縄文は地域のシンボルマークも多かったが、なぜ縄紋ではなく縄文なのか。

東京人類学会会長の神田孝平は、明治21年『東京人類学会雑誌』の論文中で「縄文土器」の語を使った。神田は漢学の知識から縄目文様は“紋”ではなく“文”の字が相応しいことに気付き、この文字を選択した。何に気付いたのか。それは