日本の古代史 Part37
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前スレ
日本の古代史 Part36
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1493122707/ >>229
おまえがいつも笑ってるのは虚勢を張ってるからだよなw
そうじゃないと頭の悪さが見透かされてしまうからw
もう気が済んだか?
そろそろバカニュース板に帰れ。 わお〜わお〜わお〜
>>230
考古学を一から学び直した方がいいのではないでしょうか??w
↓
『土井ケ浜遺跡の発掘調査をおこなった人類学者の金関丈夫は、土井ケ浜弥生人を「渡来者と在来者との混血者」と考えた。金関は、縄文人と渡来者とが混血して、日本人になったと推測したのである。この仮説を「渡来混血説」という。』(土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム)
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>231
混血もあったんだろうけど、そもそも土井ヶ浜あたりに縄文人は
そんなに居なかったんじゃないか? わお〜わお〜わお〜
>>226
ではお得意の『考古学的事実』で勝負してやんよーww
>>102
縄文人の遺伝子を強く引き継いだ出雲人とは、いったいどのような種族でしょう?
弥生前〜中期には、宗像以東の玄海灘・響灘・日本海沿岸地方に『綾羅木文化人』がおりました
http://stat.ameba.jp/user_images/20150720/10/shimonose9m/7f/46/j/o0480023113371115660.jpg
この『綾羅木文化人』の考古学的遺物には、以下の特徴があげられる
・貝殻施紋を施した綾羅木式土器
・腕に装着した貝輪
・墓式は甕棺墓ではなく、石棺墓や土壙墓
・土笛
など >>233
綾羅木式土器は前池式に始まる山陰系刻目突帯文土器に後続する土器文化だろ。
もろ渡来系だわ。
貝の腕輪。
もろ渡来系だわ。
渡来系人骨の土井ヶ浜弥生人たちの腕を飾っていたのは貝の腕輪。
以前、北海道南部で渡来系人骨と思しき弥生人骨が出土したので、骨屋の松下孝幸が
現地に駆け付けて、さっそく骨を見たところ、土井ヶ浜弥生人骨そのものの人骨で、
腕にはトレードマークの貝の腕輪が。
「これは土井ヶ浜弥生人骨ですよ。」
と思わずその場で呟いていたそうな。
彼らは沖縄の南洋貝ゴボウラを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で
行商していたのである。 >>235
もろ渡来系です。
その頃、あなたの祖先は九州北西部以西で、わおわお叫んでらっしゃった。
俺の祖先もかもしれんがw わお〜わお〜わお〜
>>234
>彼らは沖縄の南洋貝ゴボウラを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で行商していたのである。
↑
↓
>>226
>「渡来系弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たちではなかっただろうし、やはり乗っ取りに近い事が弥生開始頃にあって、九州北部は渡来系弥生人の入植地になっていった。 」
海賊集団が周辺地域を制圧もできずに、わざわざ北海道まで行商してたんか??ww
で、一体北海道の誰に、商いしてもらってたん??
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>237
北海道南部なら、今のアイヌの祖先の縄文系弥生人に行商していたんだろうな。
そこで昆布と交換。
その昆布を沖縄でゴボウラと交換。
土井ヶ浜で腕輪に加工。
日本各地で貝の腕輪を行商。 わお〜わお〜わお〜
>>238
>>234
>彼らは沖縄の南洋貝ゴボウラを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で【北海道の縄文系弥生人に取り入って】行商していたのである。
↑
↓
>>226
>渡来系弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たちではなかった
かなり香ばしい展開だなあww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>238
で当時、彼らの交易相手の何%が一重まぶたで、何%が二重まぶたなん??ww
早く答えろ
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>238
>【北海道の縄文系弥生人に取り入って】昆布を行商していた
↓
のであれば、
↓
【沖縄の縄文系弥生人にも取り入って】コボウラ貝を行商していたのではないのかね??ww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>241
逆だろ。
北海道南部の縄文系弥生人にはゴボウラの腕輪の行商で、沖縄の縄文系弥生人には
昆布などの日本各地の名産品の行商。
沿海州から山陰に直接舟でやって来てしまう人々だぞ。
沖縄から北海道南部まで舟で行商する事なんて大した事ではなかったのである。
沖縄以外の日本各地にはゴボウラの腕輪の行商だが、ゴボウラの供給地の沖縄には
日本各地の名産品が運び込まれ、ゴボウラと交換された。
このときに土井ヶ浜弥生人の遺伝子もまた、日本各地に落とされていったのである。
この考古学的ノンフィクションの何が笑えるのか、よく分からないが、
一度頭の病院に行く事をお勧めする。 わお〜わお〜わお〜
>>242
で当時、彼らの交易相手の何%が一重まぶたで、何%が二重まぶたなん??ww
早く答えろ
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>242
逆だろ。
仕入れ品と売り込み品を逆に言っているだけのこと
>>242
>このときに土井ヶ浜弥生人の遺伝子もまた、日本各地に落とされていったのである。
↑
あー恥ずかしいww
それが実態なら、弥生初期から混血が拡散していくではないか
>>227のおまえの説「弥生期の渡来は民族置換的で、古墳期になってから混血が始まった」 が、見事に、盛大に、破綻しているぞ
縄文人に取り入れられない海賊集団は、一体どこに消えっちゃったんだい?ww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>242
>沖縄から北海道南部まで舟で行商する事なんて大した事ではなかったのである。
↑
渡来人を待たずしても、宗像の鐘崎縄文人の時代から、ベンケイ貝の腕輪の交易など、大した事ではなかっただろw
http://stat.ameba.jp/user_images/20150624/19/shimonose9m/4e/38/j/o0480036013346793138.jpg
「ベンケイガイ製の貝輪は道内では噴火湾沿いの縄文遺跡で多数発見されているほか、道南の戸井貝塚からも発見されています。北海道にベンケイガイが生息していた確証がなく本州方面から運ばれてきたものと考えられています。」(北海道庁)
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>244
行商で遠方に土井ヶ浜弥生人の遺伝子は落とされていったが、山陰から九州北部の
渡来系弥生人は弥生期にあまり混血が進まなかったんじゃないかな?
