>>176
会津藩遊撃隊は矢不来の戦いで消耗して当日は函館病院他で療養していた。
だから薩摩藩使者が諏訪常吉らを指名して函館病院に来ている。
つまり当日函館病院にいた会津藩遊撃隊という組織が
分身の術を使って放火したという証拠はどこにあるのかと聞いてるわけ。

つまり会津藩遊撃隊の「アリバイ」は薩摩藩側によっても確認されている。
当日、病院に来た薩摩藩使者は諏訪らが重傷で仲介を頼めないため、
急きょ高松凌雲に仲介を頼んだのだから。

重傷で面談もできないような患者が何で同じ日に函館市内で放火して回るのかと
そういう単純な指摘なんだが

しかも5月11日は官軍の総攻撃が始まった日
同時に病院にいて同時に放火できるような暇な日じゃない
放火があったとすれば前線部隊だが会津藩遊撃隊は後方にいる

かといって西郷頼母ら会津藩重臣は前線から離れてるので「放火」ができない
ならどの会津藩部隊が「放火」できたのかと具体的に聞いてるわけで。
部隊配置なり何なりから言ってみろよw