【イレイザーヘッド】柄谷行人を解体する75【の現在】

0001デヴィッド・リンチ先生2024/01/01(月) 17:11:17.560
            _,,  ---一 ー- ,,,_
   、_,,,, _,, -.'"           ` 、
 ミ三ミ三ミ三ミミ        俺エホバー  ヽ_,
-==三ミ彡三ミミ     ,,=-==     ==、 iミ=-、_
_,,ンミミ三ミ三ミミ]  -彡-一 ー-、 r一 ーミ、|ミミ三ミ=-'
_, -==彡ミ彡ミミミ|  ン| ,=て)> (|ー| ,て)>、 ||三ミ彡==-'
_,彡彡三ミ三ミミレ'~ .|. '     |  ヽ   `  |ミ三彡三=-、  
(_彡三ミ彡ミミミ'   ヽ、    ノ   \__ノiミ彡ミ三=ー  ストレート100%アロエジュース  うちに沢山余ってるの   
ー-=二三ンーミミミ     `ー /(_r-、r-_)   .|彡ミ三=-、
)(_ミ彡ミ| i' ヽヽミ       | : : : __ : :__: :i   .|彡ミ三=-、_         買わないか?    
と彡ミ彡ミヽヽ<ヽミミ      |: ン=-ニ-ヽ、   .|彡ミ三==-   
 彡ミ彡ミミヽ  ) `    、 .' <=ェェェェェン |    |彡ン=-=           
 -==彡三ミ `ーヽ : : : : : :i: :  `ー--一''  : : ノミ三==''
 '' てノこミ彡三ミ`i : : : : : :ヽ: : : .      .:, :/ミ三=-、      
   '' 三ミ=三三ミ|ヾ、: : : : :ヽ: : : : : : : : :_ノ:./三=-'
     -=='' ̄て.|  : : : : : :::::: ̄ ̄ ̄:::::::::|彡


Eraserhead - Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=J0Eq5GtCYdA


ちなみに、例えば「綺麗になる」って目標が有るとしましょう
ダイレクトで「綺麗になる」って、できないことにみなさん気がつきましたか?
「綺麗になる」にはその一歩前の「条件」が必要なんです

「ストレートアロエジュースを飲む」には、アロエジュースを購入するという「条件」が必要なんです
そしてその「条件」が成立するには、さらに一歩手前の「条件」が必要なんです

なにがいいたいかというと、「聖霊に赦される」ためには「点」ではなく「線形」で捉える必要があります
いきなり「聖霊に赦される」ってがんばっても、ほぼ失敗に終わります
なぜなら「聖霊に赦される」ための「条件」がわかってないし、「条件」が満たされていないからです

0630考える名無しさん2024/05/03(金) 14:38:54.980
血によらないイエの観念は中世辺り以降の比較的新しいものであって、古くは神はその血を継いだ子孫(勿論神話上の)に祭祀されなければ祟るものだった
日本書紀において倭大国魂神をその子孫でない皇女が祀ったところ皇女は痩せ細り、代わりに当神子孫の市磯長尾市に祀らせると異変は終わったというエピソードがある(ちなみに市磯長尾市は倭国造一族の者で国造となっているためその嫡流であったろう)
また例えば天児屋命には妻がいて比売神と呼ばれ付属ではあるが個として祀られている(春日大社など)
全ての魂が融合したり「血縁関係の遠近、養子や結婚による縁組、あるいは、生きていたときの力や貢献度とは関係がなく、平等に扱われる」ような牧歌的な弛緩の感じはそこにはない
あと「霊が生まれ変わってくることもある」というのは仏教伝来以後の話ではないのか 
古代日本には神が乗り移る話は多々あるが仏教説話でもないのに転生してくる話は寡聞にして知らない

0631考える名無しさん ころころ2024/05/03(金) 14:49:38.930
ことバンク

氏族神
しぞくしん

氏族の守護神。共通の祖先が神格化した場合が多いが,動植物を祖先と考えるトーテム信仰であることもあり,また祖先とまったく関係のない神が共同に祀られることもある。いずれにしても,その神を祀る人々や集団の利害に深い影響を及ぼすと信じられており,各種の儀礼が行われる。 (→氏神 )

0632考える名無しさん2024/05/03(金) 14:58:33.660
柄谷行人『遊動論』の「山人=原遊動民」というのは、
旧石器時代のお話になるので、ことに日本では、そもそも史料になるような証拠がなくて、実証も反実証もできないので、
ほとんど、どうとでもいえるわけね。
ただし、どうとでもいえるにしても、つじつまはあっていなければならず、
理論としての整合性というのはなければならないだろう。
柄谷の場合は、その理論が支離滅裂だから、はなから問題外なのである。