言葉も違うだろうし、居住地も別なんだから、あまり混血が進んだとは思えない。
中国地方なんかは3000年経った今でも朝鮮人より若干、アムール沿海州の北方民族に
形質が近くなっていて、当時の名残が垣間見える。
混血が進み切った今日でさえ、日本人の形質は一様ではないのだ。
3000年前、2000年前は渡来形質そのものの地域だっただろう。 わお〜わお〜わお〜
>>246
>>242
>このときに土井ヶ浜弥生人の遺伝子もまた、日本各地に落とされていったのである。
↑
あー恥ずかしいww
それが実態なら、弥生初期から混血が拡散していくではないか
>>227のおまえの説「弥生期の渡来は民族置換的で、古墳期になってから混血が始まった」 が、見事に、盛大に、破綻しているぞ
縄文人に取り入れられない海賊集団は、一体どこに消えっちゃったんだい?ww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>247にまともに答えられないようなので先に行くww
それでは、沖縄の南洋貝ゴボウラを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で行商していた主役の種族は誰だったのでしょう?
↓
石棺墓に埋葬されゴボウラ貝の腕輪をつけた小柄な人骨が発掘される
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/35106
本当に小笑い >>247
あのな中卒、土井ヶ浜遺跡は弥生後期の遺構だぞ。
>>248
土井ヶ浜弥生人。 わお〜わお〜わお〜
>>249
中卒はおまえじゃww
土井ヶ浜弥生人の遺伝子とは、綾羅木文化人の遺伝子ではないのかね??
それでは、弥生後期以前のゴボウラ貝の行商は、一体誰が行っているのかね??
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>249
中卒はおまえじゃww
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゴホウラ
「弥生時代初期から九州北部などでゴホウラの殻を縦切りにして製作した貝輪が盛行し、当時の権力者(主に男性)のステータスシンボルであったと考えられる。」
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>250
もちろん土井ヶ浜弥生人は、前池式刻目突帯文土器文化人、
それに後続する山陰系刻目突帯文土器人、それに後続する綾羅木文化人を
祖先としているはずですよ。
ゴボウラの貝の腕輪の行商は土井ヶ浜弥生人です。 わお〜わお〜わお〜
>>252
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゴホウラ
「弥生時代初期から九州北部などでゴホウラの殻を縦切りにして製作した貝輪が盛行し、当時の権力者(主に男性)のステータスシンボルであったと考えられる。」
>弥生時代初期から
>弥生時代初期から
>弥生時代初期から
それではもう一度聞くが、弥生後期以前の綾羅木文化人が着けたゴホウラ貝の行商は、一体誰が行っているのかね??
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>253
初期と言うほどでもない。
九州北部でゴホウラの腕輪が出土するのは弥生前期中頃からの金隈遺跡。
ゴホウラの腕輪の行商は弥生後期だから土井ヶ浜弥生人。 わお〜わお〜わお〜
>>254
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゴホウラ
「弥生時代初期から九州北部などでゴホウラの殻を縦切りにして製作した貝輪が盛行し、当時の権力者(主に男性)のステータスシンボルであったと考えられる。」
>弥生時代初期から
>弥生時代初期から
>弥生時代初期から
それではもう一度聞くが、弥生後期以前の綾羅木文化人が着けたゴホウラ貝の行商は、一体誰が行っているのかね??
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>254
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
それでは、沖縄の南洋貝ゴボウラを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で行商していた主役の種族は誰だったのでしょう?
↓
石棺墓に埋葬されゴホウラ貝の腕輪をつけた小柄な人骨が発掘される
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/35106
>石棺墓
>貝輪
>小柄な人骨
本当に小笑い >>255
土井ヶ浜弥生人の祖先の渡来系の綾羅木文化人だろ。
>>256
土井ヶ浜弥生人だな。
2000〜1500年前の遺構との事だから、歴博年表で弥生時代後期〜古墳時代中期頃の
遺構。
ゴホウラを買い取りに来た土井ヶ浜弥生人からもらったか、土井ヶ浜弥生人に
影響を受けた沖縄の古代人だろうな。 わお〜わお〜わお〜
中卒はおまえじゃww
>>257
>土井ヶ浜弥生人の祖先の渡来系の綾羅木文化人だろ。
↑
あー恥ずかしいww
それが実態なら、弥生初期から混血が拡散していくではないか
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>257
>ゴホウラを買い取りに来た土井ヶ浜弥生人からもらったか、土井ヶ浜弥生人に影響を受けた沖縄の古代人だろうな。
↑
石棺墓に埋葬されゴホウラ貝の腕輪をつけた小柄な人骨が発掘される
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/35106
>石棺墓
>貝輪
>小柄な人骨
沖縄の古代人がこれまで石棺墓に貝輪をつけた状態で見つかっているのかね??
