いいデザインってなに??
以前「いいデザインなんてないじゃん」ってスレをたまにみてました。
正直スレ立てた人に反発をもってましたけど、それ以外の人々の考え方が非常に参考になりました。
刺激的な意見だったと思います。
なくなって久しく、その刺激に懐かしさを覚えます。
なので、皆さん語ってください。
なんかデザイナーのその立脚する足下を探り合うような、
自分の存在意義を示し合うような。
そんな刺激的な発言を期待します。
なので、僭越ながらスレをたてるにあたり挑発するような発言をあえてさせていただきます。
「お前らの作ったデザインなんて、オナニーであって、全然良くないじゃん!!
反論するならしてみろよ!!」
よろしくお願いいたします。 >>98
いいね
それは考えても見なかった。それって考えて作られたのかそれとも偶然? >>91
どうやら、違うらしいんだよね。
もっと高次な美があるらしいんだ。
そこまでは日本人では行けないんだって。
用と美の民族だから、そこどまりなんだ。 生物の形態って究極のデザインだな
ある規範に基いて確立した美に人為的に付け足したとしても、それは美しくない アートはこうでデザインはこうっていう説明がないと理解しずらいっていうことはつまり他者の文化であるからなんだよね。 少なくとももうケンチク含めモノ全般のデザインはもう終わりだろうね。工芸はこれからも残るだろうけど。
日本がやってもここまでだった的な結果が見えちゃったよ。これからまた途上国がおかしなことやってくんだろうけど。 >>105
木造やコンクリのハコモノ的なのはそう長くないだろう
でも新素材やハイテク制御でパラダイムシフトが起きれば
より自由度を増したカタチでいろんな事が出来るんじゃないかな >>106
うん。
ただその方向が加速すると、建築がますます製品(モノ)化していくんだ。
建築家はそれだけは避けたいとしている。 芸術とか、芸術的とかいう言葉がどうも気恥ずかしい。
自分を芸術家だとおもっている人たちも苦手である。ぼくはイラストレーターであり、子供の頃から
絵を描くことが大好ぎだったが、画家になろうなどとおもったことは一度もなかった。
小学生の時、ゴッホの画集を見ていて、自分の耳を切る話はまったく理解できなかった。
気味悪い男だなあとおもった。
絵を描いていると、インタビューなどでよく訊かれる。「壁にぶち当たったり、描けなくて悩んだり
したことはありませんか」、などといった質問だ。
ぼくは答える。「芸術家じゃありませんので、そんな恰好いいことはないですよ」
描けなかったり悩んだりするくらいならとっくにこの仕事はやめている。楽しいからやっているのだ。
自分を芸術家だとおもっている人たちのファッションも苦手だ。普通のシャツを着れぱいいのに
少しも似合わないマオカラーのシャツなどを着る。どこか普通じゃないことを主張したいのだろうか。
このマオカラー愛好家に何故か建築家が多いのもふしぎである。デザイン関係者にもこのマオカラー
ファンが多く、全国のデザイン会議などあると半分くらいがマオカラーを着て現れる。弁解して
おくが、マオカラーのシャツが悪いのではない。自分は普通じゃない、芸術家なんだといった輩に
魅入られてしまったのが不幸である。マオカラーには同情する。
人前で絵を描いたりするのも勘弁だ。ワークショップなどはぞっとする。人前で音楽に合わせて絵を
描くなどは死刑に等しい。もしも肉親がそんなことをしたら自殺するだろう。(イラストレーター) コピペする香具師って、何が楽しいんだろ、って何時も思う デザインって、設計だからね
よく考えられてるなって思えてどこか心地よさのあるデザインがいいデザインだと思う。
アートはオナニー。そこには画家と共感者がいるだけ。 >>110
ちょっとおかしいかな考え。
理解したい思いから解釈を急いでない?
