0001日本@名無史さん2024/04/30(火) 11:20:37.19
<お願い>
・常時age進行でお願いします。
・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
・既に専門スレがあったり、板違いの質問があったりする場合は、速やかに誘導してください。
・過度な論争は自粛してください。
・質問が続くようでしたら,「名前」欄に「最初の質問のレス番号数字」を入れることをお奨めします。
・このスレでは過度な論争は自粛してください。政治的な主張の場ではありません。
・煽り質問もままあります。スルーしてください。
※前スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart53【歓迎】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1714101349/ 0477日本@名無史さん2024/06/13(木) 04:30:04.98
こいつ「忍者は超人的な体術を使っていた!ソースはマンガ!」とか思ってそう
0478日本@名無史さん2024/06/13(木) 04:31:08.79
ペリー遠征記を読んでないのに、書いてないことを書いてあるって言ってた人かな
方違神社は、建前的に、摂津国にも河内国にも和泉国にも属してなかったので、
住所不定で、堺奉行の干渉をはねのけていたのでしょうか?
0480日本@名無史さん2024/06/13(木) 09:36:45.17
0481日本@名無史さん2024/06/13(木) 10:07:58.90
>>474
平安貴族はフランス革命の頃のフランス貴族と並んで衛生観念がなく、フランス貴族同様にろくに風呂に入らなかったし、屋敷にトイレはなく、用を足した後隠部をろくに吹かず、体臭を誤魔化すために絶えずお香を炊いていた(フランス貴族は香水をふりかけていた)。
まだ古代の神話の時代の方が水浴をするヤマトタケルとイズモタケルのエピソードがあるように衛生観念というものがあった。
あと「家の造りは夏を旨とすべし」の時代だったので寒さへの耐性と対策はそれなりにあったし、日中はともかく朝から雪が積もるような日は放射冷却がないので京都のような盆地では特に冬の晴れた日の朝よりも暖かく感じただろう。 >>480
遠隔地の寺社奉行が、上位の大坂城代の管轄地域の傍について、自由に裁量を振るえたのですか?
寺社奉行を滞りなく務めて大坂城代に出世する人が多かったのに、前任者に指図できるんでしょうか? 0483日本@名無史さん2024/06/13(木) 15:04:55.77
0484日本@名無史さん2024/06/13(木) 15:07:29.87
>>442
バラされて悔しい悔しいウンコ食い孔子学院の南支那グロテスクブタニグロ乙(嘲笑
ウンコを食べるのも中国文化だがな
嘗糞(しょうふん、サンブン、상분)とは、人間の便を舐めて、その味によって
診断する方法。古代中国や朝鮮半島の李氏朝鮮時代まで行われたともいわれる。
儒教では、親に対して行う場合孝行の一種ととらえられ、説話が残されている。
中国
故事「嘗糞憂心」
排泄物による診断の記録は、春秋時代、越王勾践が呉王夫差の下で捕囚の身にある時、
勾践が夫差に完全に臣従したと思わせるために、病床の夫差の便を嘗めて病気がじきに
治ると言ったという逸話が『呉越春秋・勾践入臣外伝』に見られる。この逸話を
由来として「嘗糞」は「人にへつらい恥を知らないこと」としても使われ、お世辞の
度が過ぎる輩の事を「嘗糞之徒」という[1]。また、その味は苦かったとされ[2]、
苦い熊の胆を舐めこの恥辱を忘れないとの「嘗胆(臥薪嘗胆)」の逸話に通じる。
その後、南北朝時代や唐代の説話にも見受けられる。『二十四孝』や『日記説話』に
よれば、南斉時代に庾黔婁という役人が父親が病気になったので帰郷すると、医者に
便を嘗めてみないと状態が解らないと言われた。庾黔婁は簡単なことだと言って
舐めてみると、味が違ったので父の死を悟り、北斗七星に父の身代わりになることを
祈ったという「嘗糞憂心」の故事が残っている。『二十四孝』は、日本では御伽草子や
寺子屋の教材にも採用されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%97%E7%B3%9E
. 0485日本@名無史さん2024/06/13(木) 15:07:57.11
>>482
あれ、寺社奉行って三奉行の中で最上位じゃなかったの? >>474
>いつもは雪が高く積もったら御格子(窓の格子)を開けて外の空気が入るようにしていたのでしょうか?
