BC800年頃以前、満州で大豆栽培
-韓半島ではこれより先に作物として育て
-考古学的に豆満江流域が大豆原産地
-清州堆積土層から豆花粉化石出土
-年度測定結果、1万3千年前に遡及

◇大豆栽培の起源地も韓半島(豆満江流域)だ
『詩経』で大豆という表現は、「大豆を取り大豆を取り、角ばったかごにも丸かごにも入れます。」という、大豆摘み『采菽』という詩が出てきて、大豆の豆の字(菽)が出ている。ここで大豆の豆だが、大部分は祭祀の祭豆を意味している。『詩経』に出てくるこの『蔡淑詩歌』は、三国志上の荊州近くの揚子江中流と見ている。詩経とほぼ同じBC8世紀頃に著された『イリアード(Iliadxii)』でも、「豆の脱穀で、黒豆と豌豆が脱穀で作業場を飛び出すかのよう」という表現がある。

管仲(BC725~BC645)の著書、『管子』でも「戎菽」という地域が出てくる。BC623年、司馬遷の『史記』では、「齊は北で山戎を征伐して、孤竹國まで行って戎菽(オランケの大豆)を得て帰ってきた。」という記録から、「戎菽」という表現が再び出てくる。戎菽とは、「大豆(菽)を植えて食べるオランケ(戎)」または「オランケ(戎)たちが栽培して食べた大豆」という両義的な表現だった。実際、BC800年頃以前、既に満州と遼西地域で豆を栽培して、これより前に韓半島でも既に豆栽培が一般化された。

こうして考古書地学的な側面から見れば、豆満江流域がまさに大豆の原産地だ。考古生物学的証拠としては、忠清北道清州(チョンジュ)市清原(チョンウォン)区小路里(ソロリ)に旧石器時代の遺跡地がある。 間氷期堆積土層から大豆花粉(菽花粉)化石が出土した。年度を測定した結果、1万3千年前(1万3千b.p.)まで遡及した。考古学的出土遺物でも、大豆栽培の起源地が韓半島だという事実だ。また、古書誌学では稲が韓半島で栽培される以前に大豆が栽培されたと見ている。