0633考える名無しさん2024/05/03(金) 15:04:38.800
>>632
なるほど
『生者と祖霊との相互的信頼は互酬的なものではなく「いわば愛にもとづく関係である」と柄谷は指摘する。さらに「固有信仰」の背景には、「富と権力の不平等や葛藤がないような社会があった」とし、それは「水田稲作農民の共同体ではなく、それ以前の遊動民の社会である。』
↑意味が分からなくてずっと考えていたが無駄だったのか

0634考える名無しさん2024/05/03(金) 16:16:41.200
柄谷行人は、山人=原遊動民の社会は、氏族社会ではないという。
そもそも、集団がそれぞれの祖霊等を氏神として祀ることで集団の紐帯を保つような在り方をしているのを指して氏族社会というのではないか、
という突っ込みを入れた書評がなかったのがふしぎなのである。

0635考える名無しさん2024/05/03(金) 16:19:39.490
氏族社会(読み)しぞくしゃかい
精選版 日本国語大辞典 「氏族社会」の意味・読み・例文・類語
しぞく‐しゃかい ‥シャクヮイ【氏族社会】

〘名〙 氏族が生活の基本的な単位となっている社会。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「氏族社会」の解説
氏族社会
しぞくしゃかい

氏族を構成原理とする原始共同体的な社会
氏族とは父系または母系を通じてその出身を同じくする成員が,同祖観念によって広く結合した血縁的集団をさす。

0636考える名無しさん2024/05/03(金) 16:21:18.870
「同祖観念によって広く結合した血縁的集団」

この「同祖観念」というのが、氏神、トーテムを含む氏族神だろう。

0637考える名無しさん2024/05/03(金) 16:29:18.060
柄谷節では、氏神を祀っている非氏族社会、
トラウマのない反復強迫、
矛盾がないか、矛盾が決して解決されないのに、揚棄(止揚)される、
とか訳の分からない「理論」が頻出する。
「綺麗は汚い、汚いは綺麗」(『マクベス』の魔女のセリフ)
お芝居のセリフならいいかもしれないけれども、これを「理論」というわけにはいかないだろう。

0638考える名無しさん2024/05/03(金) 19:40:08.840
サックリ言うと、柳田国男の山人への言及を柄谷はアナキズムへの導入にしたかったんだろう。
柳田国男の「山の人生」の終わりの方に、柳田の「山人」の要旨がある。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/52505_50610.html
これが書かれた1917年の7年前の1910年が幸徳秋水の幸徳事件で翌年に死刑執行。
柳田は治者の側から幸徳事件を見たんだろうが。
日本のような細長く小さな島の山国では山人は同時に海人でもある。
幕末の土佐の最奥の山人は朝早く家を出て海近くの高知城下の塾に来て学び、
昼過ぎに塾を出て日が沈んでから、家に帰り付いたという。

0639考える名無しさん2024/05/04(土) 08:11:06.480
>>618

補足。

原父殺し後 
偶像崇拝段階=(柄谷の言う)共同体の宗教の段階における超自我的規制は集団的かつ「外在的」。

モーゼ殺し後
偶像崇拝の禁止段階=(柄谷の言う)普遍宗教の段階における超自我は個人的かつ「内在的」。

おそらくこういうことだと思う。

0640考える名無しさん2024/05/04(土) 08:25:20.560
『フロイト理論におけるエディプスコンプレックス概念の形成と変遷』
網谷優司

〈人間は「法」を象徴化して共有しないと、集団を形成することはできないだろう。「法」の象
徴化や共有を可能にするのがほかならぬ超自我なのだが、クラインは超自我の成立とフロイト
のいうエデイプスコンプレックスの克服を切り分けてしまった。このクラインの所作には、精
神分析においてプレエディパルなものへの関心を高め、古典的なエデイプスコンプレックスの
重要性を低下させてしまった而があると思われる。
しかし、今日まで精神分析が思想史において大きな価値を有しているのは、フロイトがエデ
イプスコンプレックスを応用して集団や文化について論じることの可能性を切り開いたことに
よっている。〉

0641考える名無しさん2024/05/04(土) 08:34:17.650
網谷氏の述べる通りだと思う。

柄谷行人のように「死の欲動の観点〈のみ)から見る」のなんのと、
クライン説をつまみ食いしたようなことをフロイトの説だとでっち上げながら、
『モーゼと一神教』がどうしたこうした、とかと論じるのが、そもそもおかしいのである。