アートが乃ち自慰とは違うでしょう。
デザインもアートと遠くない。
アートという文化圏の人がした設計なんだよ。
アートって本当に在るんだよ、日本に本当に“道”が在るようにね。
どうして日本に設計って言葉があるのにも関わらずデザインという言葉を使うかを考えてごらん。
僕はそれを「元来は無かった感性」と言いたい。
つまり君がなんとなく理解し難いことは、それで自然で適したことだと考えてる。 クライアントがいれば、デザインだって産業の一端となる
売り上げアップとか、知名度アップとか、好感度アップとか
クライアントの目的を達成するデザインが「いいデザイン」
自分の思いをがむしゃらに詰め込むだけなら幼児にだってできる そりゃあ、商業デザインの範疇やね
植物なら品種改良、わびさびが原種にはある クライアントが目的するものを達成ってのは「そうそう、これこれ」ってこと?
だとしたらいいデザインではないと思うよ。 例えば毎日大勢の人が触れる日用品に求められる良いデザインとは「老若男女問わず全員が好んでくれるもの」だよね。
つまり、子供しか好まないデザイン、女性しか好まな(以下略)は、良い悪い以前に好ましくない。
だから男が嫌うピンク色、老人が嫌うビビッドな色彩、等々その他多数の好ましくない要素は徹底的に排除していく。
そうして生き残るものが、少なくとも誰にも嫌われないデザイン、つまりシンプルやミニマルといったもの。
これらの中でも特に趣向が凝っていて美しいものが良いデザインだ。 それは大衆迎合でないか?それはデザインか?
デザインの源流となる宗教について勉強してみるといいよ。 >115 >116 アノニマスデザインほど良いという理屈であればそうかも。宗教もしかり嗜好性とか仕様の特殊性考えるとデザインの最適解は解決プラス提案ってことになるかも、個人に寄り添うモノ、多様性っていうやつ。結果経年でアノニマス(そんな単純じゃないか) 全てのデザインは必要によって生まれる、というのが大前提
宗教で必要とされるデザインと、日用品で必要とされるデザインは全く違うというのが小前提
116はただの衒学趣味、というのが結論 全然ちがう。
宗教で必要とされるデザインなんて話しじゃない。
どうしてデザイン文化(産業)が生まれるのか、その大元には何の働きがあるかについて述べている。
別で例えば、戦争はどういった根本要因で起こるかということ。国益でも大義でもない。
それに、宗教と日用品を対峙させるのもおかしい。 >>115で言ったことは、自転車のフレームや7セグメントディスプレイのような
実用のために作られた、大衆のためのデザインのこと。
装飾のためのデザインの話は一切していないよ。 普遍性を全否定するつもりは無いが
感覚に頼る「良い悪い」なんて時代や地域、趣味嗜好で180度変わることもある
いわゆる「流行り廃り」って奴だ
俺が言いたいのは>>112 すべてのデザインは必要性によって生まれる
どんなに素晴らしいデザインであっても、必要とされなくなった時点で寿命を終える
だからこそ、どんな時代・環境でも必要とされ続けるデザインが望まれているし、
そのためには普遍性が必要、時代に合わせて変化できる応用性が必要だと思う
他に言うことはなにも無い >>121
地域で180度変わるというのは一理あるね。
デザインというものがこの島民にはわからない。
だからこういったスレッドが立っているんだものね。 117です。
デザインは問題に対する最適解。
アートは問題に対する提案。
デザイナーの僕はそう理解してます。
その最適解が結果消費者に提案として受け入れられることを目標にしています。
(キャッチボール外ぎみですが) アートにデザインが使われる事はあるし、デザインにアートが使われる事もあるが、
両者は全く別物だよな。 126です
>127 全く違うというほど全く違うんでしょうか?似てるんじゃないかと思います、特に日本では。
アートやってる側はアーティー(アートっぽい)とアートを分けたがるほどアーティスト性を保つ大義があるので全く違うと言わざるを得ないといったことだと理解してます。スレの、いいデザインとは?の問いから考えたデザインやってる側としてはアートも近いと感じます。 デザインは設計によく似ていますよ。少なくともアートよりは似ています。
それはつまり、デザインがものの形状や模様を決めるだけのものでは無くて、
質感や重さ、耐久性、値段、使い易さ等も決定してしまうものだから。
だから、ただ美しいだけのものは(大抵の場合)高額で使いにくいものになるし、
値段が安くて耐久性のあるものでも、質感が悪かったら台無しに。
ただし平面的で二次元なもの(壁紙・ロゴマーク等)は例外で、
これは模様しか無いものだからアートに近いね。これは認める。 似ているっていうかdesignはもろ「設計」だからなあ。 >>130
おかしなことを言うな。
デザインの日本語訳が設計だ。
それと平面ならアートだと?