本当に小笑い 綾羅木はもろ渡来系だから
出雲人縄文人と同じとは思えんな。
常に縄文人側が先住民として優位で
渡来人の技術や文化を摂取して今に繋がってると思うけどなぁ。
置換というより融合的というか
まあ穏当にいうと初期から混血が進んだというか。 山陰とか、縄文人が少ない場所だというのも、渡来系の人口を伸ばすのに寄与したと思われ。 わお〜わお〜わお〜
>弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たちではなかったと思います。
↓
↓
>>260
>置換というより融合的というか
まあ穏当にいうと初期から混血が進んだというか。
何だか、540度意見が変節したように思えるのは俺だけか?w
ほとんどおまえと俺で意見やり取りしてるんだから、もう少し付き合って
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>254
それでは、ゴホウラ貝と同じく沖縄南洋貝のイモガイを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で行商していた主役の種族は誰だったのでしょう?
本当に小笑い 260は俺じゃないがな。
容貌も言葉も違う人々なんだから、簡単に交雑したとは思えんがな。 わお〜わお〜わお〜
>>264
>260は俺じゃないがな。
↑
やっぱり、そうだよなw
旗色が悪くなったって、これまで散々わめき散らした意見を100%反転させたら、この板に居れなくなるもんなーww
おまえの説は、「弥生期の渡来は民族置換的で、古墳期になってから混血が始まった」だもんなー
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>264
それでは、ゴホウラ貝と同じく沖縄南洋貝のイモガイを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で行商していた主役の種族は誰だったのでしょう?
本当に小笑い わずか数人から数十人という規模で沿海州から渡来してきた人々が渡来当初から
縄文人と交雑して消えてたなら、その後の数千体もの出土した渡来系人骨は
一体何なんだって話だよね?
それに北海道から沖縄まで存在している約4割の一重まぶたの日本人は
一体何なんだって話だろ。 >>266
弥生前期半ば以降の九州北部・山陰の渡来系弥生人。
土井ヶ浜弥生人のみならず、九州北部も南洋貝の腕輪の流行があるから、
この表現の方が適切か。 わお〜わお〜わお〜
>>264
>弥生前期半ば以降の九州北部・山陰の渡来系弥生人
↑
で、彼らは誰のために、わざわざ南洋産イモガイの貝輪を遠距離行商したん??
一重まぶた?二重まぶた?ww
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>257
>ゴホウラを買い取りに来た土井ヶ浜弥生人からもらった
↑
行商の取り引き相手ではなく、わざわざ「もらった」と表現したのは、遠距離輸送や加工のコストを上回るそれなりの規模の縄文社会側の購買ニーズが存在することを認めたくたくないからだろ
ましてや、本土の縄文社会との商取引があれば、それ自体が彼らとの和合を意味するからな
本当に小笑い >>270
沖縄では貝の腕輪の風習が見られなかったから、一点出た事でクローズアップされて
記事になってるんだろうに。
例外を出してもしょうがない。
貝の腕輪の行商は九州以北の縄文系弥生人に対してだろ。
それはファッションなどの文化の中心が当時は渡来系の九州北部・山陰にあった
事を意味している。
奈良盆地の邪馬台国が勢力を拡大してくるまでは。 わお〜わお〜わお〜
>弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たちではなかったと思います。
↓
↓
>>271
>貝の腕輪の行商は九州以北の縄文系弥生人に対してだろ
何だか、510度意見が変節したように思えるのは俺だけか?w
はじめて弥生期の縄文人との商取引を通じた共生関係は認めたわけだな
↑
しかしそれが実態なら、弥生初期から混血が拡散していくではないかw
幕末に英語を喋る行商人のグラバーは、日本人との3人の混血児を残したぞ
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>271
>沖縄では貝の腕輪の風習が見られなかったから、一点出た事でクローズアップされて 記事になってるんだろうに。
↑
↓
>貝の腕輪の行商は九州以北の縄文系弥生人に対してだろ。
>石棺墓
>貝輪
>小柄な人骨
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/35106
おまえ以外の人はもう気づいているだろw
この石棺墓の人物が貝輪を好む「九州以北の縄文系弥生人」である可能性を
本当に小笑い >>272
弥生開始から貝の腕輪の行商をするまでに少なくとも400年以上経ってるだろ。
貝の行商を始めたのは拡大路線の一環じゃないか?
いや、拡大路線の中で始めた事かもしれん。
混血はあっても、渡来系から縄文系に対しての一方的なものだけだろうね。
縄文系から渡来系に対するものはほとんど無かったと思われる。 わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>274
>弥生開始から貝の腕輪の行商をするまでに少なくとも400年以上経ってるだろ。
↑
「西北九州では南洋産の貝輪は、ゴホウラ製貝輪が有川町浜郷遺跡、平戸市根獅子遺跡、イモガイ製貝輪が佐世保市宮の本遺跡、五島列島の福江島大浜貝塚・中通島浜郷遺跡・宇久島宇久松原遺跡、オオツタノハ製貝輪が宇久松原遺跡・福江島大浜貝塚などで出士している。
また、埋葬人骨にともなうアワビの副葬列が中通島浜郷遺跡、福江島大浜貝塚で確認された。」
↑
それでは、南洋産の貝輪を加工して、九州以北の縄文貝塚まで舟で行商していた主役の種族は誰だったのでしょう?
