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更に追撃を繰り返し受けた大彦やその子孫たちは一時的に落ち着いた地域に国を建てました。

アラハバキ国、日立国(常陸)、、、最終的に津軽に至り「日之本国」を建て、安東氏を名乗る。
各地の豪族の首長らによる合議制を採用して統治。
渡り島(北海道の古名)や樺太、千島の人々も日之本国に参画していたと言います。

津軽は首都の意味を込めて「日本中央」と呼ばれました。

後世、伊達政宗が日本(日ノ本)将軍といわれますが、そのベースは東北地方が日ノ本国だった記憶が有ったため。