0642考える名無しさん2024/05/04(土) 09:51:33.580
第三回長池講義 柄谷講義要綱
2009/3/28
柄谷行人

第三回長池講義 要綱


 未開社会には、贈与の義務あるいは互酬的な諸制度がある。それは共同体の形成と維持を目的とするものであることはすでに示した。しかし、それが、なぜいかにして共同体の「至上命令」として出てくるのか。この疑問に正面から挑んだのは、フロイトだけである(『トーテムとタブー』(1912年))。私の考えでは、フロイトが考えたのはトーテミズムの起源というよりもむしろ、未開社会における「兄弟同盟」、つまり、「兄弟同盟のすべての構成員に平等の権利を認め、彼らのあいだにおける暴力的な競争への傾向を阻止する掟」がいかにして形成されたのか、ということである。


 フロイトはその原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見いだそうとした。(中略)

 くりかえすと、フロイトは、氏族社会の「兄弟同盟」システムがなぜいかにして維持されているのかを問うたのである。私の考えでは、それは、氏族社会が国家に転化しないのはなぜかを問うことにほかならない。理由は、国家=専制的な父の生成をたえず阻止するシステムがあるからだ。いいかえれば、氏族社会が「原父殺し」をたえず反復しているからだ。それは、トーテムにかぎらず、さまざまな互酬性の実践において反復されている。国家の生成を妨げるかぎりで、戦争もその一つである。つまり、「原父殺し」は経験的に存在しないにもかかわらず、互酬性によって作られる構造を支えているのである。それは事後的に遡及的に見いだされる原因である。ゆえに、「原父殺し」という考えは、太古にそのような原父はいないからといって斥けられるものではない。

0643考える名無しさん2024/05/04(土) 09:55:19.310
「エディプス的問題」から見るのを、↑のように、肯定している論考もある。
この無定見さというか、インチキぶりが、柄谷先生の持ち味なのである。

0644考える名無しさん2024/05/04(土) 09:58:32.490
訂正
×2
フロイトはその原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見いだそうとした。

〇2
 フロイトはその原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見いだそうとした。むろん、これはエディプス・コンプレクスという精神分析の概念を人類史に適用するものである。

0645考える名無しさん2024/05/04(土) 10:06:49.050
「氏族社会が「原父殺し」をたえず反復している」(柄谷)

これならば、反復強迫といえる。この2009年当時は、ルネ・ジラール『暴力と聖なるもの』などを粗雑かつちゃちにしたようなことを述べていたので、
柄谷交換様式論にしても、よくできたブログ記事くらいの出来ではあり、何とか読める代物だったのだ。

0646考える名無しさん2024/05/04(土) 10:37:45.730
兄弟同盟は兄と弟の扱いに差をつけることで、兄弟の間に離反を作ることで破壊できる。
俺の親爺も複数の叔父もそういうことをやってたね。
エディプスコンプレックスの流布のおかげで、父親は気に食わない息子を過度に警戒するようになった。
普通は母親に性的執着なんか無い。
ジャネットも親父を憎んでたんだろうなw
柄谷は一人息子として親父に随分と可愛がられて育ったようだ。

0647考える名無しさん2024/05/04(土) 17:50:48.810
交換様式Aにおける最重要な交換の対象は、女である。
族外婚の成立と近親相姦の禁止を論じるには、「エディプス的問題」から見なければ、しょうがないだろう。
柄谷行人は、フロイトの理論についてあれこれ述べながら、
最も肝心な女の交換の成立について言及を避けているので、トンチンカンなことになっているわけですよ。
それに、「原父」というのは、なにを独占しているかといえば、それは女である。
そして「原父殺し」の後の兄弟同盟の最重要な盟約というのは、女の共同占有についてのものなわけだ。

0648考える名無しさん2024/05/04(土) 19:48:50.910
>>それに、「原父」というのは、なにを独占しているかといえば、それは女である。

創価のデブで不細工な尻の馬鹿デカい女は勝手にしてくれww

0649考える名無しさん2024/05/04(土) 19:55:27.600
原婦の原乳であると

0650考える名無しさん2024/05/06(月) 08:44:44.650
エディプスコンプレックスといっても、大体はフロイトの非常に偏ったエディプスの生涯解釈が元になってる。
エディプスは自身の実父殺しと近親相姦が明らかになった後も何年も生き続け、戦争に従軍したというから、
盲目になったというのは嘘になる。