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>274
>混血はあっても、渡来系から縄文系に対しての一方的なものだけだろうね。
↑
侵略的・民族置換的な海賊集団ではなく、対等な商取引で遠路寝泊まりしていたのなら、父系遺伝子の拡散は対等だろ
本当に小笑い >>275
弥生前期半ば以降の九州北部・山陰の渡来系弥生人。
それらの縄文遺構は歴博年表で見れば、弥生遺構でもあるだろ。
>>276
九州北部・山陰から北海道南部までの日本海沿岸には九州北部・山陰の渡来系弥生人の
植民都市が幾つも置かれただろうね。
沖縄にも置かれたのではないか? わお〜わお〜わお〜
>>277
>弥生前期半ば以降の九州北部・山陰の渡来系弥生人
↑
いや、見事に、盛大に、間違っている ww
>>275
>埋葬人骨にともなうアワビの副葬列が中通島浜郷遺跡、福江島大浜貝塚で確認された。
↑
正解は、九州以北の縄文系弥生人
西北九州と沖縄の海路を掌握して頻繁に行き来しなければ、アワビの副葬列という共通の埋葬習俗も行われるわけがない
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>277
>九州北部・山陰の渡来系弥生人の植民都市が幾つも置かれただろうね。
英国人のグラバーがいた長崎の出島は、江戸幕府の出先か、植民都市のどちらだね??w
本当に大笑い >>278
北海道南部の弥生遺構で出土したゴホウラの腕輪を着けて行商していた人骨は
渡来系人骨の九州北部・山陰の渡来系弥生人でした。
で、九州北西部以西の縄文系弥生人が南洋貝の腕輪を行商していた事を
証明する考古学的具体例は?
. わお〜わお〜わお〜
>>280
>で、九州北西部以西の縄文系弥生人が南洋貝の腕輪を行商していた事を証明する考古学的具体例は? わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>280
>で、九州北西部以西の縄文系弥生人が南洋貝の腕輪を行商していた事を証明する考古学的具体例は?
何度も載せているではないか
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/35106
>石棺墓
>貝輪
>小柄な人骨
しかも
>女性 ‼
九州北部・山陰の渡来系弥生人の首長クラスには、女性が多いのかね?男性が多いのかね??
おまえ以外の人はもう気づいているだろうw
この石棺墓の女性が貝輪を好む「九州以北の縄文系弥生人」である可能性を
本当に小笑い >>282
そんな可能性はほとんど無いだろうな。
九州系弥生土器の遺構でもなさそうだし、ふつうはその沖縄の出土人骨は
沖縄の土着の弥生人骨だと解釈されるわな。
沖縄の土着の弥生人骨は九州北西部以西の縄文系弥生人骨よりもさらに小柄で短頭。
詳細は分からないが、小柄だというところから考えて、やはり土着の人骨だろう。 わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>283
>九州系弥生土器の遺構でもなさそうだし
↑
>>280の北海道南部の弥生遺構で出土したゴホウラの腕輪を着けて行商していた人骨の場合は、九州北部・山陰の渡来系土器があったのかね??
また九州北部・山陰の渡来系弥生人の首長クラスは、女性と男性どちらが多いのかね??
いずれにしても、今後この小柄の人骨に>>113の核DNAによる解析が行われて下図の様にプロットされれば、明らかになるであろう
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/img/research/1/p09.jpg
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>280
>で、九州北西部以西の縄文系弥生人が南洋貝の腕輪を行商していた事を証明する考古学的具体例は?
さて、そろそろ本命でも出すかw
土井ヶ浜ではなく、西北九州の話だから、九州以北の縄文系弥生人の関与は免れないわけだ
↓
宮の本遺跡
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/宮の本遺跡
「8体の女性は左手首にイモガイの腕輪をつけて埋葬されていた。
弥生時代から宝物として珍重されていたイモガイは、南西諸島原産であるにもかかわらず、宮の本独自の加工が施された物が、北海道の有珠10遺跡でも発掘されており、宮の本が貝の東シナ海流通ルートの中継拠点だったことが実証された。
その一翼を船で担っていた宮の本弥生人は、内陸弥生人に比べ上腕が発達し、逆に足は華奢だったことも判明した。」
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>234
>貝の腕輪。
>もろ渡来系だわ。
↑
いや、見事に、盛大に、間違っている ww
南洋産の貝輪のうち、特にイモガイとオオツタノハ製貝輪は、縄文系弥生人のためのもの
本当に大笑い わお〜わお〜わお〜
>>260
>常に縄文人側が先住民として優位で
渡来人の技術や文化を摂取して今に繋がってると思うけどなぁ。
↑
ちなみに、北海道で発掘されたイモガイ腕輪は南洋産であるにもかかわらず、西北九州の宮の本遺跡の独自加工が施されています
この特殊加工は、幅広の輪切を縦四片に切断し、小孔二対で繋ぎ合わせる特殊形式
技術は縄文系弥生人の側にもあったんですよ
本当に >>287
宮の本遺跡にはゴホウラの腕輪がないよね。
九州北部・山陰の渡来系遺構にはゴホウラとイモガイの両方の腕輪がある。
ゴホウラの腕輪は貴族階級のものだったんじゃないかな?
