箸墓遺跡周辺では東海、吉備、出雲、関東各地の土器がたくさんでてる
その土器に付着した炭素を調べて
箸墓遺跡は240〜260年に作られたという研究結果がでて論争になった
それはおいといて箸墓の王は
多くの地域から望まれて平和的に王になった可能性があって
卑弥呼が天皇のあるべき姿の象徴になった可能性がある

卑弥呼(百襲姫)が死んだあと崇神天皇は四道将軍を派遣して
武力で押さえ込んだ可能性があるけど
形態として卑弥呼の統治は天皇の理想とされた可能性がある