0651考える名無しさん2024/05/06(月) 13:02:06.050
≫フロイトの非常に偏ったエディプスの生涯解釈

そんなことはぜんぜんない。
ソポクレスの『オィディプス』、アリストテレス『詩学』のオイディプス、
それ以来の定番のオィディプスにもとづくものである。

0652考える名無しさん2024/05/06(月) 13:09:59.260
2022年版真・北斗無双というゲームのプレイ動画をみた。
おもうに、「原父」や氏神としてのトーテムについては、おおくのネット民にとって、
『北斗の拳』に登場する牙大王・牙一族をみれば、
もっともイメージをつかみやすいものではないか。なお、牙一族の「トーテム」は、狼である。
くわしくは、Wiki『北斗の拳』を読めばわかるだろう。
きっとマンガ原作者の武論尊のほうが、柄谷行人よりも、正確に「原父」のイメージをつかんでいたということだろう。

0653考える名無しさん2024/05/06(月) 18:44:03.950
>>651

あんたはフロイトに騙された下級読者だな。

0654考える名無しさん2024/05/06(月) 20:00:27.780
歴史から消えた!?戸籍を持たない山の民「サンカ」の謎
https://www.youtube.com/watch?v=imJn4Ga_gK0

0655考える名無しさん2024/05/06(月) 20:01:19.820
2024/05/04

時は明治時代、日本には「サンカ」と呼ばれる部族が存在したと言われています。
サンカたちは一般人とは異なる生活スタイルや宗教観や掟に従って生活を送っていたと
されていますが、戦後を境にその足跡は途絶えています。

サンカとは一体何者なのか?本当に実在したのか?今回はその謎を追っていきます。

0656考える名無しさん2024/05/06(月) 20:07:25.550
サンカに関する最初の学術調査と呼べるのは、柳田國男の調査である。彼は、『人類学雑誌』に
『「イタカ」及び「サンカ」』と題された文章を1911年(明治44年)から1912年(明治45年)にかけて寄稿
している。大垣警察署長であった広瀬寿太郎の聞き書きとして、ブリウチ セブリ ジリョウジ
(なお南方熊楠の書簡に寄れば、呪療師の意かという)アガリの実態を柳田の実体験をまじえて
記述している。

サンカは、柳田や喜田貞吉による大正期のもっぱら推論によってなされた問題提起、三角と同じく
新聞記者であった鷹野弥三郎の取材記事以後、昭和に入ってからの後藤興善の『又鬼と山窩』(1940年)
がみられる程度で、研究対象としてはほとんど顧みられていない。柳田も仮説の段階で研究を放棄しているが
有名な柳田が研究していた事自体を誇大宣伝し自説の根拠とする人間もいる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AB

0657考える名無しさん2024/05/06(月) 20:08:36.630
古代難民説
サンカ(山人)は、原日本人(あるいは縄文人)であり、ヤマト政権により山間部に追いやられた異民族
であるとする説。これは柳田國男の山人論に基くが、柳田はサンカと山人を区別して記述している。


中世難民説
動乱の続いた室町時代(南北朝、戦国時代)の遊芸民、職能集団を源とする仮説。起源を比較的古くまで
求めることが可能な言葉である「三家」、「三界」、「坂の者」などを根拠とする。喜田貞吉の研究が代表的
である。語源を探る上で説得力を持つが、江戸時代末期の中国地方の文書にあらわれた「サンカ」との因果
を検証することが困難である。


近世難民説
江戸時代末期の飢饉から明治維新の混乱までの間に、山間部に避難した人びとが多数を占めるであろう
という考察。サンカに関する記述が、近世末になって、天保の大飢饉が最も苛酷であった中国地方で登場
することから、沖浦和光が主張している。

0658考える名無しさん2024/05/06(月) 20:09:42.200
>>656
> 柳田も仮説の段階で研究を放棄しているが
> 有名な柳田が研究していた事自体を誇大宣伝し自説の根拠とする人間もいる。



  柄谷行人のことですか?w

0659考える名無しさん2024/05/06(月) 20:27:23.720
すでにヘーゲルが『精神現象学』において、
ソポクレスの『オイディプス』『アンティゴネー』を引いて「自我論」『無意識論』「他者論」等を展開している。
フロイトの前からそういう潮流があったのである。
下記は記憶に頼って書くので正確ではないだろうが、