北海道のイモガイの腕輪は宮の本遺跡で生産されたとして、実際に行商しに行ったのは
宮の本遺跡の縄文系弥生人ではなく、九州北部・山陰の渡来系弥生人だった可能性も
あるしな。
この場合、宮の本遺跡は九州北部・山陰の渡来系弥生人にイモガイの腕輪の生産を
任されているだけの工場だった可能性もあるし、宮の本遺跡に材料のイモガイを
沖縄から運んでいたのは九州北部・山陰の渡来系弥生人で、宮の本遺跡で加工して、
完成品を全国に行商しに行くのも九州北部・山陰の渡来系弥生人だった可能性もある。
材料のイモガイの仕入れと完成品の流通は九州北部・山陰の渡来系弥生人が行い、
工場での生産は宮の本遺跡の縄文系弥生人が行っていたかもしれない。
ただ、ゴホウラの腕輪だけは九州北部・山陰の渡来系弥生人の工場で生産して、
全国に行商しに行った事だけは確実だがな。 >>287
硬い石に穴を開けるのは出雲人の技術らしいね。
玉作を独占できたのはその辺りの技術背景があるらしい。
あとウメガイも わお〜わお〜わお〜
>>289
>硬い石に穴を開けるのは出雲人の技術らしいね。
↑
そのようですねー
技術は縄文人の遺伝子を強く引き継いだ出雲人の側にもあったんですね
本当に わお〜わお〜わお〜
>>288
>実際に行商しに行ったのは宮の本遺跡の縄文系弥生人ではなく、九州北部・山陰の渡来系弥生人だった可能性もあるしな。
↑
ほほう、その表現では弥生期の縄文系弥生人による遠路交易の可能性もはじめて認めたわけだな
>>288
>宮の本遺跡は九州北部・山陰の渡来系弥生人にイモガイの腕輪の生産を任されているだけの工場だった可能性もあるし
↑
ほほう、その表現では弥生期の縄文系弥生人との協働をはじめて認めたわけだな
それが実態なら、全国的に混血が拡散していくではないか
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>288
>沖縄から運んでいたのは九州北部・山陰の渡来系弥生人で、宮の本遺跡で加工して、完成品を全国に行商しに行くのも九州北部・山陰の渡来系弥生人だった可能性もある。
↑
しかし、やはりできるだけ縄文系弥生人を集落内に留め置きたいようだなww
そう仮定しないと、縄文人の父系遺伝子が拡散してしまうからなー
しかし実態はD1もO1b1も共に協働して遺伝子を拡散し合っているのだよ
それを証明しているのが、全国平均より縄文人の遺伝子を強く引き継いだ出雲人の存在だろ
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/d/digx/20161208/20161208190813.gif
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>288
>沖縄から運んでいたのは九州北部・山陰の渡来系弥生人で、宮の本遺跡で加工して、完成品を全国に行商しに行くのも九州北部・山陰の渡来系弥生人だった可能性もある。
↑
西北九州と沖縄の海路は、九州以北の縄文系弥生人がすでに掌握していたと言っただろ
そうでなければ、アワビの副葬列という共通の埋葬習俗も行われるわけがない
沖縄への遠洋航路に比べれば、海岸沿いの日本海航路など極めて容易いものだっただろう
http://stat.ameba.jp/user_images/20150624/19/shimonose9m/4e/38/j/o0480036013346793138.jpg
本当に小笑い >>292
その遺伝子表はアムール沿海州のデータがない偏向データだから、
渡来系弥生人からの距離が分からないだろ。
縄文人のデータもないから、縄文人からの距離も分からない。
アムール沿海州の遺伝子位置をKOREAから間を開けて右隣、あるいは斜め右上と
推測して、縄文人の遺伝子位置がIZUMOとTOKYOから間を開けて真下と推測して、
IZUMOとTOKYOの渡来系弥生人からの距離はほとんど変わらないか、ややIZUMOが
縄文人に近い程度だろう。 >>293
なら、九州北西部以西の縄文系弥生人はどうしてゴホウラを扱えなかったの?
で、アワビの副葬が九州北部・山陰の渡来系弥生人になかった確証はあるのか? わお〜わお〜わお〜
>>294
>IZUMOとTOKYOの渡来系弥生人からの距離はほとんど変わらないか、ややIZUMOが縄文人に近い程度だろう。
↑
全国的に本土日本人の解析を行っているから、北方形質の高い関西のデータも当然ある
しかし、何で東京人と比較したかと言うと、出雲人が全国でも縄文形質の高い東京人をも上回る結果になったから
この「衝撃の結果」を表明するために、わざわざ東京人と比較しているわけだ
しかし縄文人の遺伝子を強く引き継いだ伊勢のリアル海女ちゃんは本当にかわいいなw
http://lily-new.com/wp/wp-content/uploads/2015/09/real_amachan.jpg
三陸の元リアル海女ちゃんもかわいいw
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20130623/88/899368/44/497x750xae45b8032a80cf5c3ea70c26.jpg
わかったか?
