■イザベラ・バードが見たソウル

 

「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。
礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、
荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。
おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の 汚物を受ける穴か溝で狭められている。
酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、
土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。

 ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。
蓋のない広い水路を黒くよどんだ水がかつては砂利だった川床に
堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。
水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。
Seoulには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。
他の都会ならある魅力がSeoulにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、
旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない。
結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。」