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邪馬台国畿内説 Part833
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001◆n7jxAxKCBhb6
垢版 |
2022/12/06(火) 17:45:01.20
 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。

 邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
 勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。

前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1670066597/l50

◆0【 要 旨 】  ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。

 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。

 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
 それは桜井市纒向以外にありえない。
0851日本@名無史さん
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2022/12/08(木) 22:44:58.87
>>846

魏志倭人伝に書かれた邪馬台国なる国を論じようというのに、その魏志倭人伝を無視して妄想しても仕方ない。
同時代の文献である魏志倭人伝を無視した推定など、妄想に過ぎない。
0852日本@名無史さん
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2022/12/08(木) 22:48:07.95
>>849
木製仮面とか毛人文化
地元以外の外来土器、伊勢東海、吉備とかね。
鉄は丹後、吉備 近江経由と
淡路島、香川、徳島経由、復興や開拓時代では?
纏向終われば次の現場へ。
0853日本@名無史さん
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2022/12/08(木) 22:48:17.29
>>842

そう。
卑弥呼が住んでいたとすれば、伊都国か不弥国だろうね。
筑紫伊都の高祖宮か、筑紫香椎宮ということになる。
香椎宮は卑弥呼とほぼ同時代とされる仲哀天皇や神功皇后の宮としても知られているため、その時代にはすでにあった可能性が高い。
0854日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 22:49:05.50
>>851
無視?鵜呑みにしないだけだからね
0855日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

>>853
何を言っているんだ
女王は邪馬台国に居ると書かれているではないか
0856日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

邪馬台国は女王の都する所ではなかったか?
0857日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 22:51:55.94
邪馬台国は北海道にあった。
0858日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 22:52:23.17
>>839

奴国の十分の一しか人口がない伊都国が奴国から大量の物資を移入して消費していたなら、奴国の庶民の数倍の豊かな暮らしをしていたことになるだろう。
つまり伊都にいたのは貴族や王族の階級だったということが考古学的に説明できる。
0859日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 22:54:26.87
>>835

さすがに伊都国から目と鼻の先の奴国と不弥国へは足を伸ばしたのだろう。
だからこの二国は里程も記録されている。
だから奴国二万戸は伝聞ではない。
0860日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 22:56:30.60
>>832

奈良が河内と交流が乏しかったのに、遥か遠くの帯方郡や洛陽など、夢のまた夢。
0862日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 22:57:54.72
こんなところに書き込んでないで、
ファーストガンダムでも見返したほうが、
面白くねえかい、みんな
0863日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

>>860
中継地点を無視してはいけない

伊都国。ここで外交文書や贈り物を確認し女王のもとへ伝送するとある
https://i.imgur.com/FN9PnNN.png

帯方郡→畿内へ直伝していたわけではない
0864日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 22:59:32.94
>>853
戸、家の違いも倭国独自かもしれない。
兵役義務とか税免除とかという説もある一方
宗がほとんど占めるのが家。混合するのが戸。
一大國、不彌国が家。

不盗竊少諍訟 其犯法 輕者没其妻子 重者没其「門戸及宗族」
より推測
0865日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 22:59:41.52
>>855

邪馬台国七万戸が複数の国邑を含む連合国または地域名なら、その女王が支配する地域の中に伊都国や奴国、不弥国が含まれているのは当然。
0866日本@名無史さん
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NGNG?2BP(1000)

>>865
それはおかしくない?
投馬と奴国で合計7万で残りも含めたらオーバーしますよ
やっぱり邪馬台国ノットイコール女王国なのですよ
0867日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:01:34.77
>>861
魏志倭人伝には
ヒナは都から遠く離れた地方とかの解釈はない。
0868日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:01:59.20
>>863

女王への献上品の確認をする、つまり荷を改めるとは、荷を解くこと。
これはつまり伊都国が最終目的地またはそのすぐ近くだからこそ。
もし畿内に運ぶなら、中間地点である伊都国で荷を改めるわけがない。
0869日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:04:37.10
>>868
なんで?
0870日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:04:56.51
>>866

邪馬台国は投馬国と列挙されているから、邪馬台国七万戸には投馬国五万戸は含まない。
投馬国が宮崎県都万を中心とする南 九州南部、邪馬台国が福岡県伊都を中心とする九州北部。
残りは海の東に倭種
0871日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:06:48.96
>>869