おまえおかしいんじゃないか?
とりあえず5周してこい。馬鹿。 自分の意見を乱暴にまとめると、合理的設計にとって装飾は無駄であり、同時に芸術も不要
合理的じゃなくて良いもの(壁紙の模様等)にだけ芸術的装飾が使われる、といったところ。
「合理的設計こそが真に美しく良いデザインだ」という立場からすれば、
非合理的な装飾をデザイン(設計)のうちに含めるのはあまり良い気がしないんです。
装飾ばかりに気を取られるデザイナーの多さには閉口します。
それと今までありがとう。汚い捨て台詞もスルーして欲しい。 129です
設計はプロダクトやインダストリアルデザイン、建築はもちろんウェブにもアートにもあと2次元にも伴います。知られているとこだとアップルのロゴは秩序だった幾何学設計から形をなしています。僕の理解では設計は最適解を出すための方法論の1つです。 129です
装飾、壁紙などのサーフェスデザインは無駄どころかかなり必要なものです。主に心理などに深く影響する視覚作用があります。もし無駄なのであれば動物の模様が説明つかなくなります。 確固たる「装飾=社会」があるんだよ欧州には。
日本にもあるよね。 古代ギリシャの大理石像を彩色するのがデザイン
それを真っ白に磨くのがデザイン
違いを楽しむ人の・・・・・・ 日本の文化捨ててデザインなんか実感もてるわけないよね。一生迷子だよね。 ポストモダンとモダンが仲良くなれるはずがない。
マジで犬猿の仲だな。 >>102
イデオロギーの問題でしょ。
バックボーンとなる宗教や哲学が日本には根付いてないからね。
デザインってようは簡潔な思考でもあるわけだから
対象の持つ特性を自らの思想に当て嵌める事で象ったり、あるいは思想そのものをデザインしたり。
ただ、単純な「美」に対する鋭さは世界一のレベルだよね、日本は。 >>144
そう、全くお話しその通りです。
それが問題の根本なんです。
イデオロギーというか、彼らの呼ぶ美という概念が我々に無いものなんです。
おっしゃる「単純な美」というのはよくわかりませんが、視覚的清潔さ或いは感覚的清潔さなら日本人は世界一だと思います。
しかし、それが美か?というと私は違うと思う。
異なる民族が文化を翻訳しようとすることの限界ですよ。 「簡潔な思考」というか、
「原理的思考」と私は言いたい。 >>144
正に宗教なんです。
デザインしよう原動力ですら、
美という観念すら、
意味の帰属先ですら、
すべてが宗教なのです。
私が>>119で伝えたかったことです。 どこが衒学ですか、これだって原理的思考によるものですよ。
問題の根本を見る力が無いんですねお前には。
もしくは直視を避けているか。
認めたくないのですか?不都合な道を歩いてきてしまったことに気づいて? たとえば「国家の品格」という本によると
日本人の「もののあはれ」、即ち人間の儚さや悠久の自然の中で移ろいゆくものに
美を見出す感性というものは、向こうの人は理解しがたいものとある。
もちろん例外もあるわけだけど、「もののあわれ」に相当する英語も近い英語も存在しないそう。
セミやコオロギの声に趣を感じ、バックミュージックとして聴くことができるのも
日本特有のもので、西洋人にとっては虫の声はノイズでしかなかったりするようで。
そのように古から自然と調和し、心を通わせる事ができる日本人と、
征服するべきものでしかないという捉え方の西洋人間で生じた差だということなんだと。
これに伴い日本には神道が生まれ、謙虚さが生まれた。
このへんを参照。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=230612
