4人連続射殺事件の死刑囚 永山則夫の生い立ち

1949年6月27日に北海道網走市番外地で生まれた永山は
8人兄弟の下から2番目として育てられました。

まだ彼が幼少期だった頃腕のいいりんご剪定士だった
父親は博打にはまり出し、とうとう家出をします。
たまに帰って来ることはありましたが、生活費を置いていく
どころか米を盗んだりするばかりでした。
この父親は不安定な生活を続け後に死亡しています、

長男はといえばガールフレンドが妊娠した途端に行方不明
長女は婚約破棄に堕胎と重なった為に精神錯乱状態になり精神病院へ入ります。

更に母親に至っては彼が5歳の時点で貧乏生活に
耐えられなくなり青森の実家に移り住みます。
この時母親は全員の子供達を連れて行こうとしましたが
切符代を買うお金が足りず4人の子供を残して出ていく
形になりました。

母親が出て行った後に残された子供達は今にも餓死しても
おかしくない生活を送り、その中でも年少の永山は他の
兄弟達からいじめられる日々を過ごしていました。
そんな子供達の様子をしばらく見ていた隣人は、いつまで
経っても生活が変わらない子供達を見て福祉事務所に通報し
兄弟達は青森に移ります。


世を怨め