荷を解くのは、最終目的地において。
伊都の大率が荷を解いたなら、そこが終着地または限りなくその近く。
0872日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:07:09.78
伊都国で封泥を破って国書や荷物を開封するわけがない。そんな事をしたら斬首だ。
0873日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:08:37.96
>>871
だからなんで?
0874日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:09:15.84
伊都で中身を確認していたことが魏志倭人伝からわかる。
それが問題とならないのは、伊都が目的地の女王の王都である場合だけ。
陳寿は、間違いなく伊都を王都と想定して魏志倭人伝を書いている。
0876日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>>868
>数の違いや間違いは許されない
と書いておいた筈です

皇帝の詔書・金印や贈り物には皇帝の封印が押されています
当然これを開封できるのは贈られ倭国王だけで、開封しなくても中身が分るように、個々の荷物には荷札がついているもの
さらには、こうした贈り物には品物の格と序列に従って目録がついてくる
倭国王以外の人間が品物の確認をする場合は、絶対的な信頼性をもつ皇帝の封印・荷札・目録とを照合することになる
当然のこととして、荷札と目録が合っているかどうかを確認するのが一大率の仕事です

まさか役人如きが荷ほどきなどしません
0877日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:10:51.80
>>874
わかった。
卑弥呼が伊都国にいる。
0878日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:12:13.27
畿内説が罷り通るなら北海道説が出てきても不思議じゃ無いな
0879日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:12:46.95
いねーよ
0880日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:16:43.39
玄界灘沿岸で活動した海人族が筑紫の内陸部(田油津媛討伐)と朝鮮半島(三韓征伐、広開土王碑文)で勢力を伸ばし、畿内に進出して崇神朝を倒したのが応神朝
その応神朝から簒奪したのが継体天皇(黒幕は大伴金村)
当然応神朝の母体の九州勢力は認めず継体朝と戦争になったのが磐井の乱
応神朝が半島に持っていた領地を継体朝が百済に割譲したのが任那四県割譲
旧応神朝側が一族の手白香皇女が生んだ広庭皇子を担いで逆クーデターを起こし、継体天皇と二人の皇子(安閑・宣化とされている皇太子と皇子)を殺害して広庭が即位した
これが欽明天皇
百済本紀にAD531年に天皇と皇太子と皇子が倶に崩御と記載しているのがこの事件
欽明即位直後に大伴金村が失脚しているのもこの逆クーデターと同じ流れ(大伴金村もおそらく殺害されただろう)
0881日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:17:13.62
>>877
当然、まさか水行30日かけて行くような邪馬台国には行かないし、使者との交流等を考えると
伊都国になる。
邪馬台国は中心国でもないし重要ではない。
倭国の都や女王国の都の記述でなく
女王の都の記述
水行の行のみとなる。
0882日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:17:50.01
伊都国にいたのは幽閉され頭のハゲた古い世代の名前もない王だ。
0884日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:19:33.34
>>882
別に居てもいい。
0885日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:21:30.44
>>876

国書を伊都で確認したとはどういう意味なのか。
表書きに女王の宛名が開いてあるの確認して伝送するだけなら、それは他の中継地点の全てで行っていたはず。
しかし伊都においてわざわざ確認して女王に届けたとあるなら、女王の代理人が城の入り口ででも受け取り、それを城の中の卑弥呼に届けたということ。
もしかすると卑弥呼は漢文が読めなくて読み上げてもらったかもしれない。
いずれにしろ、そのような工程がすべて伊都で行われていた。
つまり卑弥呼は伊都にいたというのが、陳寿の理解。
0886日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>>885
いや受け取るのは女王国から伊都国に派遣された一大率なので、女王国に伝送されるという理解だったでしょう
0887日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:26:15.70
>>885
邪馬台国の水行から推測される。
中心国や重要なら方角も停泊場所も
細く記載すると思うが?
0888日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:26:27.30
>>840
奴国は二万戸、一戸4人とすると8万人 これだけで北九州の40,500人をオーバーしてしまいます
しかし歴史人口学の研究者は様々な要素を基に人口を科学的に推計している
古代から複数の時点での人口の推移も同時に考察している
魏志倭人伝を示してあなたの推定は間違っているとは指摘できません

興味深いのはこの場合、魏志倭人伝の戸数による推計の方が多めの人口になること
私の推計でも四国や南西諸島の分も考慮すれば、若干多めになります

ポイントは200年の人口推計値594,400人にさらに南西諸島と四国の人口を加算した値は九州には収まり切れないということ
0889日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