まあ、無いものに魅かれる人間の性を考慮しても
逆にフリーダムすぎて実利主義であるために、思考が軽薄になったツケが回ってるのは
間違いないとおもう。
ただ、そもそも西洋的解釈と日本の美的感覚が同居できるのかがそこはかとなく疑問だ。 近年の萌えイラストといった様式に見られるような
デフォルメの傾向性なんかは、まさにあなたの仰る視覚的清潔さが偏った形で出ているように見える。
しかしこれも思索や追究といったものが無いため、大量生産用のハンコでしかないんだよね。
概念的なことしかかけないけど、
つまらない横槍が入ろうがこういう話はどんどん展開させていくべきだと思う。
抽象概念を体系化できる人って実はけっこう限られてるし、
よければあなたの話ももっと聞いてみたいところ。
ましてこの話はデザインに限らず表現と名のつくあらゆるジャンルに適用できるので。
自分もこのへんの研究に関してはまったくの未熟者だから、
西洋思想を一から学ぼうと思っているよ。 >>149
アナログ時計の目盛りは最低60個。照明はほこりが付きにくく、衣服は洗濯しやすく丈夫。
デザイナー(笑)なんてこれさえ守れない奴ばっかりだからな。おまけに無駄に高い。
美のためにこれらを犠牲にするのは構わないが、それらを良いデザインだとするのはやめてくれ。
本当に良いデザイナーってのは、例えばブローニングのような、
実用的で、革新的で、それでいて美しいものを作る設計者のことなんだよ。
美しいだけのデザインならただの芸術作品と同じ。しかしそれなら絵画を飾る方が賢い。 更に言うと、全ての人間に共通する美というのは、つまり数学的な美のこと。
書き易い鉛筆が三角柱・六角柱・円柱であるとか、そういう基本的なこと。
ダヴィンチ曰く「シンプルさは究極の洗練」という話。
高次の美ってのは既に完成されているものなんだよ。 シンプルイズベストなんて基本中の基本の様式美だろ。
何が高次の美だよ。
いまの主題は機能美と様式美という二大美意識以上の美が西洋にはあり、
そのルーツを辿ろうという話だろうに。
>>115-119で完結した流れを繰り返すなよ。 それじゃあスレタイを改めるべきだな。
「美しいデザイン=いいデザイン」ではない。
なのになんで美の話をしてるんだ?芸術関係のスレなら腐る程あるというのに。 久しぶりに来ました、人類の普遍美は、もう一つ。オリンピック見て思う体操や水泳などは物理自然現象のなかで身体をどう使うか鍛錬するかの美しさ、例えがベタですがミロのビーナスのポーズの美しさと延長上の美しさが。地球上で起こる生物身体の所作に所以する美です まあいいや。批判の内容は聞かなくてもいい。
俺が「衒学趣味乙」と言ったのは、デザインと美を同軸で考える人間が居るからだな。
美的感覚なんて曖昧で、身近なものよりエキゾチックなものの方がより美を感じやすいし、
そんな美を参考にしても奇抜に走るのがオチだろ、という考えなんだ。
しかし、本当にお前ら哲学者みたいだな。なんでこんなナンセンスな議論を楽しめるんだよ。
結論なんて出ないのにさ。 156です、
古代のミロのビーナス的な身体と現代のアスリート的な身体との美的差は人類の欲求でデザイン欲求とも似ていると思います、
同じとは思いませんが。 >>155
なんか混乱してないか?「美しいデザイン」っていうのは
それこそ単なる感覚的な美意識に依存してるわけで
宗教だの哲学だの唱えてるやつはそういうレベルの事を言ってないと思うぞ
デザインとして思想が具現化されてて、その思想の内容を理解した鑑賞者がある種の美を見出すって話だろ