香炉峰の雪の元ネタが簾を掲げてみるだったので、外側の御格子を下して内側の簾のみにした。
>いくら十二単を着ていたとはいえ寒くはなかったのでしょうか
寒いことは寒いが、室内にも衣紋掛けに着物を掛けて囲いを張り巡らしていた。
>この時代に冬場は風呂に入って暖まるということはしていたでしょうか
まだこの時代は蒸し風呂が主流。湯たんぽや熱した石を使って暖をとっていた。 0487ネトウヨボクメツ隊!2024/06/13(木) 22:34:25.19
維新は自民党補完勢力
関西人は騙されている
本当に信頼できる野党とは日本共産党、立憲民主党、社民党、れいわ新撰組のような政党を指すのである
藤原摂関家と北条得宗家、皆さんどちらに生まれたかったですか?
0489日本@名無史さん2024/06/14(金) 06:14:28.63
>>474
枕草子の原文の「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子参りて」の解釈にはいくつかの説があります
質問のように、寒いのに普通格子を開けておくだろうか?という疑問をもつ人は「を」を順接と捉え、「のに」でなく「ので」と解釈しています
「雪がとても高く降り積もっているので、ふだんと違って御格子を下ろし申しあげて」
質問文のように「のに」と解釈する人は、雪が降っていたら当然見たいから、雪が積もった時はいつも格子を開けているはず、という感覚の人の場合ですね
もともとの白居易の漢詩は「左遷されたけど朝寝しながら山の雪を眺められる。田舎も良いところじゃないか」という趣旨で、それを定子の没落と重ね合わせて書いたエピソードですが、没落前か後かは不明
没落前なら、庭の雪景色も美しいだろうから、格子を上げて見たいだろうという発想になるし、没落後なら、格子を上げても外は貧相な景色だから、寒さを避けて格子を下げておくだろうという発想になり、解釈が変わってきます 0490日本@名無史さん2024/06/14(金) 14:57:04.86
自作自演スレw
>>481
昔の人間ってどうやってウンコのあとアナルを拭いていたのか?と思うけど、拭いてないというケースもあるのか 0492日本@名無史さん2024/06/15(土) 06:34:58.93
>>491
非肉食の日本人は便が緩めだったから何らかの手段で拭いていたと思うが、紙をケツ拭きに使えるのは江戸期以降だと思うからどうしてたのかね >>483
大坂城代と堺奉行の管轄地域に隣接しているから。堺奉行は大坂城代の部下だし。 0494日本@名無史さん2024/06/15(土) 09:08:27.91
>>479
そもそも江戸時代にはクニざかいは形骸化してて領地境界にしてないとこも多いんだから、関係なくないか? 0495日本@名無史さん2024/06/15(土) 09:15:32.51
>>485
堺奉行と寺社奉行の上下は判らん、
堺奉行は大坂城代の下。
寺社奉行を務めあげると、出世コースで、大坂城代もしくは京都所司代、勤め上げると、そのあとは老中に。 0497日本@名無史さん2024/06/15(土) 10:39:52.10
0500日本@名無史さん2024/06/15(土) 14:06:24.81
>>491
【道元禅師「正法眼蔵」洗浄の巻より現代語訳】
(途中より)
便所の中に入って、左手で戸を閉める。次に、桶おけの水を少しばかり便器の中に移す。次に、桶を正面の桶を置く場所に置く。次に、立ったまま便器に向かって、三回、右手の指を弾はじいて鳴らすべきである。右手の指を弾いて鳴らす時、左手は握って左腰に付けておく。次に、下半身を覆う法衣の裾すそを短くして、便所の戸の方を向いて、便器にまたがり、かがんで、排泄する。便器の外を汚す事なかれ。排泄している間は黙っているべきである。壁を隔てて他人と話して笑ったり、独りで声を上げて歌ったりする事なかれ。涙や鼻水や唾つばなどで汚す事なかれ。力み過ぎる事なかれ。便所の壁に字を書いてはいけない。木のへらで地面に線を描く事なかれ。
排泄後、木のへらを使うべきである。また、紙を使う法も有るが、使用済みの紙を用いてはいけない。字が書かれた紙を用いてはいけない。未使用の木のへらと使用済みの木のへらを区別するべきである。木のへらは八寸の長さで三角に作る。太さは手の親指の大きさである。漆うるしを塗った物も有るし、塗っていない物も有る。使用済みの木のへらは、使用済みの木のへら用のごみ箱に投げ捨てておく。未使用の木のへらは、未使用の木のへらを置く台に有る。未使用の木のへらを置く台は、便器よりも最も手前の辺りに置かれている。
木のへらや紙を使った後、洗浄する法は、右手に桶おけを持って左手をよく濡ぬらした後、左手で水を掬すくう形を作って水を受けて、まず、三回、左手で小便を洗浄する。次に、左手で大便を洗う。洗浄の法の通りにして清らかに清潔にするべきである。水で左手で洗浄している間、手荒く桶おけを傾けて水を手以外にこぼして水を早く失う事なかれ。
水による洗浄が終わったら、桶おけを正面の桶を置く場所に置いて、木のへらを取って左手で拭ぬぐって乾かす。または、木のへらを紙で拭ふいて乾かすべきである。左手か紙で、二つの排泄器官をよく拭ふいて乾かすべきである。次に、右手で下半身を覆う法衣の裾すそを引いて整えて、右手で桶おけを持って、便所を出て、便所用の履物はきものを脱いで自分の履物を履はく。次に、桶おけの台に行って、桶おけを本の場所に置く。