息子(オィディプス)は、自分の殺した王が父親であることを知らず、自分の娶った女王が母親であることを知らない。
しかし、罪責を免れることはできない。その光を厭う威力は、つき纏ってくる。
そして、そのことは、自己のものが他者のものに、存在するものが不存在に結びついたかたちで
無意識的に在るものは、行為が起こった時に噴き出してくる。
そういう分裂したかたちで白日に照らされている。

ヘーゲルは、オイディプスを引き合いに出して、だいたいこんなようなことを書いていたのである。

0660考える名無しさん2024/05/06(月) 20:36:58.950
≫柄谷行人のことですか?w

柄谷行人はおそらく、サンカは山人ではなく山地民、という立場だろう。
だからサンカ=中世以降に山へ逃げ込んだ難民、という説にちかいのではないか。
わたしも、こうした、サンカ=原日本人、なんてのはたんなるロマンチックな想像の産物で、
近世になってからの難民、という説が当たっていると思う。

≫柳田はサンカと山人を区別して記述している

柳田にしても、難民説のほうだろう。

0661考える名無しさん2024/05/06(月) 20:47:13.630
ヘーゲルに着想を与えたのは、同級生のヘルダーリンかもしれないし、
あるいは、そのしゅの考えがヘーゲルたちが若いころにすでにあって、
両者ともその影響を受けたのかもしれない。
その問題については、研究が少なからずありそうではあるが、わたしは全然知らない。

0662考える名無しさん2024/05/06(月) 20:53:40.380
かなり雑であるが、ヘーゲルの考察を精神分析風に換言すれば、
超自我は、なにかしらの行為を媒介にして、自他分裂、主客分裂、というかたちを以て生ずる、ということになるのではないか。

0663考える名無しさん2024/05/06(月) 22:42:40.990
ヘーゲル哲学研究第19号 こぶし書房

【公募論文】
 『精神現象学』における「承認論」の新展開 斎藤幸平
 身体と言語 「精神哲学」における二つの表現 池松辰男
 ヘーゲル哲学におけるオイディプス問題 鈴木亮三

0664考える名無しさん2024/05/06(月) 23:58:04.530
幸平ちゃんはなんでそっちの方向に行くねんよwwww

0665考える名無しさん2024/05/07(火) 06:42:29.290
ヘーゲルやフロイトの時代と今ではオイディプスの歴史的研究は格段の進歩変化を遂げてるんだよ。
オイディプスの話はアフリカのヌビア起源なんだ。
古代のアフリカでは王室の近親相姦は当然の儀式なんだよ。

0666考える名無しさん2024/05/07(火) 07:44:06.560
別に古代のアフリカに限らず王侯貴族は近親婚を繰り返すものだろう
近親婚か他国の貴種の血を入れるか

0667考える名無しさん2024/05/07(火) 08:59:19.490
>>666
古代ヌビアで、母と息子の近親相姦が通常だったのは異常と言って良い。

0668考える名無しさん2024/05/07(火) 09:05:19.150
>>667
古代イランもそうだ
むしろ、近親婚を避ける社会に注目すべき

0669考える名無しさん2024/05/07(火) 09:36:00.940
近親婚とインセストタブーは違うが、とにかく近親者(その定義もまちまちだが)との交わりを肯定的に捉える社会がエジプトとイランにあり、古代ギリシャも近親相姦の禁止は緩かった
反対にインセストタブーに厳しかったのがバビロニアである
ハンムラビ法典には次のようにあるという

或人ガ其父ノ死後、母ト通ズルトキハ其兩者ヲ燒殺スベシ。
『もし、ある者が、自分の父親の死後に、その母(父親の嫁)の懐に横たわる(同衾する)時は、その2人とも焼殺されるべきものとする』

0670考える名無しさん2024/05/07(火) 10:10:42.740
ハンムラビ法典は父権的で男性中心主義の価値観に基づいているが、それでも

或人ガ其子ト一少女トノ許婚ヲ爲シ、其子ガ其少女ト通ジタルニ、其後、彼(父)ガ其女ト姦通シテ捕ヘラレタトキハ、彼ヲ縛リテ水中ニ投棄スベシ。
『もし、ある者が、自分の息子のために嫁に入って息子と夫婦関係を持った後に、その息子の父親が息子の嫁と同衾しているところを見つかったときは、その父親は捕縛され水の中に投げ込まれる』