一大率は伊都国の人間じゃありませんよ
女王国が伊都国に一大率を派遣する
その一大率が贈り物を確認する


となったら女王国に送る以外ないでしょう
0890日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:28:53.67
邪馬台国論争は、陳寿がどのように理解していたかを考えなくてはいけない。
陳寿は、邪馬台国は帯方郡から一万二千里の彼方にあり、そのうち一万里で九州北岸なのである。
そして九州北部には後漢代まで王家があった倭奴国があり、その近くには玄界灘つまり倭国の領域の大半を支配する伊都国があった。
そこには女王の代理とも言える刺史の如き強大な将軍職としての大率がいて、引きこもり女王の代わりに周辺諸国の視察などを行う内政官である大率がいた。
0892日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:31:26.92
>>888
可5万、可7万、見積だよ。
実際にはないかもしれん。
開拓地要素と推測。
有力者がいない四国が投馬国。

其餘旁國遠絶 不可得詳
次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國・••••
は有力者がいる山陰山陽等だろう
0893日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:33:18.20
>>890
その内一万二千里は不彌国や奴国まで
投馬国、邪馬台国はさらに遠い
0894日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

投馬(ヅマ)國は出雲だと思います
魏志倭人伝では日本海航路を紹介したのでしょう
だから瀬戸内海沿岸諸国は傍系21カ国として特筆しなかった
0895日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:34:25.76
>>889

江戸時代の将軍様は江戸の人ではないという解釈が通じるだろうか?
江戸時代において、諸国を支配していたのは将軍がいた江戸であり、江戸が権力の座であった。
同様に、魏志倭人伝においては諸国を支配していたのは大率つまり将軍がいた伊都であり、伊都が権力の座であった。
0896日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:35:29.13
>>893

後漢書において、邪馬台国は楽浪郡から一万二千里とある。
魏略においても同様である。
0897日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>>893
そうもっと遠い

魏志倭人伝「烏奴國の次の奴國は女王の境界尽きる所」

つまり女王国は関門海峡以東。出雲・畿内・吉備連合!
0899日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>>895
いや刺史は地方に派遣される役人なんで
0900日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:37:29.12
>>897

女王国は九州内で終わるということ。
本州や四国は卑弥呼の支配域の外となる。
0901日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:37:35.24
>>894
見解異なる部分だな。
出雲 当時は杵国と思う。
0902日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:38:28.07
>>899

魏志倭人伝の他の記述を無視して、その決めつけにしがみついているのは見苦しく、根拠がない。
0903日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:39:42.63
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は之(一大率)を畏れ憚っている。
(一大率は)伊都国で(女王国から北の諸国を)常に治めていた。
(その様子は)魏で(皇帝が)刺史(を州に派遣し検察させて洛陽で治めているの)と同じようだ」の意味となる。

女王卑弥呼が一大率を任命して治めさせているのは自女王國以北(女王国を含む)の対馬海峡の国々である。
女王国が伊都よりずっと東の畿内にあったら、一大率が支配していたのは畿内とその北である若狭湾沿岸になってしまうが、伊都に置かれていたという記述と齟齬を生じる。
つまり女王国は伊都国を含まなくてはいけない。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県北西部の国だけである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国を含むことを示している。

倭に近い文化を持っていた百済には、大率や徳率などの中央官僚の官職があった。
邪馬台国では中央官僚は大率一つだけだったので一大率と魏志倭人伝に書かれたわけだ。
都から対馬海峡の国々を検察に出かける様子が、刺史のようだとされたのだろう。

「刺史」・・・地方を検察する中央官僚
「大率」・・・百済などにあった上級の中央官僚
0904日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

てか何回書いたか分からないんだけど

>「世有王皆統属女王国」
これを理解しやすくするため同じSVO型言語である英語に訳すと

At all times, there is a king.
Everyone belong to queendom.となる。

Everyoneってのは歴代の王の事
女王が女王国に統属するなんて成立しないだろ
伊都国に倭王はいないよ
0905日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:41:39.67
>>900
翡翠等で北陸も含むと推測
富士山の記述がないので
伊勢志麻から東海・関東が東千里
行って事がある倭国外の人から聞いたかもしれない

