホント大変だよね。
俺は最初から松陰の見た牢獄を問題にしてるのであって明治期云々はお前らバカが持ちだした話題だ。
で、俺は明治初期に厳罰傾向似合ったか知らないって言ってるんだ。
問題を持ちだしたのはお前なんだから厳罰化したか否かはお前が答えるんだよバカ。
だいたい処刑件数の増加=厳罰化とかいうのがバカ。厳罰の判断は江戸幕府と明治初期の政府の刑法の比較から求めるもの。
元々江戸幕府の治安維持能力は非常に低く、検挙率はかなり悪かったという資料もあり、処刑数の増加は検挙数の向上を示す物かも知れない。
プラス最低限後期江戸幕府による刑死牢死者と初期明治政府の管轄範囲と人口比率を用いた比較をしてようやく厳罰化したか分かる。
そういうことをソース付きの資料で開示して説明できれば、やっとバカは卒業だ。
断片的な都合のいい情報を持ってきて論じられるものじゃないんだよ。
俺は知らん。俺が知ってるのは江戸末期の伝馬町の惨状。
だがお前は明治政府が厳罰化したと知ってるんだろ? ソースの付いた情報を出して説明してくれよ。実際ちょっと興味ある。
ただそれをクリアしても江戸幕府は厳罰云々以前のレベルで、治安維持と法の適正運用すら出来ず
未決囚を大量に死なせたカスだということを肝に銘じろ。
残りは放っておいてもいいか 0472日本@名無史さん2016/05/19(木) 22:09:22.73
バカに日本語を教える先生ってホント大変だよね。
>厳罰傾向似合ったか知らないって言ってるんだ。
カースw
0473日本@名無史さん2016/05/19(木) 22:35:02.66
早く消えろアウシュビッツ
アウシュのおかげで松陰=ただのバカ
という結論が出たね。
0475日本@名無史さん2016/05/20(金) 00:42:59.28
牢屋にムカついて倒幕した男だから
差し入れができるアウシュビッツ。
アウシュビッツは楽ちんだった。
で、何の話をしてたんだっけw
アウシュビッツのせいで松陰が刑務所おたくという印象しかなくなった
>>477
ワロタ
しかも牢獄改善運動はしなかった教えなかったから、弟子どもが牢獄ぶちこむ立場になったらもっと酷くなったというオチ 牢屋絡みで言うなら、長州藩の安政5年の松陰投獄経過のほうが酷いんだよね
玉木文之進が辞職願を出して抵抗し、同時に松陰をなだめて謹慎という形で収まりかけたのに、
12月になり玉木がいなくなった途端に投獄を命ぜられている
罪名は何かと抗議した弟子たちも相手にされていない
松陰も当然抵抗したけど、健康を害していた父の看病という弱みがあってことを構えられず、
借牢願を出すことに同意せざるを得なくなった
松陰はこの段階で死を賜ってもいいと言ったので、父親の病状を逆手に取られたことになる
入牢を延期してくれたと言うのはその一部だけを切り取った間違いなんだよね
罪名不詳の入牢に同意する代わりに、せめて親を看病させてくれと言う願いが認められただけ
0481日本@名無史さん2016/05/21(土) 10:54:20.27
しばらく牢屋の話は聞きたくないw
0482日本@名無史さん2016/05/21(土) 13:37:48.39
吉田は中下級武士、神主、僧侶専用の牢屋に入れられた。
足軽の金子は武士と認められず庶民専用の牢屋に入れられ病気を悪化させた。
刑務所オタクだったんだろうな松陰は
自分自身も何回も入りたがってるし
松陰は刑務所オタクだった
そのために倒幕をした
もうこれでいいじゃん
0485日本@名無史さん2016/05/21(土) 14:08:14.78
鉄ヲタが列車に忍び込んで勝手に運転するようなものだな。
日本一の牢屋、伝馬町を極めた男として永久に歴史に残るよ
松陰も本望だろう
牢屋マニアの憧れの甲子園に2回出場したようなものだからな
0488日本@名無史さん2016/05/21(土) 20:13:53.10
w
アウシュがうるさいから西欧の刑務所事情も調べてみたけど、
伝馬町と大差ないな
自由刑(徒刑)が主流になるのは革命後だから、欧州の監獄も未決囚であふれかえっていた
0491日本@名無史さん2016/08/17(水) 21:36:51.26
牢屋の状態にキレただけで江戸幕府を打倒した男
これは偉人ですわ
0492日本@名無史さん2016/08/31(水) 23:45:59.94
安倍晋三が異常に心酔してるから、
田布施村の朝鮮人の可能性も考えたほうが良い。
吉田松陰。
刑務所マニアが嵩じて刑務所に入りたがった男。
趣味が実益を兼ねた男
松陰の著作なんて新興宗教の教祖が書くデタラメなテツガク書みたいなもんだな。
信者は自分の見たいものしか見ない的な意味で。
会沢正志斎と東湖がごちゃごちゃになった俗流水戸学に過ぎないのに。
0495日本@名無史さん2017/04/17(月) 12:48:14.75
長州は水戸薩摩に比べて政治活動のスタートが遅いから
ペリー来航直後にも俺たち色々やってたぜと張り合うためだけに
死んだ後で担ぎ出された人
幕府を倒したのは長州じゃない
ましてや松陰なんて全然関係ない
0497日本@名無史さん2017/06/19(月) 19:52:08.95
吉田松陰(幽囚録)
現代語訳
日は昇らなければ沈み、月は満ちなければ欠け、国は繁栄しなければ衰廃する。
よって、国をよく保つ者は、有る領土をむなしく失わないだけではなく、ない領土を増やすのである。
今、急いで軍備を整え、軍艦の計画を持ち、大砲の計画も充足すれば、すなわち北海道を開拓して諸侯を封建し、
間に乗じてカムチャツカ半島とオホーツクを取り、琉球を説得し謁見し理性的に交流して内諸侯とし、朝鮮に要求し質を納め貢を奉らせていた古代の盛時のようにし、
北は満州の地を分割し、南は台湾とルソン諸島を治め、しだい進取の勢いを示すべきだ。
その後、住民を愛撫し、国土を養い、辺境の守りに気を配って、つまり堅固によく国を維持するといえるのだ。
そうでなく諸国民が集まって争っている中で座りこみ、うまく行動することがなければ、国は㡬らかのうちに廃れるのだ。