★中国が近代化してやるまで糞尿にまみれて暮らしていたチベット土人★

出典:河口慧海『チベット旅行記』(1904年)の「第九十回 不潔の都」

けれどもかえってラサ府の市街の道の悪い事といったら仕方がない。
高低の多い所で町の真ん中に深い溝が掘ってある。

溝は大小便の溜池 その溝にはラサ婦人のすべてと旅行人のすべてが大小便を垂れ流すという
始末で、その縁には人糞(じんぷん)が行列をして居る。その臭い事といったら堪らんです。
まあ冬は臭いもそんなに酷(ひど)くはございませんけれども、夏になると実にその臭いが酷い。
それで雨でも降ると道のどろどろの上へ人糞が融けて流れるという始末ですから、
その臭さ加減とその泥の汚い事は見るから嘔吐(おうと)を催すような有様。
一体ラサというのは神の国という意味で、いわゆる仏、菩薩すなわち外護(げご)の神様の
住処(すみか)で非常に清浄な土地であるというところから神の国という意味の名を
つけられたのである。けれどもその不潔なところを見ると、確かにパンデン・アチーシャが
いわれたごとく糞喰(くそくら)い餓鬼の都としか思えない。実に不潔なものです。

私はシナの不潔をしばしば耳にしましたけれど、恐らく糞の中、糞の田圃(たんぼ)を
堂々たる都の道路として歩くようなそれほど不潔な所はあるまいだろうと思います。
もちろんラサ府には糞食い犬が沢山居りますけれども、なかなかその犬だけでは喰い切れない。
犬も糞の新しいのは悦んで喰いますけれども古いのは喰わない。
だから古い奴が沢山残って行く勘定になるのです。

(続く)