それに視覚効果を用いて一定の意図を共有体験させるという点では
デザインもアートも同じ、そう言いたいわけだろ >>157
哲学者みたいだとは何を言い出すんだ一体。
哲学によって美は確かめられ、その法則が導かれたんじゃないか。
君のすきな幾何学もそこからじゃないか。
ちなみに君の言う基本形も原理思考の所産なんですよ。
それが高次の美だ?君はここまでの話しが分かっていないのか。
デザインと美を同軸で考えないのならどうしてこの国でデザインという言葉を使うんだ?訳語があるにも関わらずですよ。
君にやらせても設計はできるだろうが、デザインはできない。その弁論が本気ならね。
君はこの話しが全然わかってないんだよ。
そしてこの話しの価値も見えていない。
それと最後にひとつ、>>154が述べているようにだ、
今までの議論進展を巻き戻すな。 とりあえず立てといた
どうも商業気質の関係者ばかりのようだからこっちで美について検証していこうぜ
美の本質を見極めるスレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/art/1343827657/ >>151
ハンコという言い表しかたも面白いですね。わたしはそれと同じことを自分なりには、記号性と呼んでいます。
萌えイラストは詳しくないんですが、そういったデフォルメについて考えるとき、私は浮世絵を参考にします。
美人画で描かれる二人の娘、お藤とお仙とは、顔が判別できないほど全く同じに描かれているのです。
これは美人という“記号”なんですね。
こういう捉え方が日本には古くからありますね。
ところで、彼ら西洋人が日本を理解するにあたって最初にしたことは、神道を基とした民俗研究です。
私たちもそれに習えば、西洋思想を研究することは、彼らの文化を見通すのに何より適した方法でしょう。 日本でいうデザインとかアートっていうのは
基本的に形骸化の象徴 美には普遍的な定義はない。偏在である。
しかし人間はエキゾチックなものに美を感じやすい。
だからデザイナー・アーティストの作るものは奇抜になりやすい。
以上、これより語ることもなければ、繰り返すこともない。あとは濁さず立ち去りますよ。 >>164
最後にひとつ伝えておきます。
私は君にわかってないと言ったけれども、
本当にどうしてもわからないのだろうと思うんだ。
そして、それこそが正に君が日本人として、大げさに言えば民族としての、健全で自然な知覚をしている証しでもあるんだ。
どうか自らのそれを侮辱はしないでほしい。
さよなら。
>>162の訂正
>>151
すまん、「ハンコ」とはデフォルメのことを指して呼んでいるのではないですね、勝手に誤解しました。>>162で書いたことは間違いなのでスルーしてください。 そういえば向こうでは
人間は神の創造物であるから失礼にならないように〜とかの理由で
人間を描きたくば可能な限り厳密で忠実な姿で描くべきだ、みたいな考えがあると
どっかで聞いたな
だから日本みたいなデホルメよりもリアル志向のクリエイトが多いのも当たり前か、的な
向こうならではの思想ってそういうことかな?
てか、この中でデザインを正しく理解できてるのって何人いるの? 156、158です
>>164 美には普遍的な定義はない。偏在である。
数学的な絶対解な幾何学や黄金比とかは美の普遍定義1つだと思っていました 数学幾何とさっき挙げた自然物理の中の生物身体の必然形態みたいなものが人類の普遍美だと思うのです。その上に成り立つイデオロギー、宗教と言いたかったです >>171
そのうち「あれは妖怪の仕業」とか言い出すんだろ?