支配?共立なのに?
0906日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:42:57.80
>>904
英語変換が間違い
0907日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:47:42.41
陳寿は伊都またはその周辺を邪馬台国として書いているという前提で読むと、魏志倭人伝は非常に素直に読める。
畿内説の抵抗は、刺史は地方官という決めつけくらいなものである。
仮に伊都が女王のいるところでなかったとしても、邪馬台国が帯方郡と交流していた証拠が提示できない纏向になることはあり得ないのだけども。
0908日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:48:09.72
「世有王皆統属女王国」
理解しやすくするため同じSVO型言語である英語に訳すと
At all times, there is a king.
Everyone belong to queendom.
となる。
代々の倭王は全て伊都国にいて、全ての者は女王国(伊都国)に統属した。
0909日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:48:10.59
卑弥呼は鬼道を行って初めて卑弥呼たるもの
卑弥呼の鬼道と呼ばれたものは三輪山の大物主神の語ることを人々に伝えること
卑弥呼が三輪山を離れた場所で暮らすという想定は考えられない
0910日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:49:08.99
>>905

北陸なんぞ含んだら、楽浪帯方から邪馬台国まで一万二千里でなくなってしまう。
却下
0911日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:51:17.68
>>909
三輪山の勢力つまり纏向遺跡の主たちは、帯方郡と交流がなかった。
交流があったというならその証拠を出せ。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:53:31.97
>>909

三輪山に鬼道があろうがなかろうが、陳寿の耳には入らない。
魏の使いの報告書には記載されない。
邪馬台国とは関係ない。
0913日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:54:37.61
一大率は帯方郡が任命したもの
卑弥呼が任命したものであれば大和言葉の音を漢字で表した官命となるだろう
卑奴母離は夷守(ひなもり)の音だけを漢字で表したもの
0914日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:55:46.34
>>908
さらに理解不能。
0915日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:57:35.30
>>910
邪馬台国まで万二千里余の記述は魏志倭人伝にはない。後漢書にはあるが范曄の解釈である。
0916日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:58:05.05
>>904

Everyoneが王というのは考えにくい。
Every king? All king?
それならそのように書くだろう。
だが異なった時代の王について、卑弥呼に統属するというのもおかしな話である。
伊都の王とやらが卑弥呼とは別にいたとしても、同時代は一人だから、わざわざEveryoneとするのも不自然。
単にEveryoneと書くなら、唯一無二の存在である女王以外の全ての者の意味に相違ない。
0917日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史

North of queendom, especially Queen places 一大率 that maintains order of countries, that frightens them and that usually governs 伊都国


で、一大率が伊都国だって?SVO構造を意識して読解しましょうや
0918日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/08(木) 23:59:46.27
>>917
なんで英語なんだ?
0920日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>>916
クイーンダムは女王ではなく女王国ですよ
歴代王様が居て、彼らはみんな女王国に統属していた。

そう書かれているだけです
0921日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:00:47.34
>>915

後漢書と魏志倭人伝は同じ元資料を使っている。
そこにある里程の内訳だけを陳寿は記載した。
まさか1000年以上も経って、足し算すらろくにできない畿内説などという読み方が出てくるのは想定外だったろう。
0922日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:01:51.71
>>912
鬼道という言葉は魏志倭人伝に書かれているもの
0923日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:02:05.64
>>920
だよね。なんでわざわざ
、何回も英語が出てくる。
0924日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:03:47.10
>>923
続き
余計に理解不能になる。
0925日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:04:39.81
>>917

usually governs at 伊都
だろ。
大率が検察して回る対象は女王国から北の国々とあり、伊都ではない。
0927日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:05:21.30
>>921
畿内説でもないが
ぜんぜん、想定内
だが?
0928日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:06:47.59
>>925
又、英語か?
0929日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:07:11.71
>>920

伊都に代々倭王がいて、卑弥呼の時代は女王国だから王ではなく女王と書いてあるだけで、代々の王には卑弥呼も含まれるのですよ。
伊都が代々の倭王の王都であると陳寿は高らかに宣言しているのに、まさかこんな馬鹿な誤読をされるとは思ってもいなかったはず。
0930日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:08:04.95
>>929
はず?
0931日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:08:08.63
>>926
文章をよく読んで!
>三角縁神獣鏡があらわれる前の3世紀前葉には、神獣鏡類の画文帯神獣鏡と呼ばれる中国鏡が畿内を中心に出土している。
0932日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>>925
常治伊都国って書いてあるじゃないですか
「治O」は、後ろに来るOを統治するって用法以外ないですよ
0933日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:08:32.40
>>927

後漢書における邪馬台国までの里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
(楽浪郡は)その西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。
0934日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:09:23.17
>>933
だから范曄の解釈。
0935日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:10:15.37
>>932

じゃあ大率が女王国以北を検察したという文章とどう整合性を取るのですか?
この場合の女王国から北とは、実際の地理でどのあたりのことですか?
0936日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:11:18.49
>>934