本当に小笑い >>296
TOKYOもIZUMOも渡来系弥生人からの距離はほとんど変わらんだろ。
遺伝子はナマモノだから、色んな条件でその頻度を変えていくからな。
仮に元々の渡来系弥生人の本拠地だった九州北部・山陰よりも東京を含めた
関東地方の方が渡来系弥生人の遺伝子にとって適した自然環境なら、
経年すればするほど、その頻度の高低はいずれ関東地方に逆転されてしまう訳だ。
遺伝子とは経年でドンドンその頻度や形態を変えていく無常のナマモノであるゆえ、
一辺倒の解釈では通用しないだろう。
しかし、土器や骨の形質はおそらく地球が太陽に飲み込まれる寸前まで、半永久的に
変わらない、形状を固定されたハードウェア。
どちらが信用の置ける考古学材料であるかは言わずもがな。 わお〜わお〜わお〜
>>297
>遺伝子とは経年でドンドンその頻度や形態を変えていく無常のナマモノであるゆえ、一辺倒の解釈では通用しないだろう。
↑
保存が効かないと言う割には、ずいぶん地域ごとにしっかりまとまるもんだなw
古モンゴロイドと新モンゴロイドを分かつ核DNAの基本因子配列の違いが明確に存在するということだろ
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>295
>なら、九州北西部以西の縄文系弥生人はどうしてゴホウラを扱えなかったの?
↑
ゴホウラ製貝輪とイモガイ製貝輪の決定的な違いが何か分かるか?
両者の共通点は
1)遠方の南洋産のため希少価値が高い
2)大型で腕輪にできる
3)渦巻きの文様で祭祀・呪術的価値が高い
関連で、九州北部・山陰の渡来系弥生人の首長クラスは、女性と男性どちらが圧倒的に多いのかね??
本当に小笑い 島本町民以外の皆さん
大阪府三島郡島本町では
「いじめはいじめられた本人が悪い」ということですよ >>299
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの? わお〜わお〜わお〜
>>299
答えないから、次に行くw
>>295
>なら、九州北西部以西の縄文系弥生人はどうしてゴホウラを扱えなかったの?
↑
ゴホウラ製貝輪とイモガイ製貝輪の決定的な違いが何か分かるか?
両者の共通点は
1)遠方の南洋産のため希少価値が高い
2)大型で腕輪にできるが、加工に労力を要する
3)渦巻きの文様で祭祀・呪術的価値が高い
つまり、両者とも入手困難な宝飾品であり、祭具・呪具としての価値もあるため、限られた首長クラスが装着していた
では、両者の決定的な違いは何か?
その答えは貝の形状にある
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/img073.jpg
この写真でも分かるとおり、ゴホウラ製貝輪にあって、他の貝輪にはないあるいは目立たない最大の特徴は、写真左側の鉤状突起である
続く
本当に小笑い >>302
それ、輪切りの腕輪だろ。
沖縄の人骨のゴホウラの腕輪はゴホウラの背面を使った丸い腕輪だぞ。
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの? >>302
失礼。
ゴホウラは全部、背面を使うみたいだな。
背面の取り方で突起の付いた腕輪になったり、丸い腕輪になったりするだけみたいだな。
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの? わお〜わお〜わお〜
>>302の続き
>>304
>で、九州北西部以西の縄文系弥生人はどうしてゴホウラを扱えなかったの?
↑
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/宮の本遺跡
九州以北の縄文系弥生人のいた宮の本遺跡では、8体の首長クラスの女性がイモガイの腕輪をつけて石棺墓に埋葬されていた。
一般的に縄文社会では女性が祭祀者(巫女)として、宮の本遺跡のように首長クラスに崇められる
貴重なイモガイ製貝輪は、富と巫覡の象徴として埋葬女性への信奉を高めたであろう
一方、九州北部・山陰の渡来系弥生人には、ゴホウラ製貝輪が愛重された。そのほとんどが男性の首長であった。
貝輪をめぐる2つの社会の相違は、どこにあるのか?
その原因は社会の生存基盤であった生業にあると考えられる
縄文系弥生人の生業の中心は、縄文時代から続く漁労採集であった
一方、九州北部に始まる渡来系弥生人の生業は、大規模稲作が主体であった
続く
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>305の続き
縄文系弥生人の生業の中心は、縄文時代から続く漁労採集であった
一方、九州北部に始まる渡来系弥生人の生業は、大規模稲作が主体であった
女性は種を選び、男性は種をばらまく
漁労採集社会は、採りつくすことはできないので、人口抑制的・選択的であった また天候や森羅万象の変化に敏感でなければならなかった かくして女性の巫女が太古から活躍した
一方、大規模稲作社会は、農作業のみならず平野部の圃場や水路の造成を必要とし、人口拡大的であった 大勢の単純労働者を統率と土地拡大のために、男性の統治者が権威と武力を高める必要があった
第2波の渡来人が列島に到来しても、しばらくは漁労採集を中心とした生業が続いた 弥生早期からの小規模稲作は、縄文系弥生人も行ったが、あくまで本業ではなかった
まもなく弥生系縄文人と第2波渡来人との間で、対馬海流を通じた交易や協働が行われ、両者の混血を生み出した
いつしか埋葬様式も、縄文人由来の支石墓下にあった石棺墓が主流となっていた
続く
本当に小笑い >>305-306
第2波渡来人って何?
第2波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの?