お前はここに来なくていいんだよ。 どうでもいいけど、偏在と遍在を間違える人ってどうかと思うな わずかなことなんだが、ただ、ちょっと意味が変わってくるからな。。 あーつまんねお前ら書き込んでから
昨日まで活性してたのに 2chで誤字脱字に過剰反応して煽る奴って百発百中頭悪い 書きたいことあれば書けばいいやん
なにグチグチ言ってんのw キッコーマンの醤油さし。もう30年以上同じデザイン。 「へ〜〜、デザイナーが好きそうなデザインですね〜〜wwww」っていうね
結局のところデザインなんて結果論だし別に必要ないことだってあると思ってる
老舗のお菓子屋の包み紙なんて別に売れてるんならデザインしなおす必要ないし きちんとした知識人なり哲学者なりその他各界の学者などが、人の美に対する感性、
食物に対する好み(味覚)、何を好きになるのが正しいのかなど、「人それぞれ」と
我々が思ってる全ての概念を客観的な「正しい・誤り」「良い・悪い」で提示して
くれないかな?おそらく「全ての価値の優劣は私が知ってる」というような天才は
いるはずだよ?そうなれば安定した世界になると思う。それが俺の理想の世界。 美しい景観に関する運動家みたいな人々は、「我々が考える美こそ普遍的な美」
だと思ってるんじゃないかな?そうでもなきゃ、あんな主張はできないよね? >>189
バカというのは自分を持たないのに肯定否定だけは一丁前に行う生物なので
貴重な時間を費やしてそのような連中の価値観を揃える価値を見出せないだけ
そして素養のある奴は説明されなくても知ってるので彼ら同士その前提で話をする >>191
やはり全て客観的に評価できるって事だね?早く発表して欲しい。
人それぞれなんてウソだよな。 >>191
まずはあなたの好きなデザインを一個、ジャンルは何でもいいから言ってくれ。
好きな食べ物とかも差し支えなければ。自分もそれを「好き」という事にします。 自分らで判断する能力も知性もないバカですからどっかのお偉いさんが定めた価値観に従いますよ
ってのが日本にありがちな権威主義で それにあぐらをかく権威も一定数いるわけだけど
たいていそういうのは中途半端で本当にわかってる奴は定義として広めようともしない
なぜなら美に至るプロセス・成り立ちこそが肝心なのであって
それを把握しないとその美を理解したことにはならないし関心のある奴は自主的に学ぶものだと知ってるからだ 結局人に聞いてその場限りの表面的・概略的な理解を得るよりも
目の前の箱で探し当てた情報や文献を通して一見遠回りに思える学習のほうで自分が積みあがっていく
能力ある人は目的意識や知的好奇心で満ちてるからそんなことを当たり前にやってる
さして重要と考えていないどうでもいいことを人に尋ねたり直接的な回答を貰うことで解決するから
時間も温存できて効率が良い 自分が知りたいのは受け手、つまり素人が何かを見て「好き」「嫌い」「良い」
「悪い」を自由に感じていいのですか?という事。上で言われてるような能力のあるプロたちの審美眼や
価値観と照らし合わせてそれとズレていれば、自分の感性や価値観を矯正したほうが
いいですか?という事。今自分の目の前にあるパソコンも「好きな色」「デザイン」
を選んだんですが、それに自信を持っていいですか?という事を聞きたかったんです。 必要性を感じたり、ある程度体系化された原理に関して自信をもちたいのであれば学べばよいだけ
何を良いとして悪いとするかは自分の方向性次第だし
何もわからない人間にとって好き嫌いがすべてなのも当たり前 >>196
見る側に素人も玄人もない。
ようはそのデザインが「何を指し示すのか」ということ。
「何(意味)」は素人でも玄人でも見える。
それががはっきり見えている(そしてそれの指し示しかたを心得ている)作り手を「プロ」という。
>>198
どうだろ、見えてないこともあるとおもうよ。 >>191
そう。バカって持論も信念もないのに是非を言いたがる。