次に、手を洗浄する。…
(以下略) 0501日本@名無史さん2024/06/15(土) 14:44:51.18
>>442
バラされて悔しい悔しいウンコ食い孔子学院の南支那グロテスクブタニグロ乙(嘲笑
ウンコを食べるのも中国文化だがな
嘗糞(しょうふん、サンブン、상분)とは、人間の便を舐めて、その味によって
診断する方法。古代中国や朝鮮半島の李氏朝鮮時代まで行われたともいわれる。
儒教では、親に対して行う場合孝行の一種ととらえられ、説話が残されている。
中国
故事「嘗糞憂心」
排泄物による診断の記録は、春秋時代、越王勾践が呉王夫差の下で捕囚の身にある時、
勾践が夫差に完全に臣従したと思わせるために、病床の夫差の便を嘗めて病気がじきに
治ると言ったという逸話が『呉越春秋・勾践入臣外伝』に見られる。この逸話を
由来として「嘗糞」は「人にへつらい恥を知らないこと」としても使われ、お世辞の
度が過ぎる輩の事を「嘗糞之徒」という[1]。また、その味は苦かったとされ[2]、
苦い熊の胆を舐めこの恥辱を忘れないとの「嘗胆(臥薪嘗胆)」の逸話に通じる。
その後、南北朝時代や唐代の説話にも見受けられる。『二十四孝』や『日記説話』に
よれば、南斉時代に庾黔婁という役人が父親が病気になったので帰郷すると、医者に
便を嘗めてみないと状態が解らないと言われた。庾黔婁は簡単なことだと言って
舐めてみると、味が違ったので父の死を悟り、北斗七星に父の身代わりになることを
祈ったという「嘗糞憂心」の故事が残っている。『二十四孝』は、日本では御伽草子や
寺子屋の教材にも採用されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%97%E7%B3%9E
. >>494
形骸化しているか???
大名やら旗本やら知行の安堵状から寺請の人別帳から商工民の認可に書く住所からしてみんな
ナニ国ナニ郡ナニ村字ナントカ
だったろ。
統治したのが大名だからって、大名の名前だの藩だのが住所に使われたことやら、明治になるまでなかった。
例外的に、京、大坂、江戸の市街地部分は、郡を省いている。国までは省かないから、江戸なんてスプロール化したところまで
下総国から剥ぎ取って武蔵国に入れなおしたりしてたろ。
堺のようなそこそこ発展していて、且つ、二国にまたがっている場合にも、
摂津国住吉郡堺北荘鉄砲町一丁
とか
和泉国鳳郡堺南之荘甲斐町
とか、住所振ってたし、総社も、堺北荘は住吉大社、南之荘は大鳥大社だった。 >>500
寺院は使い捨ての木のヘラか
結構な量になりそうやけど、後で燃料にするのかもしれんな
他はどうなんやろ
農家 商家 武家・・・ >>459>>462
ありがとうございました
時代区分の境界だとか、細かい解釈などは現在でも揉めてる部分はあるでしょうが、
おおよその時代区分のベースが決まったのは明治時代で合ってますよね? >>458
爪痕を残すと意気込んでいて、それが派閥政治に勝ち残ると。
昔からそう伝わっているものに、いや違うといい、
「偉い先生の言うことだから……」と従ってしまう。
例を挙げると
豊臣秀吉の正妻の名が。昔から伝わっているのが「ねヽ」、新たな爪痕系が「おね」
鎌倉時代の始まりが、昔から伝わっているのが承久三年(1192年)、新たな爪痕系が1185年
近頃では、「聖徳太子とされる摂政皇子は存在しなかった」みたいな大胆なのもあるでよ。 0506日本@名無史さん2024/06/16(日) 07:02:57.39
>近頃では、「聖徳太子とされる摂政皇子は存在しなかった」みたいな大胆なのもあるでよ。
麦茶噴いたw
オジイチャン。3・40年も前から言われている事は、近頃じゃないでしょ
近頃はボケが進んでいく一方なんだから
0508日本@名無史さん2024/06/16(日) 17:40:18.33
まあ、日本書紀は、聖徳太子が死んでから100年くらい後に書かれているから、話をモリモリに盛ってるやろ。
厩戸王子は、蘇我氏の言いなりやったんやろな。
つか、蘇我氏の方が大王 オオキミ で中大兄皇子が、○して乗っ取りしたんじゃないのかね。
根本的な問題は
聖徳太子がいないという理屈は
ナザレのイエスはいても
イエス・キリストはいないということになっちゃうんだけど
それは誰も言わないんだよね
0511日本@名無史さん2024/06/17(月) 01:01:55.05
>>510
根本的にその2つがどう同じなのかわからんわ >>510
じゃあ、天皇はゴムマスク人間になってるって事になるけど、良いの? 0513日本@名無史さん2024/06/17(月) 17:15:02.60
縄文式土器は土器の特徴を集約したようなネーミングで素晴らしいと思いますが、弥生式土器は縄文式土器ではないタイプの土器が出土した地名から名付けられました
ネーミングとしては安易に過ぎると思っています
縄文式土器に比してシンプルな特徴などを集約したネーミングにするべきだったと思います
地名から名付けようとしたのは歴史学会などの総意なのでしょうか?誰か権威のある学者の発案とかですか?