. わお〜わお〜わお〜
>>306の続き
まもなく弥生系縄文人と第2波渡来人との間で、対馬海流を通じた交易や協働が行われ、両者の混血を生み出した
いつしか埋葬様式も、縄文人由来の支石墓下にあった石棺墓が主流となっていた
こうして弥生前期には、東シナ海〜玄界灘〜響灘〜山陰沿岸〜周防灘〜瀬戸内を結ぶ広域の石棺墓文化圏(一部木棺墓)が、鯨面文身する海人族の弥生系縄文人と第2波渡来人との交流で形成された
しかし弥生前期後半になると、情勢が大きく変わる
朝鮮半島と強い結びつきのある第3波渡来人が、半島由来の青銅器を傘に、筑紫平野を中心とした九州北部で勢力を拡大した
彼らの生業は、これまでの漁労採集や小規模農業とは異なる大規模稲作であり、大陸や半島から得た耕作技術を駆使した
彼らの墓制は石棺墓とは異なる甕棺墓文化であり、これまでの巫女の統治とは異なる武力を背景とした男王が崇められた
続く
本当に小笑い >>308
全部、縄文晩期の渡来人が半島からパクってきただけの話だろ。
で、第3波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、第2波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの? わお〜わお〜わお〜
>>308の続き
彼らの墓制は石棺墓とは異なる甕棺墓であり、これまでの巫女の統治に代わって武力を背景とした男王が崇められた
この九州北部の甕棺墓文化圏は、弥生中期に最盛期を迎える
甕棺墓文化人の生業は大規模稲作であり、同系の増員と土地拡大に終始していたため、当初は第2波渡来人のような縄文系弥生人との交流が余り生まれず、甕棺墓に北方遺伝子を強く残した
彼らの崇める男王は武力統治を維持するために、これまでの巫女の首長クラスが愛用した宝飾品や祭具・呪具よりも、他を圧倒する威信材を強く求め出した
そこで男王の装飾品には、イモガイよりも鉤状突起があってより威圧的なゴホウラ製貝輪が偏用された
寡占が進み、甕棺墓文化圏の中心地である筑紫平野では、一人で40個のゴホウラ製貝輪を両腕に装着する男性支配者まで現れた
弥生後期になるとゴホウラ製貝輪は、威信材としての役割が強化され、多数装着を可能とするように薄く加工され、祭祀的な渦巻き文様を失っていった
そしてついには、同じく威圧的な鉤状突起を施した銅釧に、男王の装飾品の座を譲るのである
https://item-shopping.c.yimg.jp/i/n/uenokagaku_nrzkjaek4y
よくわかったか?w
続く
本当に小笑い 第三波甕棺墓人は
青銅器
と一緒にということ?
紀元前3世紀くらいを想定すればいいのかな。 わお〜わお〜わお〜
>>311
歴博によって弥生開始年が早まってますからねー
http://bbs.jinruisi.net/blog/wp-content/uploads/弥生時代の実年代.jpg
第3波甕棺墓人が興盛する弥生前期後半は、紀元前5世紀ぐらいでしょう
本当に >>312
半島から壺棺墓をパクった弥生前期半ばはBC6C頃だろ。
で、第2波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、第3波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの?
早く言えよマンガチックでむぱ頭脳の方。 わお〜わお〜わお〜
>>313
>半島から壺棺墓をパクった弥生前期半ばはBC6C頃だろ
↑
最初に甕棺墓をパクったのは、縄文系弥生人が支石墓下に使用したものだろ
そこから、少ないながら盟友の第2波渡来人にも流れているのではないか?
>>313
>で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの?
↑
おまえ以外はよく分かったみたいだよww
縄文系弥生人は、寡占して一層入手困難になり、なおかつ祭祀的役割を失っていくコウボラ製貝輪に固執する必要が全くないからな
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に小笑い >>314
これでも京都にある某有名国立大卒なんで高卒の妄想なんか全然分かりません。
甕棺墓のルーツは弥生前期半ばに半島からパクった壺棺墓というのが定説。
で、第2波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、第3波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの?
さっさと言えよマンガチックでむぱ頭脳の方。 わお〜わお〜わお〜
>>315
>これでも京都にある某有名国立大卒なんで高卒の妄想なんか全然分かりません。
↑
へー、国立の工芸繊維大学は偏差値50はあるんだなww
やっぱり土器の工芸とか興味あるん??
マンガチックでむぱ頭脳の工芸証拠遺物の方w
本当に小笑い >>316
俺は文系なんだが。
工繊大は理系の大学だろ。
で、第2波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、第3波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの?
早く言えよマンガチックでむぱ頭脳の方。 わお〜わお〜わお〜
>>317
分からない人は置いてくよw
>>310の続き
弥生後期になると、筑紫平野を中心とした甕棺墓文化圏は一層勢力を九州北部で拡大した
福岡平野に連なり、西は背振山地、東は宗像地域の端までに至った
主役の第3波渡来人は、金属器をはじめ朝鮮半島との文化摂取が生命線であった
半島に近い海浜部が重視され、いつしか覇権の中心は志賀-壱岐-対馬-馬韓の海路ルートを掌握した村落に大きくシフトしていった
奴国の誕生である
これまでの平野部の開拓は、漁労採集と小規模農業を生業とする縄文系弥生人と第2波渡来人には、あまり障害とならなかった
しかし、玄界灘の中心を牛耳る奴国の権勢は、縄文系弥生人と第2波渡来人の対馬海流海上ネットワークに大きな楔を打ち込み、両者の緊張関係を極限まで高めていったのである
倭国大乱が勃発した
続く
本当に小笑い >>318
いやあ、分からねえなw
主役の第3波渡来人とやらはちっとも朝鮮無文土器の甕棺墓を作らねえみたいだしw
で、第2波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、第3波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器は?
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの?
