邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1670066597/l50
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 0952日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:24:37.54
>女王国より以北は、特に一人の大率を置き、検察す。
とは帯方郡と倭国の間あった三韓内の国々のこと
馬韓・弁韓・辰韓に分けられ
馬韓54か国
弁韓12か国
辰韓12か国
これらの三韓自体は国としてまとまっていたわけではい
0953日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:25:58.76
>>947
畿内説でもないが
北東や西については書いていません。
行が飛んで東千里はあるけど? 後漢書における邪馬台国までの里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
(楽浪郡は)その(邪馬台国の)西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。
魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国(朝鮮半島南岸)まで七千里、(帯方郡から)女王国まで一万二千里。
※対馬海峡が三千里であるため、帯方郡から九州上陸までで一万里となり、上陸後二千里の邪馬台国の位置は九州北部になる。
>>947
伊都の大卒では語弊がある
女王国によって伊都国に置かれた一大率。ね 0956日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:26:34.32
>>949
中国側か日本側かどっちが不正するかわからないでしょ
女王の元に運んでから目録と違えばどっちが横領したかわかんねえじゃん 0957日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:27:14.80
>>954
なりません、方300、400里の
魏志倭人伝は無視ですか? >>953
伊都の大率は女王国以北を検察したとあるのですが?
この場合、畿内説だとどこのことか意味不明ですよ?
日琉祖語から日本語と琉球語が分岐したのが1700~1450年前と推定されますから、魏志倭人伝の時代はまだ一緒だったか分岐して間もなかったか
であればまだ、北をニシと呼称する人々が九州には残っていて、本州との間で齟齬が生じて方角がグッチャグチャになっていた。可能性がある
後世沖縄のニシバル(“北の領地”の意)を日本役人が勝手に西原と変えてしまったようにね
と我々畿内論者は解しております
実際に隋書倭国伝では方向修正が成されていますし 0960日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:29:44.83
>>958
畿内説でもないが
其餘旁國遠絶 不可得詳
次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國
では? アホの九州説は水行20日、水行10日・陸行1月を無視するのをやめなさい。稚拙ですよ。
>>956
伊都で確認したら、その問題は解決しますか?
畿内まで船で水行するなら、なぜわざわざ内陸の伊都まで荷を揚げるのですか? >>960
そこまで伊都に置かれた大率が検察して回ったと?
それは具体的にはどこのことですか?
大率は山陰地方まで支配していたのですか? 0964日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:32:40.56
>>962
卑弥呼がいるから、或いは不彌国にいるかも。
引き継いだから邪馬台国へ送ってちょうだいかもしれん 0965日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:32:53.90
伊都国上陸前の船上での事は日本側は責任を負えません
逆に上陸後の日本の行程では中国側は責任を負えませんて事でしょ
>>962
玄関口だからです
後世でも唐物は一度太宰府のあった博多湾に集合して、朝廷はそこに先買役人の唐物使を派遣し都に送りましたよね 0967日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:33:17.31
0968日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:34:11.59
>>960
傍系21カ国は本州四国瀬戸内海沿岸だと思うよ
つまり女王国の中であって一大率関係ない 0970日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:35:52.37
一大率が捜露する文書や賜遣の物は、女王が京都(洛陽)、帯方郡、諸韓国に送るもの以外は帯方郡の使者が女王に送るもの
監査を受けるのは中国の役人ということになる、一大率が中国の役人だからこそ取り締まりができる
伊都国は属国なので、女王国が使用している伊都国の津だけが女王国の玄関口
0972日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:37:26.50
>>969
北以外だから含むよ。
津に派遣、大倭も各地へ貿易監視
やはり一大率は本州女王国の命令で北九州全体を検察していたのです 0974日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:38:53.19
>>971
意味不明、各津(港)に派遣だよ。
中央官庁みたい所
後世にも
筑紫太宰
周防総領
吉備総領
が置かれますよね
結局後者2つは消えて筑紫太宰だけが生き残るわけですが、結構な広範囲を管轄していた事が伺えます 0976日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:40:33.21
伊都国は内陸ではない
これは絶対違う
・一大率を置いた国は女王国
・一大率を置かれた国は伊都国
・一大率を畏れているのは官に「ヒナモリ」がいる伊都国以外の九州諸国
と解します
中央から派遣される『宰(ミコトモチ)』は一大率と同じく恐れられていましたよね
そしてミコトモチを統べるヤマトのこの上なくやんごとなきお方は『スメラミコト』と呼ばれる様になった。と 帯方郡の使者が倭国に来た時に伊都国の津で(倭国側が)積荷の確認をするというのは、
伊都国の津までは帯方郡の使者が文書、賜物を持って来て
そこから先の女王国内は倭国の役人が伝送する
0980日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:47:30.28
0982日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:54:14.15
因みに俺は伊都国が女王の属国だと思ってない
伊都国の王こそが一大率
それじゃ不正が起こるだろうと思うかもしれんが
中国の使者や卑弥呼の後ろについてるのは魏の皇帝だからな
>>982
伊都国王が一大率に任命されたと
確かに面白いですね 伊都の大率が検察したのは、伊都ではなく伊都の周辺諸国です。
伊都に権力が集中していたのです。
0985日本@名無史さん2022/12/09(金) 00:59:03.82
伊都国王が軍隊を率いてたんでしょう
>>965
魏志倭人伝からは、対馬海峡の制海権は伊都の大率が掌握していました。
対馬海峡の渡海は倭人の船で行いました。魏志倭人伝には、その時の願掛け役の記事も載っています。
つまり伊都までの航路も倭国側の責任です。 0987日本@名無史さん2022/12/09(金) 01:01:37.07
一大率とは刺史のようなものだから
>>968
そうですよ。
大率は伊都から出かけて周辺を検察していて、それらの国々から畏怖されていたと魏志倭人伝に書かれています。
伊都から出かけて諸国を支配する様子が、刺史のようだと評されたのでしょう。 伊都国は一大国の3分の1しかない属国だから
伊都国王は郡使の世話が仕事だな
>>977
いいですね。
その場合、九州で最高の権力の座は伊都です。
そして本州は倭の別種と書かれていて、倭国の外です。 0992日本@名無史さん2022/12/09(金) 01:07:59.01
>>985
奴国だよ。人口比で見るとね
又、ヒナモリも卑弥呼、奴国。卑奴母離。 0993日本@名無史さん2022/12/09(金) 01:08:49.42
>>989
その女王が伊都の近くにいてもいいのですよ。
何せ卑弥呼は引きこもりで実務には興味がなさそうなので。
いやむしろ、卑弥呼が遠くにいたら、伊都国王や大率は卑弥呼に従う理由などないですよね。
>>992
ヒナモリは日本書紀にも登場する役職です
そんな適当な造語ではありません
>>994
女王の都する所は邪馬台国だと書いてありますね 伊都国は倭国最大の工業地帯だった。
だが工業地帯は単体で成立できない。
労働者の住居や、食糧生産の地域が付随する必要がある。
すなわち、単体の環濠集落で完結する国邑ではなく、複数の国邑が機能を分化させて担っていたのである。
これが連合国家または領域国家としての邪馬台国である。
そしてその中で最大の権威として周辺諸国から畏れられていたのが伊都国であった。
魏志倭人伝は、その支配機構を大率と記録している。
率は帥と同音同意であり、後世の大宰の帥と同じく、国王の代理人である。
郡使は常に伊都に滞在し、女王に謁見していた。女王が畿内にいたら不可能な話である。
>>997
そしてそれは楽浪帯方から一万二千里の九州北部です。
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