まぁこれは普通考えられるところのインセストタブーではないが

0671考える名無しさん2024/05/07(火) 10:11:13.020
>>669
インセストタブー→近親相姦

0672考える名無しさん2024/05/07(火) 14:39:01.280
中里介山『大菩薩峠』

〈妙見みょうけんの社やしろの縁に腰をかけて話し込んでいるのは老人と若い男です。この両人は別に怪しいものではない、このあたりの山里に住んで、木も伐れば焼畑やきばたも作るという人たちであります。
 これらの人は、この妙見の社を市場として一種の奇妙なる物々交換を行う。
 萩原から米を持って来て、妙見の社へ置いて帰ると、数日を経て小菅こすげから炭を持って来て、そこに置き、さきに置いてあった萩原の米を持って帰る。萩原は甲斐を代表し、小菅は武蔵を代表する。小菅が海を代表して魚塩ぎょえんを運ぶことがあっても、萩原はいつでも山のものです。もしもそれらの荷物を置きばなしにして冬を越すことがあっても、なくなる気づかいはない――大菩薩峠は甲斐と武蔵の事実上の国境であります。〉

0673考える名無しさん2024/05/07(火) 14:44:53.830
↑には、焼き畑をやっているような「山地民」〈「山人」ではない)の無言交易について書いてある。
幕末にもそういうことがなされていたということだろう。

日本の文学や思想にかかる長年の幼稚化圧力によって、あるころからの歴史小説や時代小説から消え、江戸時代がどうしたとか言っているような知識人の念頭から消えてしまったことが、
こういうふうに書いてある。

ちなみに映画では、仲代達也主演、市川雷蔵主演、このいずれの『大菩薩峠』にも、このことは描かれてはいない。

0674考える名無しさん2024/05/07(火) 14:58:23.600
深沢七郎原作
『楢山節考』(今村プロダクション、東映) カラー131分。
1983年(昭和58年)4月29日封切。
監督・脚本:今村昌平。
出演:緒形拳、坂本スミ子、あき竹城、左とん平、小林稔侍、倍賞美津子、樋浦勉、江藤漢、ほか
カンヌ国際映画祭にてパルムドールを受賞(仏題:La Ballade de Narayama)。

斎藤幸平みたいに江戸時代の村落共同体がどうこうとか言う人は、
せめてこういう映画くらいはみておくべきだろう。『戦場のメリークリスマス』と同年に制作された映画である。

0675考える名無しさん2024/05/07(火) 15:01:17.580
三島由紀夫『小説とは何か』 『楢山節考』について

「はじめのうちは、なんだかたるい話の展開で、タカをくくつて読んでゐたのであるが、五枚読み十枚読むうちに只ならぬ予感がしてきた。そしてあの凄絶なクライマックスまで、息もつがせず読み終ると、文句なしに傑作を発見したといふ感動に搏たれたのである」

0676考える名無しさん2024/05/07(火) 15:21:56.710
姥捨てが行われてたとは認められてないけどな
日本の場合人口調節は子どもの間引きによってされてた
こっちは認められてる

0677考える名無しさん2024/05/07(火) 17:00:41.660
小説でも映画でも、ディテールというものがある。ムードというのは、それから伝わるわけだ。
ちなみに、ムードが最も重要だ、というのは、スレタイになっているデヴィッド・リンチが言っていることである。
そして、映画の『楢山節考』にしても、本筋は姥捨ての説話に基づいてはいるが、
姥捨てだけが描かれているわけではなく、山間の村落の生活の全般が描かれている。

0678考える名無しさん2024/05/07(火) 17:36:23.170
「あの不気味でトラウマ的な unheimlichen, traumatischen 印象の直前の印象が、フェティッシュとして保持される」(フロイト)

『真・北斗の拳』のマミヤ、成長したリンなど、
ヒロインたちのCGに関するユーザの感想を読んでいてふと思ったのだが、
お尻への執着、というのは、あまりフェティシズムとはみなされていない。
しかし、お尻というのは、もっとも「直前の印象」(フロイト)であろう。
あまりに多くが共有するフェティシズムなので、実はこれもフェティシズムだということが忘れられているのだと思う。
ボードリヤールのいう自然なものであるかのようにみなされているフェティシズムの一つであって、
それは使用価値とされるものが価値を有するのが自然なこと、という斎藤幸平あたりの浅薄な理解のもとになっているようなイデオロギーを成り立たすものに近い。

胸への執着、ことにいわゆる巨乳へのそれというのは、お尻の代替物だろう。

0679考える名無しさん2024/05/07(火) 17:38:17.140
×お尻の代替物だろう
〇お尻の代替物への執着だろう

0680考える名無しさん2024/05/07(火) 17:43:20.650
×『真・北斗の拳』
〇『真・北斗無双』

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