>>108
>景初三年(239年) 黄金塚古墳の画文帯神獣鏡や
正始元年(240年) 森尾古墳の三角縁神獣鏡あたり
景初や正始は卑弥呼が魏と使者のやり取りをした事が魏志倭人伝に書いてある


どちらも「大和」ではないから、大和説の根拠にならないし、
「卑弥呼が魏と使者のやり取りをした」というのも、
「景初三年(239年)と正始元年(240年)」は、
明帝の詔書は景初二年12月だから、明帝の下賜の銅鏡百枚ではないし、
「景初三年」は、使者もまだ列島に来ていないから、バツだし、
「正始元年」も、使者は、
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國(≒女王国)は北部九州」に拠って、
北部九州に来たのであるから、大和説はバツ。