0515日本@名無史さん2024/06/17(月) 21:12:42.82
>>514
弥生式土器に特に特徴ないから
縄文式土器から土師器の間の土器は最初に発見されたとされる地名にちなんでそう呼ばれてるだけ 0516日本@名無史さん2024/06/17(月) 21:43:30.18
>>442
バラされて悔しい悔しいウンコ食い孔子学院の南支那グロテスクブタニグロ乙(嘲笑
ウンコを食べるのも中国文化だがな
嘗糞(しょうふん、サンブン、상분)とは、人間の便を舐めて、その味によって
診断する方法。古代中国や朝鮮半島の李氏朝鮮時代まで行われたともいわれる。
儒教では、親に対して行う場合孝行の一種ととらえられ、説話が残されている。
中国
故事「嘗糞憂心」
排泄物による診断の記録は、春秋時代、越王勾践が呉王夫差の下で捕囚の身にある時、
勾践が夫差に完全に臣従したと思わせるために、病床の夫差の便を嘗めて病気がじきに
治ると言ったという逸話が『呉越春秋・勾践入臣外伝』に見られる。この逸話を
由来として「嘗糞」は「人にへつらい恥を知らないこと」としても使われ、お世辞の
度が過ぎる輩の事を「嘗糞之徒」という[1]。また、その味は苦かったとされ[2]、
苦い熊の胆を舐めこの恥辱を忘れないとの「嘗胆(臥薪嘗胆)」の逸話に通じる。
その後、南北朝時代や唐代の説話にも見受けられる。『二十四孝』や『日記説話』に
よれば、南斉時代に庾黔婁という役人が父親が病気になったので帰郷すると、医者に
便を嘗めてみないと状態が解らないと言われた。庾黔婁は簡単なことだと言って
舐めてみると、味が違ったので父の死を悟り、北斗七星に父の身代わりになることを
祈ったという「嘗糞憂心」の故事が残っている。『二十四孝』は、日本では御伽草子や
寺子屋の教材にも採用されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%97%E7%B3%9E
. 今は縄文土器だから縄文時代、弥生土器たから弥生時代ではなく
縄文時代だから縄文土器、弥生時代だから弥生土器に変わってる
縄文時代と弥生時代の違いは完成された水田稲作農耕の存否
0518日本@名無史さん2024/06/17(月) 22:00:25.43
文様が縄文によるものではない縄文土器、
縄文がついた弥生土器、土師器とか見つかってるしな
0519日本@名無史さん2024/06/17(月) 22:06:20.17
0520日本@名無史さん2024/06/17(月) 22:34:54.91
>>514
当時考古学の研究してた東大の人らにとっては、こんなに近所で見つかるなんて!がいちばん衝撃だったんだから仕方ない 0521日本@名無史さん2024/06/17(月) 22:44:53.87
>>514への様々なレス、ありがとうございました
個人的に、出土品の地名でネーミングするのは安易に過ぎると言いたかったのです 0524日本@名無史さん2024/06/18(火) 02:47:25.08
>>514
紋様なしの縄文式土器みたいなのもたくさんあるんだけど? 0525日本@名無史さん2024/06/18(火) 02:49:02.56
>>523
いや、ユウス式とかイタツキ式とか地名で呼ばれてるのばかりだと思うけど 0526日本@名無史さん2024/06/18(火) 03:10:26.95
>>522
見つかってるってより普通にあるよってこと 0527日本@名無史さん2024/06/18(火) 05:42:38.98