彼の解釈は陳寿のそれと一致してますよ。
後漢書は三国志より後に書かれ、三国志と整合性が取れるようになっています。
0937日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:11:32.94
>>935
女王国から北とあったけ?
0938日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:11:59.07
伊都国まで運ぶのが中国側の責任、それ以降は日本側の責任て事だよ
確認は横領を防ぐため
0939日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:12:50.47
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

女王国より北の国々に対しては、一人の大率を特設して検察している。
北の国々は大率を畏れ憚っている。
大率の役所は伊都国に常設してある。
中国本土における刺史のような「検察官の役目」を果たしている。

・里程部分で既に地方官の説明がなされている
・自女王國以北とあるので、女王国よりはもっと北の諸国に焦点がある
・大率の業務についての説明は検察官のものだけ
・三国志では「治+場所」はその場所に役所を構えるという意味が多い

女王国=邪馬台国の首都である伊都に、
邪馬台国政庁(国会議事堂:女王卑弥呼や大臣達)
伊都国都庁(都庁:都知事爾支と部下たち)
大率執務室(検察庁:検察官大率→北方諸国巡回でほとんど伊都にはいないが)
などなどの重要官庁が集中していた。

刺史は本来は領地を持たないただの「検察官」であり、
首都から派遣されて各国を巡回し、年に1回首都に戻って報告していた。
大率の職務も同じ検察官。

中国大陸は広いので、報告するのに刺史本人でなく使者を立てるようになり、
本来の地方官と居座った刺史の二重権力を解消するために、結局は刺史や牧が地方官になった。
邪馬台国とその北の諸国であれば、対馬海峡を行き来するだけだから、
大率は伊都国に執務室を構えて、そこから各国へ行き来して検察していただけ。
0940日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>>916
>Everyoneが王というのは考えにくい。
Every king? All king?
それならそのように書くだろう。



ほら、これが日本人の考え方でしょ
漢文は直前に出した主語は省略しますよ。基本です
0941日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

一つの文に何度も王王王王王書きません
0942日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:17:15.89
>>936
狗奴国は?字も違う、方向も違う
魏志倭人伝
今、使訳通ずるところは三十国
その(倭の)北岸、狗邪韓国に到る

後漢書倭伝
今、使訳通ずるところは三十国
その北岸、狗邪韓国に到る 使駅、漢に通ずるは三十許国
その西北界、狗邪韓国を去ること七千余里
と一致しない点等が多々あるが?
0943日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:17:30.34
>>938

そんなことは魏志倭人伝に書いてありません。
国境は狗邪韓国ですし。
女王の元まで郡使を案内してその安全を確保するのは、ホスト国である倭国の義務です。
郡使に万が一のことがあり卑弥呼の元まで辿り着かなければ、対応した役人の首が飛びます。
郡使が運ぶ女王への献上品も同じ。
郡使は、無事に女王がいる伊都までちきんと荷が運ばれているのを見て感心していたのです。
で?
その郡使は伊都に滞在して、卑弥呼のところまで行ったのですか?
卑弥呼に会えたのですか?
卑弥呼に会うまでの里程はどこに記載されているのですか?
0944日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:19:40.67
>>939
自女王國以北とあるので、女王国よりはもっと北の諸国に焦点がある?

対馬国より北にあったけ?
0945日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>>943
そもそも女王国まで1万2000余里なんだから帯方郡から10500里の伊都国が女王国なわけないじゃん
0946日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:21:30.52
>>943
何のために確認するんだよ?
皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯  
0947日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:21:55.48
>>944

伊都国が女王国なら、伊都の大率が検察した女王国以北は狗邪韓国、対馬、壱岐あたりでしょう。
では畿内説なら?
0948日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>>929
いや女王国まで12000余里なんで
伊都国は女王国に含まれませんよ

やっぱり女王国が伊都国に一大率置いてたんすよ
いい加減認めましょうや
0949日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:22:54.76
>>946

こちらが聞きたい。
何のために途中地点の伊都でわざわざ確認するのか?
畿内説だと不合理です。
0950日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:23:49.59
恐らく伊都の港に入港する前の船上で確認してるね
0951日本@名無史さん
垢版 |
NGNG?2BP(1000)

>>949
後身の太宰府と同じ役割を果たしていたからです
帯方郡使が常に往来し~という記述を見ても分かるとおり、伊都国が倭国の正門だったのです
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。

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