さっさと言えよマンガチックでむぱ頭脳の方。 わお〜わお〜わお〜
>>319
>いやあ、分からねえなw
主役の第3波渡来人とやらはちっとも朝鮮無文土器の甕棺墓を作らねえみたいだしw
↑
勒島貿易とか知らんの??w
半島進出した弥生人がたくさんおったろうに
狗邪韓国は一体どこにあるのかね??
本当に小笑い >>320
勒島貿易は分かるが、双方で他方の搬入土器の出土はわんさかあるけど、
双方で他方の土器の生産がないだろ。
所詮、貿易は貿易。
滞在までで人の移住までは無いんだよ。
特に当時の半島人は先進文化人なんだから、行ったら殺されるかもしれない
未開で野蛮な倭なんかに行きたい訳がない。
貿易と言ったって、内訳はほとんど九州北部の弥生人たちが一方的に
動いていただけだよ。
半島人が動いていた訳じゃない。
半島人にとっては倭なんかどうでもイイ存在だった。
海の向こうから勝手にやって来て、勝手に交易して帰っていく野蛮人に過ぎなかった。
しかし弥生人たちは半島から土器や金属器などの文物の搬入だけでなく、
最終的には青銅器や鉄器の生産技術までも現地で学んで導入した。
金属器の生産遺構も搬入土器の出土はわんさかあるが、やはり朝鮮土器の生産までは
していない。
全ては弥生人たちが一方的に半島から交易で搬入したり、パクってきただけの話なんだよ。 だいたい最古水田・菜畑遺跡からそうだ。
弥生人たちが半島から一番最初にパクってきたのが稲作だった。
日本最古の農具に大陸系磨製石器、短粒種のイネに水田技術。
ぜーーーんぶぜんぶ、朝鮮南部から入ってきたものだ。
ところが、やはり彼らは朝鮮土器をさっぱり作らない。
朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
これが、朝鮮から弥生人が渡来して稲作を伝えただの、
稲作を持った弥生人が半島から渡来しただの、に見えるなら、
そうとう頭を打ってるとしか言いようがない。
弥生人は最初から半島から盗みまくりのパクりまくりの人々だった。 わお〜わお〜わお〜
>>321
>半島人にとっては倭なんかどうでもイイ存在だった
海の向こうから勝手にやって来て、勝手に交易して帰っていく野蛮人に過ぎなかった。
↑
やっぱり、こいつはフルボッキ2号ってことでいいのでは?ww
>>321
>しかし弥生人たちは半島から土器や金属器などの文物の搬入だけでなく、最終的には青銅器や鉄器の生産技術までも現地で学んで導入した。
↑
ちゃんと自問自答しているではないかw
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>322
>日本最古の農具に大陸系磨製石器、短粒種のイネに水田技術。 ぜーーーんぶぜんぶ、朝鮮南部から入ってきたものだ
>大陸系
>大陸系
>大陸系
↑
で、朝鮮半島の農具に大陸系磨製石器、短粒種のイネに水田技術は、ぜーーーんぶぜんぶ、どこからから入ってきたのだ??
ぜーーーんぶぜんぶ、ただの大陸系の通過点ではないかww
フルボッキ2号くんw
本当に大笑い >>323-324
何か考古学的虚偽でもあったか?
半島の先進文化や先進技術はほとんど総て遼東半島から入っている。
櫛目文土器から無文土器、稲作や農具、箕子朝鮮、衛氏朝鮮、武帝の朝鮮侵攻と
楽浪郡・帯方郡の設置と楽浪文物、あれもこれもどれもこれも何もかも、
ぜーーーんぶぜんぶ、遼東半島経由で入っている。 わお〜わお〜わお〜
>>322
>日本最古の農具に大陸系磨製石器、短粒種のイネに水田技術。
>>325
ぜーーーんぶぜんぶ、遼東半島だ経由で入っている。
>経由で
>経由で
>経由で
↑
で、遼東半島経由の農具に大陸系磨製石器、短粒種のイネに水田技術は、ぜーーーんぶぜんぶ、どこからから入ってきたのだ??
ファイナルアンサー?
本当に大笑い >>326
ちょうどイイ機会だ。
今回だけはおまえがそれを答えてみ。
おまえの考古学力と考古学的思考力がどの程度のものなのか見てみたい。
間違ってたら先生が修正してやるから。
で、遼東半島経由の櫛目文土器、無文土器、農具、大陸系磨製石器、短粒種のイネは
遼東半島の前はどこから入ってきたの?
逃げるなよ。
で、以下の回答も早くしろ↓
で、第2波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系生活土器は?
で、第3波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系生活土器は?
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの?
. わお〜わお〜わお〜
おまえの説なんだから、おまえしか答えられんだろw
>>322
>日本最古の農具に大陸系磨製石器、短粒種のイネに水田技術。
>>325
ぜーーーんぶぜんぶ、遼東半島経由で入っている。
>経由で
>経由で
>経由で
↑
で、遼東半島経由の農具に大陸系磨製石器、短粒種のイネに水田技術は、ぜーーーんぶぜんぶ、どこからから入ってきたのだ??
ファイナルアンサー?
本当に大笑い >>328
で、遼東半島経由の櫛目文土器、無文土器、農具、大陸系磨製石器、短粒種のイネは
遼東半島の前はどこから入ってきたの?
で、第2波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系生活土器は?
で、第3波渡来人とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系生活土器は?
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの?
ほーれ、答えられんと所詮はただの高卒の偏差値35未満のマンガチックでむぱ男だと
いう事が完全に確定してしまうぞwwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています