ノクターナル・アニマルズ
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主人公が帰宅した後に付いてきた車
あれが元夫だよね? 最後、待ち合わせの店に来なかったのは意趣返しかな? ネタバレサイトによると小説を送るのとと同時にすっぽかしによる復讐らしい。ギャラリーにリベンジって作品あったから間違いないかな 別れてから20年間も復讐の機会を狙ってたってこと?それは怖いな >>4
あんだけ手間ひまかけて?しょうもねえ復讐劇だな
そりゃ女に愛想尽かされるわけだわ 自分に黙って子供を堕ろした事が一番許せなくて復讐に至ったんだろうと思う
それが20年後の今なわけは、スーザンと現旦那との娘が小説に出てくる娘と同じくらいの年頃になるのを待っていたのかも
役作りの為か痩せ細っていたけど、マイケル・シャノンがカッコ良かった 娘が中指立てなかったらよかったのに
悪い方向に話が進むのは観てて辛かった ゲイだけあって女に対して容赦ないというか女への嫌悪感すげぇな
女優を綺麗に撮ろうなんてさらさら思ってないし
逆に男優は魅力的に撮る人だ そう??
エイミー・アダムスが凄く綺麗で自己中で嫌な女に撮れていて
さすがゲイだわと感心したよ
小説中の娘の死体と、
スーザンの娘が同じ体勢で寝ている描写は悪趣味だった
原作だとどう書かれてるんだろ トム・フォードの少年時代の写真に写ってた実の母親、
映画に出てくる母親そっくりだった
あのお母さんのでっかいヘアスタイル、
ふた昔前でもありえ〜んと思ったら
そういう事だったんだね エイミーアダムスのお母さん役の人、イーストウッドの映画に出てる人だった。すっかり叔母さんになってた。 ローラ・リニーやね。かつてはよくアカデミー賞の候補になってた。 とりあえず
スマホ画面注意な
気を抜いてるとえらい目に会うぞ 美術面は流石だけど個人的にテキサスの乾いた感じがより際立って良かったわ 見てきたぞー
ラストでヒロインはすっぽかしに気がついたみたいだけどあそこはもう少し強めの演技でもよかったかな。
勘ぐればキリがないけど、たぶん2番めの相手との仲が冷えた時を狙って、
小説家として十分に素晴らしくなった自分を見せて、その小説の中では娘を殺したことを非難し、
そしてやりなおしてもいいかなぁと食いついたらおめーなんかもういらねーよw
こういう話だなたぶん。表現がソフトなだけに見終わったあとじわじわ来る。 娘は母親に似る
この法則でアイドルの面接するらしい
母親見ればその子の将来がわかるとのこと 絵に描いたように母親の予言どおりになるのが笑ったw
あと、見てない人にお知らせしたい。
冒頭でいきなり無修正のまんこがじっくりとかなり長い時間見える。
こういいうのが嫌いな人はちょっと注意すべし。 あれを見て、いままで前から手を入れて拭いてた自分が正しいと思ってたけど
後ろから拭くのがもしかしたら正解なの?とか自問自答した。 この映画の原作小説のタイトルは「トニーとスーザン」なんだな。 2回目行ってきた
>>2
今回はそのシーンしっかり確認してきた
門が閉じてから車が止まって降りてきた男の足が写るね
前夫エドワードが小説を届けに来たんだろうね
エドワードはスーザンが作り出した妄想の人物説があるみたいだけど、個人的には無いなぁそれ 冒頭のグロマンで只者ではない映画だと引き込まれたw
高速道路でのあおりと暴行は偶然にも日本ではタイムリーな内容だね。
ラストは小説と同様に家族を拉致して殺す位のショッキングなものを期待してしまった。 >>23
女性はわりと前から拭く人いるみたいね。
ばいきん入るからケツは後ろから教育が欠かせない。 大変面白かったがトニーがモーテルで裸になるとこは身体付きがたくましすぎたかな
撮影がサウスポーでボクサー役やったあとだったのだろうか >>30
それ思ったわ違和感ありまくりだった
単にトムフォードの趣味かと思ってしまったわ
すまんな やっとまともな批評ブログが一個見つかった。
これ、復讐の話じゃないよ。そう書いてる人は全員作中小説がどういうものかを誤読してる 記事見て大体合点がいったけど中々凄いこと仕掛けてたんだなトムフォードは
と同時にそれに気付けなかったのなんか悔しい なるほどねぇ。まあそれもひとつの解釈だな。
決めつけるのはよくない。 >>35
ノクターナルアニマルズ ラストシーン でググれ
トニーはエドワードじゃなくてスーザン
レイはスーザンじゃなくてその母親
ノクターナルアニマルズ(複数)ってことは登場人物全員がスーザンの投影で
原作のタイトルはトニーとスーザン
そしてスーザンはそれに気づかないまま終わる ふむ。
スーザンが最後のシーンで見せたハッとした表情はなんだろう?
それともあれは単になぜ彼はこないのかなぁという表情かな。 やばいな、解説見る前はシングルマンの方が良かったと思っていたけどそんなに深いとは
これは殆どの人が深い意味を知らないで大したことなかったという感想で片付けてしまうんじゃないか しかもそのブログの解釈から行くと、
映画のミスリードにまんまと乗せられ、さらに解説サイトを見てその解釈を信じ込んでいるあなたもスーザンと同じじゃないですか?
とトム・フォードは言ってるように考えられて、うまいこと作ってあるなあって感心した。 旦那が浮気してるから自分もしてやろう、って考えか
見事に見抜かれてたな >>38
絵作り自体が凄いからなんか綺麗な映画だったなー話はバカだけど って感想だらけなんだよな
ネタバレ感想!みたいなアフィ目的の映画ブロガーも全員騙されてるしアホばっかりだよ
海外でも復讐話として見られてるみたいだしトムフォード笑い止まらねえだろうな ノクターナルアニマルズってよく練られたタイトルだわ
こういう余韻を楽しめる映画はいいわ 解説ブログ読んで得心。世の中には優れた人が居るもんだ。 エドワードがアークティック・モンキーズのアレックス・ターナーに激似
髪の毛上げたジェイクとアクモンのアレックスはやっぱ似てるわ
ナイトクローラーの時も同じこと思った 現夫役のアーミーハマーが若過ぎて混乱した
娘もエドワードの子か?と思ったくらい。
ジェイクと違って特に老けメイクもしてないのはなんでだろ。 矢に串刺しにされた牛のオブジェかっこよかったがあれって存在すんのかね 今じゃアメリカでも原作のタイトルnocturnal animalsになってんだな。
あえて映画がtony&susanじゃなくてnocturnal animalsにしてるってのがトムフォードの意図を汲む上でヒントになる気がするんだがなあ。 最初のおデブアートはマニックスのアルバムジャケ思い出した ブログ読んだ後で思い返すとスーザンは自分の部下に変化を求めろって言ったのにイメチェン?してきたら変化するなとか言ってたな
それも暗喩だろ >>55
あれはフロイトの孫の絵
Lucian Freud fat で検索すると同じ構図のデブがいっぱい出てくる 時間の無駄に付き合うバカを眺めに来ました
なるほどマニックスファンかw
そういう自分が何を好きかすらボンヤリしていれば楽しんだ気分になれるのかもなw
エイミーなんとかはメッセージに続いてクソ駄作フラグに認定しましたw
ベネチア審査員グランプリって買収専門の賞なのかと思ったけど
このカス監督がブランドのデザイナーってことで
ミラノコレクションにコネがあったら調整がつくんかもねw
リンチやキューブリックとか全然ありえんからw
そういやメッセージでも2001年引き合いに出してたっけww
笑うしかないわwwwwww
ではみなさん。引き続きバカの狂宴をお楽しみくださいww そう真逆
ただ救われかけていた側がそれに一切気づかないだけ >>62
なるほど
結局封印は解けなかったってことか それにしてもオープニング度肝抜かれたな
逆にあれで集中力高まったけど ダミアン・ハースト Saint Sebastian, Exquisite Pain
極上の痛み 、、、牛 (>_<)
他にも現代アートがたくさん オープニングとエンディングだけはマシな方
それ以外は寝てる方が充実する 学生時代のエイミーアダムスとジェイクギレンホール、シワとかなくてびっくり 豪邸のリビングに飾ってあった大きな写真も、別の人の作品なんだよね
家のリビングに、射殺?されようとしてる絵って、、、 小説世界のラストでトニーが自分を撃つの、あれは自殺なの?倒れた拍子の暴発なの?
あと、赤ん坊のモニター画像に一瞬出てくるの、あれ、レイでいいのか? >>71
あれは暴発のように見えたけどな
iPadに映るのはレイ >>53
ダミアンハーストのSaint Sebastian, Exquisite Painてやつだよ 思ったより胸糞悪かったけどこういうアメリカの短編小説読んだことある気がしたな
赤ん坊のシーンが1番怖かったよ 劇中小説の人物に誰を投影するかでかなり見方が変わっちゃうだろうな しかしスレが全然伸びてないね
内容的に公開館が少ないのは納得だったけど スーザンのアシスタントみたいな女だが、人工的な顔、妙ちきりんな服、iPhone壊されても
「来週新型が出ますから」と余裕の姿勢。なんかコワかったわw 昨夜観てきた
最初マイケル・シャノンは犯人たちとグルかと思って不安だったわ
結局かっこいい刑事だった
なんかグラントリノ思い出した
あと小説内の妻はエイミーアダムスを若くCG加工したのかと思ったら違う役者でびっくりした
よく似てるね >>79
そうだよね。俺も若作りにしてはできすぎだろと思ってたんだが、
ヨメさんは同じ人だといって譲らないんだわ。 え、違う人なの?
キャストの情報どこにもないんだけど アイラ・フィッシャー - ローラ・ヘイスティングス
アイラ・フィッシャーは『グランド・イリュージョン』のフォー・ホースメンの紅一点 本当だ、別人だわ
あの辺り怖くてちゃんと観てなかったんだよね
エイミーアダムスだと思い込んでた 読者であるスーザンの想像で進むから、自分に捧げられた小説の主人公トニーの容貌は前夫エドワードだけど、その妻は自分のようで自分でないってことで微妙にスーザンに似た女性なのかな ごめんなさい
学生時代の回想シーンのことかと混乱した
さすがに小説中の妻が別人なのは分かるよ 回想シーンはCGだよね
もしトムフォードのファンデで若返るなら即買いだけどw 化粧品までやってるんだ
トムフォード多才過ぎだろ… 小説世界でのスーザンはレイたちだから、妻は別人なのでは? >>91
なるほど特殊メイク以上、CGレベルだろうね 現代のアーミーハマーはもう少し老けメイクした方が良かったんでは
若々し過ぎて大学院時代に出会った同年代?には見えなかったw トニーの奥さんにアイラ・フィッシャーをもってきたのは
やっぱ意図を感じるよね
ミスリードに効果的だったし 捨てられた遺体は絵画的、アート的で違和感感じたな。
もっとぐちゃぐちゃでもおかしくない。
まあアート映画だから良いのかな。 あれもあくまで散文を元にしたスーザンのヴィジョンだからな 思えば最初は別の車が絡まれてたのに余計なことしたってことだよな、小説の中・・・ 不良側が悪いのは当然として
小娘が粋がって中指立てるのも悪い パトカーがガン無視して走り抜けて行ったのはひどいな 20年前に離婚ってのに気づかず、小説の内の妻(アイラ・フィッシャー)がエイミーアダムスに見えたから
小説の物語は実際にトニーとスーザンが経験した内容を元にしてるのかと勘違いしながら観てしまってたわ
スーザンが小説読んで悲惨な過去を思い出して息苦しくなってると
もう一回観てくるわ >>98
アートっぽさがむしろ嫌な感じだった
母娘で向かい合わせにってトムフォードもよくやるよ チンピラのレイたちも銃を持っていないことには、なにか意味があるのかな? 撃たれた後にバールのようなモノで反撃できるかというと無理だと思うんだ >>111
銃身は男性性の象徴でもあるからそれを持ってないってことは… エドワードがエドワードとして登場するのは最初のあの一瞬だけなんだな >>112
火掻き棒だったな。なんでそんなもんがトレーラーにあったのかはよう分からん。
しかし、心臓を撃たれても数秒であれば動けるはず。もちろん個人差はあろうが。 体幹に銃弾が直撃したらはじき飛ばされてそこまでだと思う。
刃物の国の東洋人でもそれくらいはわかる。
しかし途中までトレーラーは車のことかと思っていた俺。 >>112
そういうこと気にしてたら映画なんて観られないだろう うんにゃ、トンデモ設定は受け入れられるが、そのほかのディテールにはリアリティが欲しい。 何であんな綺麗なソファがあんなところにあるのかは気にならんのか そこはアートだからね。
ただ想像の世界でも時系列が逆になるのはおかしい。
とはいえ、基本的には細かい話なので気にせんといてくれ。 >>112
胸を撃たれた直後に反撃したって実例はたくさんある。 スーザンの家に飾ってあったライフル持った人の写真、狙われてる人の風体にルーを似せてたな ケツ拭いてるところで保安官が「もう十分だって」言ってたけどもうちょっと拭きたいよな。 あんな風に軒先に剥き出しトイレってホワイトトラッシュあるある描写なの? こういう感性って同じような大傑作の
湯を沸かすほどの熱い愛に似てるよな
お前らも 何が言いたいんだよ。大傑作なところとかソックリじゃん大傑作なところ スーザンの娘役の女優もファーストネームがインディア アーミーハマーも電話の娘もぜーんぶ妄想なの?
どこからどこまでが現実か考えすぎてもうわからん 小説を読んでるスーザンがいる世界は実在
スーザンが回想する過去は実在した時間だけどスーザン主観
トニーが主人公の小説内世界はスーザンの脳内世界 >>47
面白く読んだけど
自論に整合しないREVENGEとかデブ女ズとかを
ミスリードって切って捨てたりするやり方だから
全面首肯はできないな
トニーの生き方=変化への励まし取るならば最後の自殺同然の暴発はどう解釈するのかとか
そもそもエドワードはスーザンと同棲していて彼女の読解力のレベルはよく把握してるはずで
彼女が作者の意図が読み切れないタイプならそれもわかってるはず >>135
かつてのトニー=スーザンはこれによって葬られたってことじゃないのかな
俺は基本的には復讐ではないってことで>>47を否定しないけど、ボビー=エドワードなのかなとは思った
無私でトニーをサポートしつつ最後にはトニーの前から消えていくわけだし、待ち合わせに現れないことの示唆ととったよ 暴発は自立して戦うことにはそれ相応の危険が伴うし、荒野の真ん中で誰にも助けてもらえないようなこともあるけどねっていうメッセージかね 映画に込めたメッセージを知って欲しいならもっと分かりやすくするべきだけど別に万人に知って欲しいわけじゃないんだろうな >>139
そこまで含めてトムフォードは映画のタイトルを作中作と同じノクターナルアニマルズにしてると思うなあ >>138
「愛したのなら簡単に投げ出してはいけない」を実践してるんだよ。 解釈は人それぞれ…だとしても、
ちょっと観客に委ねすぎだと感じたな。 妻子殺された男に、犯人を目の前にして銃渡す刑事なんているのか。 ボビーは殺させる気満々だったんだろ
んでおそらくその罪は自分で被る気だった >>145
いるかって、そこに足踏み出すかどうかダイナーで確認してただろ おまえらこんなもん見るならゲットアウトにしとけや
この監督の次作はお金もらわないと見る気起きないが
ゲットアウトの監督の才能は物凄い。フィンチャー以来の才能といって全く遜色なし 確かにホームアローンの泥棒みたいにコミカルなギャングが真面目に怖い設定はゲットアウトには無いな
なぜノークターナルのギャングはあんなにコミックマイルドなの?深淵なの? ノクターナル見るようなマニアはゲットアウトくらいは既に見てるよな。 見たいのに地元でやってない件
はやくしないと終わってしまう スーザンの母親は自分たちが「強い」のに対してエドワードを「弱い」とし
その違いも理由の一つして結婚に反対した
「強さ」はアメリカ共和党支持者の金持ちが人材に求める資質なんだね
小説家志望者としては一番にくるものではないがそんなことはお構いなし
母親にはエドワードが別の映画だがパターソンに見えたんだろう ゲラウトと両方観たが、こっちの方が好きな映画だな。
しかし、「才能が物凄い」なら、せめて名前くらい覚えてやれよw どっちも面白かったけど
こっちはそもそもホラーじゃないから比較するもんじゃなくねっつう ホラーだからくだらないって短絡的な先入観だけで見るとノークターナルが面白くなくのかな?
正直、リドリースコットのエイリアンくらいの価値がある傑作だったぞ、ノークターナルじゃないほうは
ゲットアウト以上の傑作を見つけられる君たちにノークターナルのギャングについての考察を聞きたい
まずはノークターナルのギャングは怖かったのかどうか。そしてその意図をどう見たのか
さあどうぞ 俺がどう思ってるかはいいから
君たちというか君がノークターナルのギャングをどう見たか書いて見て? 怖かったよ
トニー=エドワードの強さが試される場面だった
そして弱かった故に妻子は奪われた
現実のエドワードもだからスーザンを失った
ってところで出かけます ああ、自分が言いたい事しか言わないし
自分が聞きたい事しか聞けないタイプの残念な子か >>158
>ホラーだからくだらないって短絡的な先入観だけで見ると
そんなこと誰か言ったっけ? ゲットアウトが面白いのと、この映画のチンピラの描き方と何の関係があるのかわからん なるほど
君の答えはこうだ。ノークターナルのギャングは怖いかどうか、回答に困るギャングだと
俺のほうが面白いってことだね。だいたい同じ意見だよ。さすがに俺よりは面白くあって欲しかった >>164
ゲットアウトよりノークターナルが好きだって意見があったからね
ノークターナルで一番印象的だったのがギャング描写とその小説を読んで「やなもの読んじゃった」って表情する主人公なんだよね
そういう違和感からさらに小説を続けて読むと
これはどういうこと? >>166
>これはどういうこと?
君の違和感の理由をオレに訊かれてもわからんよ >>167
だからその人は>>162だから会話しても無駄だよ
ノクターナルアニマルズのキャラでいうとレイたちと一緒 >>167
じゃあ違和感なく見た君はギャングと読後の表情をどう見たの? >>144
同意
原作小説読んでまた観直したら印象変わるんだろうけど、胸糞描写も多いから前作みたいに繰り返し観たいと思えないんだよな…
単純に同時期にやってるからってことでゲットアウトが出てきたんだろうけど、作品のタイプ違い過ぎて比較対象にならないよね スーザンの表情はレイたちに恐怖したんじゃなくて、自分の知ってるエドワードの作品からは程遠い暴力の予感に不意を突かれて慄いたってことだろ ギャングの陰惨さを描こうとして失敗し、 ホームアローンのバカ泥棒みたいになったのが
この作品が大失敗した根幹だと思う。そうなっちゃったらなったで脚本を直せばいいのに
主人公も陰惨なものに対しての反応をしてるから主人公までホームアローンのバカ泥棒の仲間みたいに見える
あと三大映画祭にもこんな欺瞞があるんだって知れる良いサンプルになったと思う。そういう価値があるね 見てる間ホームアローンなんて一瞬たりとも浮かばなかったw 言われても全く似てるとか共通点があるとか思えないw だからさあ、映画を見れてる君にはこのギャングがどう見えたんだよ?? あいつらが減らず口でおちょくって小バカにしてるのを言ってるわけじゃないよな? まず車止めるな、窓開けるな、
喋るな、本気でアクセル踏め
後半の警官がらみのところでズッコケたかなんかで逃げ出す描写も酷かった
この辺がコミックマイルドだと思ったよ
こんなズッコケの連続が実存と絡むなんてどういう飛躍をすればいいの?
自分は愚かだ。自分の愚かさが怖いってことか? >>184
> まず車止めるな、窓開けるな、
> 喋るな、本気でアクセル踏め
これってキミの言うギャングたちの描写じゃなくないか? >>184
> 後半の警官がらみのところでズッコケたかなんかで逃げ出す描写も酷かった
これだけ?コミックマイルドなギャングって? パンフレットなかなか良かったね
滝本誠さんのコラム目当てに買ったけど劇中のアート作品解説ページや衣装紹介ページがあってなかなか楽しいパンフだった
滝本さんの“これぼど背面が美しい女性死体はいまだ見たことがない。”ってコメントの横にあの場面の写真も載っててるからじっくり見れる
よく見るとあの赤いソファーにも破れがあったりと本編で観たときには気づかなかった細かなディテールも確認できた
シングルマンの損壊した自動車もそうだけどトム・フォードのアーティスティックな想像上の“現場”描写がすきだ ダミアンハーストの牛は初見だったが流石にすぐわかったw>劇中アート
あんな悪趣味なのを作る奴は他にいない 俺的に疑問なのは
>>47の解釈だとスーザンには芸術を見る目が無いってことになるはずなんだが
ダミアンハーストとか悪趣味とはいえ評価は高いし売れてんだよな
旦那はしくじってるっぽいけど
スーザンの方の芸術家パトロン業は上手くいってるように見える
ってことは見る目はあるんじゃないのか? >>190
過去の回想シーンでエドワードに、きみは自分で自分を封印してしまってるて言われてる
それは母親に代表される保守的で封建的な考えがもたらしてるわけで、
それを打ち破らない限り真の自分と出会えないし、真の幸福も見つからないってことかなと
スーザンが成功してるのはアートを虚業として転がすことができるからで
それをスーザン自身も承知してるのは、アートはどうでもいいのよっていう発言や
冒頭のインスタレーションを展示したオープニングセレモニーを
ジャンクカルチャーじゃなくてジャンクって吐き捨ててるところにうかがえる
誰もいなくなったギャラリーで一人いるスーザンの瞳とラストの瞳は変わることがなかったわけで
それはエドワードが言う、母親と同じ悲しい瞳っていうこと >>191
>アートを虚業として転がすことができるからで
だからそれが出来るのは目利きじゃないと無理だろっていう
実際旦那の方はしくじってんだし
ただのジャンクって突き放しながらも
作家の才能は見抜けてる
エドワードについてもね >>192
エドワードが言ってるのはアーティストとしてのブレイクスルーだから
「わかる」のと「できる」の決定的な違いじゃないなのか >>194
>>47の説だと
スーザンの母と同じってことは
アートの価値も見抜けないし
エドワードの真価もわからない
そしてノクターナルアニマルズの真意も読めない女ってはずなわけで
エドワードがある種の試しとしてあの本を送ったのは間違いないけど
その真意を復讐にないと断言まではできないと思うのよ
少なくてもずっとエドワードの原稿を読んでて
がっつり批評もしてきてたはずなんだしさ >>195
> スーザンの母と同じってことは
> アートの価値も見抜けないし
> エドワードの真価もわからない
スーザンの母と同じってことは、結局はマチズモに身を委ねた生き方をしてしまうってことじゃないのかな
悲しい目っていうのはその象徴だろ
スーザンの中にアーティストとしての才能や煌めきをエドワードは見てるのに、スーザンは自分で自分に枷をはめて解放していない
だから、これでわからなかったらもうキミはお終いだって言う愛のある最後通牒だと思ったよ 作りだす側としての煌きと
作品を評価する力って違うよね
たとえばスティーブンキングって現存する作家では最高レベルの才能の人だけど
彼の薦める作品はw トニーの復讐劇には違反行為を辞さない警察官という奇跡の助っ人が現れたおかげでどうにか成し遂げたが
トニー自身も死んでしまったので相打ち
自分のキャパを越えようとしても奇跡が起こらないと出来ない
たとえ奇跡の力を借りたとしても代償は高くつく
だから君(スーザン)はそのまま今の場所にいなさい
自分はそのレストランに行くことはないから
つまりエドワードは今のスーザンの生き方を肯定してくれている
と解釈してみた 最後がよくわからなかったから原作買ってしまった
設定からしてけっこう違うね ダミアンハーストはアートというより投機対象としての色が強いからなあ 垂れ幕に極上のミステリーって書いてあったけど、ミステリーじゃないじゃん >>203
劇場によってはポスター以外にも横断幕みたいなのが壁にあるのよ(笑) エドワードが劇中小説ってゲラ刷りとか言ってたけど出版する気はないんじゃないかって思う。
スーザン自身に対してはグサグサ刺さる内容かもしれないけどさ、小説としてペラいじゃん。 あれあくまでスーザンが自分に寄せて投影した部分だけなんじゃないのか?
あるいは、出版が決まったってブラフかけることで権威主義的なスーザンをぐらつかせてるのかもしれんけど デブのババアを裸で置いとけばそれが高尚なアートなのかw
エイミーアダムスのパート無くても成立する映画だよなあ そりゃ作中作なんだからエイミー・アダムズのパート無くても作品としては成立するでしょうよ
なにいってだこいつ 成立するかもしらんけど監督の伝えたいことは分からないしただの復讐?劇にしかならない スマホのベビー中継映像にはビックリさせられた
トム・フォードはホラー映画を撮るべきだわ
かなり怖い作品が出来るとおも ツインピークス見てると、あれはボブにしか思えなかった コーマック・マッカーシーとかジム・トンプスン好きな自分は小説パートはホントに痺れた
トム・フォード監督は人間の意識を視覚化する事に取り憑かれててそこが好きだわ
この映画のテーマであるとされる、別れた妻への作家の復讐というより、いち読者としての空想世界構築過程をみせるっていう、ただ人が読者しているだけの映画なんだけどどうしてこんなに面白く見せられるのかがわからない
本屋で美女が本を立ち読みしている姿と彼女の脳内世界を同時に覗きみているような感覚というか
この人の映画だったら何でも観ちゃうな マイケル・シャノンの刑事はジム・トンプスンのおれの中の殺し屋
(映画キラー・インサイド・ミー)の主人公思い出して
こいつヤバいやつに違いないとドキドキした 観てきた
物凄くネタバレ↓
トニーがマッチョで、そんだけ筋肉あれば三人組に殴り返すくらいはできるんじゃと思ったわ
そしてパトカーがガン無視、娘が中指立てはひどいw
あのシーン、結末分かりすぎて観るのきつかった
小説の中の妻はスーザンのことを示してるんだよな?
三人組が今の夫で、トニーはエドワード
トニーの娘は三人組のせいで殺されたけど、エドワードの娘も第2の夫が現れたことで殺された、って あと、最初の裸体ムービーにびっくりしたわ
R12Gだっけ、下まで映ってるけど大丈夫なのか >>216
>小説の中の妻はスーザンのことを示してるんだよな?
ここで解釈が分かれちゃうんだろうな
シャワー浴びるスーザンとトニー
バスタブにつかるスーザンとトニー
とかオーバーラップが繰り返されてたし 隣に座っていた夫婦、娘たちの連れ去られシーンで奥さんの方が席を立ってしまった。映画が終わってロビーに戻るとダンナが「お寿司食べて帰ろう」って待っていた奥さんに優しく語っていてチョットほっこりした。 途中で出て行った客そういえば数人いたな
まああのシーンは精神的にくるものがあるからしょうがない 俺なんて2つ隣の爺が上映1時間くらいたってチョロチョロチョロチョロ...って床に小便垂らしてたのに最後まで観たよ(そのときの席列は爺と俺だけだった)
4DXなのか、爺なりの応援上映だったのかは謎だが映画の冒頭が肥満全裸婆乱舞だったから妙に腹も立たず寧ろ映画に相応しいのではないかと思いながら観てた >>219
結果が見えてるし、しつこい描写だったもんな。
フィクションとしても胸糞だったね。 ほっこりって死語が寒い
ラスト大事なのに結果見えてるって呆れる オチの感じがムーンライトっぽかった
これからまだまだ続きそうなのに終わる感じが
一番最初の裸体があったから、トイレシーンでも全部見えると思ったのにそんなことはなかった >>219
最後まで見たけど、温かい紅茶とかケーキ食べたくなったよ… >>229
どうせ大したこと言ってないよ>町山
プロメテウスの謎を解説します→元の脚本から書き換えたから謎が残ったんです!
みたいなことを有料でやるだけ これはほんとに下らない失敗作だと思うので
町山が褒めるの眺めるのは絶対面白いと思うw 復讐というか、元旦那も元嫁とよりを戻したい気はあるが
うまく素直になれない。男は不器用。
みたいな話じゃないのか、これ >>47のは大体同意できるんだけど、待ち合わせのレストランを指定したのはエドワードじゃなくてスーザンだよな? レストランを指定したのはスーザン
あと、夫にいい生活をさせてもらうだけの存在に成り果ててしまったと>>47にあるけど
逆で夫の仕事に援助を申し出ていたような
スーザンを主体性がないとは思えないけどなあ
アートの近くにいながら創作に向かわないスーザンはその情熱がないというだけで
すでに素質に限界が見えているしギャラリーオーナーは天職でしょう
でもこれを推し進めた解釈は「置かれた場所で咲きなさい」になってしまう スーザンの母親から程遠い世界であろうアートの世界にあえて入っただけで美術自体に興味がある訳じゃないしギャラリーの仕事してるのも過去に関わったことがあるからってだけでやってそう この映画女への嫌悪を感じる
どうしても邪推してしまうわw スーザンは芸術家志望だったけど自分に才能がないとわかってギャラリーのオーナーになったんだよね
んで、大学在学中にエドワードと偶然再会したとき彼が作家志望だと知って惹かれるようになるんだけど...
って流れだったはず >>240
>スーザンは芸術家志望だったけど自分に才能がないとわかってギャラリーのオーナーになったんだよね
エドワードに言わせれば、母親の影響で自分を封印してしまって、才能を信じてチャレンジしなかったっていうことになる >>239
女性をスーザンという個人に当てはめると、たしかにそういう見方もできそうだよね
つまり芸術を生み出す女神≒女性とするならスーザンは芸術を作るのではなく芸術を金持ちに高額で売りつけるただの商人だし、
エドワードとの芸術的共作であるはずの妊娠ですら自身の意思で中絶してしまう
映画冒頭の豊満な裸婦踊りと巨大な裸婦が臥しているモニュメントも、妊娠によって太っているのではなく自身の欲に溺れ何も産み出さない女、そしてその死っていう香りが漂っているように感じるし
※子どもが産めない(産まない)女性・男性についてとやかくいうという事ではありません 少しブルーバレンタイン思い出した
それに虚構の層がもう一つ重なるけど現実に起きた出来事のメタファーとして機能してるのが上手い >>236
DVD コメンタリーで監督が真相ばらしてるね >>247
マジ
結局トニー=エドワードで「君は僕を壊したけど立ち直ったよ!でも君と僕はもうやり直せない」ていうことらしい
まあ映画て色んな解釈できるよねて話
自分の解釈に合わない要素をミスリード!て言っちゃう人は信用しないが えー?それだと結局曲解しすぎた解釈だったってこと? 47は斬新な解釈と文章の巧さでおおっと思ったが自分はあまり同意出来なかった
エドワードが現れなかった理由がスーザンに変化が見られなかったからという辺り
あの本を読んで外見に現れるほど急激な変化をスーザンに求めるエドワードとか自分は受け付けなかった ただの立ち直り報告とでももうやり直せない報告だったのか・・・😱 あくまで解答例として示しただけでしょ
人それぞれで解答出せばいいと思うよ
ちなみに俺はスーザンを釘付けにしてる間にエドワードが浮気相手と娘を殺しに行ったと解釈した 47はあまりにも自分の解釈が正しい他はアホみたいなオーラを出し過ぎてるからなあ フィクションの製作を通じて自分の思いを訴えること
それは私が映画でやったことと同じ
そしてそれが伝わらないこと
前作を通して感じた
その奇妙な経験を生かした
byトムフォード
とwikipediaに書いてある
結局今回も私的な映画みたいだね そういえば、エドワードが私的すぎると批判されて作家はみんな自分のことを書くだろうと怒ってたね 純文学やりたくて私小説書いてるのに「自分のこと書くのやめたら?」なんて言われたらそら腹も立つわなぁ シングルマンがもろ自分のことだったから批判されたのかもね
個人的にはトムフォードの私的な部分にも興味あったから何の批判的な気持ちも持たなかったが
トムフォード自身テキサス出身だし、今回もやっぱり私的な映画なんだろうなあ トムフォード、前作から今作までの間で同性のパートナーとの間に子供作ったんだよね
どうやって作ったのか知らないけど
その過程で色々あったのかとも思う
トムフォードが多くのテキサス人と同じくカトリックだったら
子供を降ろすことに対して信じられないくらい嫌悪感持っているかも
しかしカトリックではゲイの存在は許されてないから違うのかな? 薄っぺらいというか、前作見て基本的にシンプルな話を作る人だと思ったよ
シンプルなことをすごく丁寧に演出する人だと思った 主人公はテキサスからニューヨークに出てきてる設定だったけど
トムフォードもテキサスからニューヨーク大学に行ってるんだね
全部自分の分身なのかもね 立ち直ったところを見せるのは過去に自分を裏切った人間が持つ罪悪感を軽くしてもいる
でもそれ以上を求めてくるのは図々しいわそんなにお人好しじゃねーわ
理解出来ます つまりトム・フォードの映画も包摂する原作が素晴らしいってことでおk?
映画は演者たちと映像と音楽が素晴らしくて
オレが観た今年の作品の中ではTOP3に入る >>267
シングルマン も同じ作曲家でおすすめ
日本人の梅林茂さんの曲もいい >>254
確かに
よく読むとガバカバもいいとこだし自分の解釈と矛盾する描写は全部無視してる
セブンハッピーエンド説の人思い出した トム・フォードが言ってる結末はひねりがないっちゃないがエドワードの人物像がノーマルで
健全な凡庸さを感じさせるからあれでいいんだろう
トム・フォード自身は才能に溢れビジネスも大成功しているからメンタルとしてはスーザン母娘のような
強さと野心も持ち合わせているよね
でも母娘の描き方を見るとそれがすべてではないとも思っている とにかくオープニング映像のインパクトはここ数年でピカイチだったでござる 若い美女がやってたら、アートではなくてただのエロになるんだもんな 母親に代表されるマチズモへの依存と保守性は、トム・フォードにとってのテキサスの投影なんだろうな 赤ちゃんの映像にレイの幻影が見えたのはやっぱりレイ=スーザンっていう暗喩だよね?
子供をおろした醜い自分が見えたってことで そもそも元夫なんて存在しなかったって解釈はひん曲がりすぎだよな... それは元夫が作中に姿を現してないからまだ分からんでもないよ
>>47のトム=スーザン説はめちゃくちゃすぎる
そもそもスーザンは優柔不断どころか夫の才能も愛もさっさと見限って堕胎しちゃう決断力の塊なわけで
エドワードとの喧嘩でも愛を簡単に諦めるなて言われてる
小説読んで考え直して使えない人間をもう少し様子見ましょうと言ってるシーンまである
夫に食わせてもらってるて記載は本当に映画見てたか疑わしいレベル
夫は完全に落ち目でスーザンの方が仕事はうまくいってる
これ見てなるほどて思っちゃう人は詐欺に簡単に引っ掛かりそう >>277
なるほどねー
まぁ監督が答え出しちゃってるから俺らの好き勝手な解釈は監督の意図からそれちゃうんだけどねたw
結局、夫からの嫌がらせか鼓舞かどちらかってことにしておこう
もちろんスーザン=レイは間違いないね >>47が読めなくなってるけどどんな事が書かれてたの? 監督のコメント出てからここぞとばかり47への反論を始める 最初から気がついていたよ
卓越した想像力と深い洞察と誤読勘違いだらけの>>47の魅力をw >>280
urlの最後についてる余計な]をとると読めるよ >>47は細部はともかく大筋としちゃ魅力的な推察だけどもな 上であったセブンハッピーエンド説と同じで普通と違う解釈ってオタクの優越感をくすぐるのよ
凡庸な観客はこう思っただろうが実はこうだったんだぜ、てな感じで
都合の良い情報しか拾ってないから巧く組み立てられてるように見える
まあ>>47に関しては自説のために事実をねじ曲げまくってるから話にならんのだけど
それも映画一回見ただけだと記憶があやふやになってしまうから騙されてしまう 別に騙されてないけど。。。
何行ってんだ?と思って終わった スーザンは結局は母親の考え方に沿う人生を送るに至ったわけだが
それを母親への依存とか支配から抜け出せないでいるとし
スーザンのアーチスト志向断念をことさら強調するのが>>47
だが映画の事実からはかなり無理があるw
ただ今のスーザンは現旦那の件でハッピーではないことは確かで
どこかでボタンを掛け違えてしまったのかとスーザンと共に見ている方も振り返りたくなる
で、明らかにエドワードとの子供の中絶と離婚が分岐点
全部スーザンの判断だった
いいレストランで一人酒を飲みながらしだいにエドワードが現れないことを分かっていくスーザンに
あらためて自分の行動の責任を実感し受け入れようとする成熟した女性の姿を感じたよ って長々書いてみたけど結局>>47よりつまらないんだよね
悔しいけどw >>287
ただあそこのスーザンの目(母親と同じ目)は、冒頭のギャラリーに一人居る時の目と変わってないんだよな 妻・娘・略奪者と自分より強い存在に流されて生きてきたトニーが、
復讐を通して自分の弱さや自責と向き合い、自分の意志を通すことに挑んだ
しかし結局はその弱さを抱えていくことができずに死んでしまう
スーザンに置き換えると、
エドワードとの結婚を通して両親への反発心やブルジョワ的な虚栄心を乗り越えようとしたが、
結局自分の弱さに負けて結婚は破綻、エドワードのような「弱いが繊細な人間」として生きるスーザンは死んだも同然
ただ同時に、死は新しい自分への転生でもあって、現実に生きるスーザンとしては成功した
最後の悲しい目は、「自分がエドワードと生きる道はもうない」ということを理解したから
と妄想した スーザン=トニー説はマスターベーション以上の価値は無いよ
エドワードからしたらスーザンを弱い者・奪われる者として描く筈がない
スーザンと母親の会話もエドワードとスーザンの会話も無視してる
むしろ都合の良いキーワードだけ拾って自説を補強するのに使ってる トニー=エドワードなのもあくまで小説を読むスーザンの脳内変換なんだよな 47の言うトニー=スーザンとしてメッセージをスーザンに届けたいというエドワードの試みは失敗
通じていない
スーザンはトニー=エドワードと変換しているんだから >>294
> エドワードの試みは失敗
それは同時に、最後まで仕掛けに気づかなかったスーザンの失敗でもあるってことだろう >>295
ごめん書き方がよくなかった
つまり47の失敗と言いたいんだ あの内容の小説で主人公がスーザンなんて伝わるわけないだろとは思う
伝わると思ってたならエドワードは凡庸どころか大馬鹿野郎
そんな仮説をそれらしく嘘で飾り立てながらどや顔で発表する47も大馬鹿野郎 >>249までは誰も何も言わなかったのに恥ずかしいやつばかりだな 冒頭のインスタレーションも映画内小説もセンスがないので、お似合いの二人だと思った。
似合いすぎてトラブったと。 今日新宿上映最終日観てきたけど
横の方にいた男が上映中に何度も指をポキポキ鳴らしたり
ペットボトルをバキバキ潰しながら飲んだり
家で一人でDVDでも観てるかのような傍若無人っぷりでドン引き
エドワードのセリフ、失えば二度と戻らない
ってセリフが響いた映画でした >>304
そんなアホ客には文句いったらんかい!
こんなとこで吐き出してんじゃねえよ。
作品となんも関係ない内容じゃないか。 心がささくれ立ってるねw
クリスマスに予定がなさそうな人 確かに>>304のレスは最後の1文以外スレチというか板チだから>>305の言い分も分からないではない
>>304も次からは映画一般板にある以下のスレを利用するといいと思う
【映画館】今日の隣の席の人【劇場】 Part.4
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/movie/1509630628/ この映画を恋愛や異性に縁がない人が観て意味があるのか? >>310
仮に意味が無いとして、見てからそれに気付くわけだからどうしようもないだろw 意味云々より縁が有る無しで映画を選ぶというのが信じられん
殺人や宇宙や江戸時代に縁がなくても面白そうなら見るし楽しめるだろう でも俺もがっつり恋愛ものは>>310みたいな時は見向きもしなかったな
これはただのサスペンスだと思うが 殺された嫁がずっとエイミーアダムスに見えてたんだが別の女優が演じてたんだな
眼鏡の度が合わなくなったことをこの映画で知れたw なぜ自分の経験、境遇、環境に合わせて観る映画を決めなければならないのか 最初のダンスシーンで変態っぽさを予想したが、最初だけで変態度皆無だった
警部補の目がイっちゃってるからもしやこいつはと思ってたら、正義感の強い超いい人だった
いろいろ裏切られる映画 この映画の感想はアメリカにも、目黒雅叙園ホテルがあるんだなと思っただけ 雅叙園風レストラン、高級店なんだろうけど下品よねぇ 目黒雅叙園好きだけどなあ
ケレン味というものじゃないかな もともと遊郭だった場所に娼館をイメージして再建した建物だものそりゃ下品だわよ >>47読んでえええ!?と思ったけどやっぱ復習説が正解なのかぁ
でも小説のキャラがスーザンの色んな面を投影して描かれてるっていう解釈は面白いな つかその考えに説得力あるから信じたわけで監督の声明なかったらずっと47だと思ってたわ スーザンの脳内映像ではエイミー・アダムスは出てこないし特定の誰かと言うより
登場人物それぞれに投影されてる面はあるのかもね
復讐の話なのかもしれないけどスーザン目線に絞ることでいくらでも想像の余地が残されてるのが面白いな マイケルシャノンは強靭な男性性を背負わされたキャラ演じることが多いね >>47が書いてる通り小説パートのトニーはスーザンの投影だろうな
ただしエドワードはエミリーの読解力では理解出来ないと思ってたし待ち合わせにも最初から行く気はなかった
いたずらにエミリーの心をかき乱した復讐劇という感じだろうか 母親役のローラ・リニーがまだ53歳でびっくりした
エイミー・アダムスと姉妹で通る年齢差なのに、あのいかにも金持ちの母親然とした演技すごいな 小説パートはすげえこと起こってるのに
実際は元ダンナから連絡あって
ちょっといいカッコしてデートに誘ったけどすっぽかされた、っていうだけの話
が余韻としてよかった すっぽかされただけなんだけど、元夫の男が遅咲きの出世をして
街角やテレビで人気小説家として名前や顔を見せる度にスーザンには嫌な思いを繰り返させるわけだから
それを考えるとスーザンは浮気夫と元夫に二重に苦しめられ続ける人生なんだな >>334
スーザンざまあみろって感じはなかったな
恋愛ってこういうのよくあるよねえっていう着地が大人っていうか
もうちょっと安い店選べよ!だからダメなんだよ!とは思ったけどw 客単価どんくらいなんだろな、あの店。
100ドルや200ドルじゃないよな。 >>335
ああ、それは俺も思ったw
口紅落とすくらいじゃなんにもなってない ラストでスーザンがエドを待ってるレストランと、キル・ビルでブライドが黒服仮面を
斬りまくってた「青葉屋」って、実は同じところなんだなw
まあ手が飛び足が飛び血が吹き出しまくるシーンはセットなんだろうけど。 スーザンが寝るのを忘れて読んでる姿がノクターナルアニマル
小説家を目指す時点で普通の勤め人の小さい成功では満足しないエドワードも同じ種族
庶民とは違う世界を見せてもらった うーん、自分と元褄の関係を小説に比喩しての復讐というか当て付けか・・
わかりづらいなー
リンチ辺りを意識してたんだろうか?
アーロンの声がトッポジージョみたいにやたら高くて憎々しさが半減した
声って重要だわ
どうしても悪ぶってるキックアスにしか見えんかったw >>335
これは結構鋭いとこついてるかも
実際のとこエドワードは店のチョイスで行く気なくした
っていうのが真相だったらすごくリアルかつシニカル >>344
アホかいな。
そんなんじゃこの話の雰囲気に合わないだろ。
20年もスーザンのこと忘れられない男がスーザンの選ぶ店がどんなのくらい分かってるに決まってる。
それで来ないってのが店のチョイスの問題であるはずがない。 復讐劇ではなく主体性を持って生きろってメッセージの映画だとしてもアートの絵面無かったら陳腐な映画だよな オープニングのルシアンフロイドとビルヴィオラを引用した映像がピークだったな 原作予習してから観に行ったが
スーザンは主婦で母親はエドワードとの離婚に反対ってだけで
別に抑圧なんてしてないし
子供の堕胎もしていない、エドワードも再婚してる
>>47の解釈は面白いが
監督の一存でそこまでラストの意味合いを変えられるとは思えない 上の記事だが>>246で指摘される前に「コメンタリーだと違うと言ってるけど」って書いてるじゃん >>351
コメンタリーが出てから記事を修正したんだぞ 298 名前:名無シネマ@上映中 [sage] :2017/12/14(木) 00:53:19.52 ID:s4sl0arG
>>249までは誰も何も言わなかったのに恥ずかしいやつばかりだな いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
時間がある方はみてもいいかもしれません
ネットで検索するといいかも『蒲原のロロムムセ』
T63KW 小説パートが迫真すぎて
フィクション内フィクションと分かってても胸がキリキリした ・冒頭のあのシーンで驚いた・・・けどしつこすぎ
・物語上必要なのだろうけど小説内のトニーの行動が愚かすぎてイライラMAX
・エドワードがスーザンに「愛しているなら努力しなきゃ!」って説得していたけど
本当に愛がある状態だったなら努力なんかする必要はないのでは? 今鑑賞終えた
これ結構な傑作だろ、小説パート引き込まれるし
現実とうまくリンクしてて小気味良い 去年映画館でみたけど最後のシーンの意味を今でもふと考えることがある 愚かなスーザンに復讐した、あるいは気づかせようとした、
という解釈で割れているみたいだけど、エドワードの方も相当やばい奴じゃない?
付き合ったけど合わないから別れる、というのは普通によくある出来事なのに
別れないように努力しないといけないと言ったり、別れたことをずっと根に持っているとか、まともじゃない
(子供を勝手におろしたことについてはスーザンが悪いと思うけど)
スーザンが最終的に母親と同じような人生を歩んだり芸術家をあきらめるのも個人の勝手だし
そういったことを責められるのは、一言でいえば「大きなお世話」でしかないと思う エドワードの方は小説家目指してたし、やっぱり普通とは違う思考で当然と思う いや死ぬほどつまんなかったわ久々に二時間盗まれた思いだ。シングルマンはなかなかの傑作
だと思うから期待してたんだけどな。話がつまんないのはいいとしてもあのときの映像的美しさが
今回は皆無だったのが一番痛い。トムフォード、一発屋でしたね 劇場で、dqnに絡まれるシーンで席を立った観客が一番見る目があったと思うわ。 今見た。ラストシーン、スーザンは返信してないんじゃないかと思った。
原作があるので答えはあるのだろうけど。 47に元夫はその後成功したって書いてるけど成功したなんてシーンあった? 本屋に新刊がずらっと並んでるシーンがなかったっけ? トニーのあまりにものヘタレっぷりに極度の怒りが爆発した
しかし劇場であるが為、罵声を浴びせることが出来なかった
結局ストレスが極限まで達し劇場鑑賞中に、吐いた
後にレンタルしてディスプレイにありったけの罵声を浴びせまくった
トニーは最後までヘタレ
あんなクソ男に生きる資格はない
復讐のプロセスもクソ女々しい
あああ!またストレスがたまって来た!
クソが! >>376
あー、おクスリ増やしておきますね。
今日から新しいおクスリも飲んでいただきます。 >>376
あなたあの主犯男より怖いんじゃない?w >>376
凄いね
さらっとこのゲイ監督が言わんとしてるキーワードを示してる
あんた筋者だね 2016年11月3日8時30分ごろ、東京湾羽田沖で大量の水蒸気が噴出、
同時に海底を通る東京湾アクアラインでもトンネル崩落事故が発生、政府は原因を海底火山か熱水噴出孔の発生と見て対応を進める。
矢口蘭堂(やぐち らんどう)内閣官房副長官は、ネット上の一般人の動画や目撃報告から、
いち早く巨大生物の存在を示唆するが、一笑に付される。
間もなく巨大生物の尻尾部分がテレビ報道され政府は認識を改める。
巨大生物は多摩川河口から大田区内の呑川を這いずるように遡上し、蒲田で上陸、北進を始める。
対処方針は駆除と決まり、自衛隊に害獣駆除を目的とした出動が要請される。巨大生物は北品川近くで変形、直立二足歩行を始める。
自衛隊の攻撃ヘリコプターが攻撃位置に到着するが、付近に逃げ遅れた住民が発見され、攻撃は中止される。
巨大生物は突然歩行を止め京浜運河から東京湾へと姿を消す。巨大生物は上陸から2時間強で死者・行方不明者100名以上の被害 を出した。
巨大生物の再度襲来に備え、矢口を事務局長とした「巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)」が設置される。
被害地域で微量の放射線量の増加が確認され、巨大生物の行動経路と一致したことから、巨大生物が放射線源と判明する。
米国より大統領次席補佐官および大統領特使が極秘裏に来日し、巨大不明生物は海洋投棄された放射性廃棄物に適応進化した、
「ゴジラ (Godzilla)」と呼称する未発表の生物であること、その研究していた牧悟郎という学者が行方不明であること、
牧が残した謎の暗号化資料等が日本側へ提供された。巨災対は、ゴジラは体内の原子炉状の器官から活動エネルギーを得ており、
そこから生じる熱は血液循環によって発散しているため、血液循環を阻害すればゴジラは生命維持のため自らスクラム停止・急激な冷却を行い、
活動停止するはずであると結論づけ、血液凝固剤の経口投与によってゴジラを凍結させる「矢口プラン」(仮称)の具体検討を始める。
11月7日、前回の倍近い大きさとなったゴジラが鎌倉市に再上陸、横浜市・川崎市を縦断して武蔵小杉に至る。
自衛隊は武蔵小杉から多摩川河川敷を戦場とした 、ゴジラの都内進入阻止のための総力作戦「タバ作戦」を実行するが、
傷一つ付けることができず、突破されてしまう。ゴジラは大田区・世田谷区・目黒区へと進行する。 米国からの大使館防衛を理由に爆撃機をグアムから日本に向かわせたとの通知を受けて、政府は正式に米国に攻撃支援を要請する。
港区にまで進行してきたゴジラに対し、米軍の爆撃機による攻撃を始め、ゴジラに初めて傷を負わせることに成功するが、
ゴジラは口から火炎や光線を、背部からも複数の光線を放射しはじめ、爆撃機をすべて撃墜し、港・千代田・中央3区の市街地を破壊する。
総理大臣官邸から立川広域防災基地へ避難するところであった総理大臣らが乗ったヘリコプターも光線によって撃墜され、
総理を含め閣僚11名が死亡する。一方ゴジラは東京駅構内で活動を停止する。
政府機能は立川に移転、総理大臣臨時代理も立てられ、 矢口はゴジラ対策の特命担当大臣に任命される。
米軍の爆撃で得られたゴジラの組織片の分析より、今後ゴジラは無生殖で増殖しネズミ算式に群体化していくことや、
小型化や有翼化、それにより大陸間を超えて拡散する可能性が示唆された。また2週間後には活動再開すると予測された。
国連安保理はゴジラへの熱核攻撃を決議し、住民360万人の疎開が行われる。
巨災対は核攻撃ではなく矢口プランによるゴジラ停止の完遂を切望するが、ゴジラには元素を変換する能力もあったことが判明し、
血液凝固剤が無力化される懸念が生じてしまった。その直後、それまで謎だった牧の暗号化資料の解読の糸口が見つかり、
解読・解析結果からゴジラの元素変換機能を阻害す る極限環境微生物の分子式が得られる。
それを抑制剤として血液凝固剤と併せて投与することで解決の見通しが立った。
国連軍の熱核攻撃開始も間近に迫る中、矢口プランは、「ヤシオリ作戦」という作戦名で、日米共同作戦として開始される。
無人運転の列車を使った爆弾でゴジラを起こし、次にエネルギー消耗のみを狙った米軍の無人航空機群による攻撃が、
ゴジラが光線を出せなくなるまで続く。光線が途切れたところを付近の高層ビルをゴジラに向け爆破・倒壊させてゴジラを転倒させる。
建設機械部隊とコンクリートポンプ車隊が近づきポンプ車のアームより累計数百キロリットルの血液凝固剤をゴジラの口内に流し込む。
これらの繰り返しにより、ようや くゴジラの凍結に成功する。ゴジラは東京駅脇に凍りついたまま立ちつくす。
その尻尾の先端部には背びれを持つ人型の小柄な生物数体が、生じかけたまま静止していた 2016年11月3日8時30分ごろ、東京湾羽田沖で大量の水蒸気が噴出、
同時に海底を通る東京湾アクアラインでもトンネル崩落事故が発生、政府は原因を海底火山か熱水噴出孔の発生と見て対応を進める。
矢口蘭堂(やぐち らんどう)内閣官房副長官は、ネット上の一般人の動画や目撃報告から、
いち早く巨大生物の存在を示唆するが、一笑に付される。
間もなく巨大生物の尻尾部分がテレビ報道され政府は認識を改める。
巨大生物は多摩川河口から大田区内の呑川を這いずるように遡上し、蒲田で上陸、北進を始める。
対処方針は駆除と決まり、自衛隊に害獣駆除を目的とした出動が要請される。巨大生物は北品川近くで変形、直立二足歩行を始める。
自衛隊の攻撃ヘリコプターが攻撃位置に到着するが、付近に逃げ遅れた住民が発見され、攻撃は中止される。
巨大生物は突然歩行を止め京浜運河から東京湾へと姿を消す。巨大生物は上陸から2時間強で死者・行方不明者100名以上の被害 を出した。
巨大生物の再度襲来に備え、矢口を事務局長とした「巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)」が設置される。
被害地域で微量の放射線量の増加が確認され、巨大生物の行動経路と一致したことから、巨大生物が放射線源と判明する。
米国より大統領次席補佐官および大統領特使が極秘裏に来日し、巨大不明生物は海洋投棄された放射性廃棄物に適応進化した、
「ゴジラ (Godzilla)」と呼称する未発表の生物であること、その研究していた牧悟郎という学者が行方不明であること、
牧が残した謎の暗号化資料等が日本側へ提供された。巨災対は、ゴジラは体内の原子炉状の器官から活動エネルギーを得ており、
そこから生じる熱は血液循環によって発散しているため、血液循環を阻害すればゴジラは生命維持のため自らスクラム停止・急激な冷却を行い、
活動停止するはずであると結論づけ、血液凝固剤の経口投与によってゴジラを凍結させる「矢口プラン」(仮称)の具体検討を始める。
11月7日、前回の倍近い大きさとなったゴジラが鎌倉市に再上陸、横浜市・川崎市を縦断して武蔵小杉に至る。
自衛隊は武蔵小杉から多摩川河川敷を戦場とした 、ゴジラの都内進入阻止のための総力作戦「タバ作戦」を実行するが、
傷一つ付けることができず、突破されてしまう。ゴジラは大田区・世田谷区・目黒区へと進行する。 米国からの大使館防衛を理由に爆撃機をグアムから日本に向かわせたとの通知を受けて、政府は正式に米国に攻撃支援を要請する。
港区にまで進行してきたゴジラに対し、米軍の爆撃機による攻撃を始め、ゴジラに初めて傷を負わせることに成功するが、
ゴジラは口から火炎や光線を、背部からも複数の光線を放射しはじめ、爆撃機をすべて撃墜し、港・千代田・中央3区の市街地を破壊する。
総理大臣官邸から立川広域防災基地へ避難するところであった総理大臣らが乗ったヘリコプターも光線によって撃墜され、
総理を含め閣僚11名が死亡する。一方ゴジラは東京駅構内で活動を停止する。
政府機能は立川に移転、総理大臣臨時代理も立てられ、 矢口はゴジラ対策の特命担当大臣に任命される。
米軍の爆撃で得られたゴジラの組織片の分析より、今後ゴジラは無生殖で増殖しネズミ算式に群体化していくことや、
小型化や有翼化、それにより大陸間を超えて拡散する可能性が示唆された。また2週間後には活動再開すると予測された。
国連安保理はゴジラへの熱核攻撃を決議し、住民360万人の疎開が行われる。
巨災対は核攻撃ではなく矢口プランによるゴジラ停止の完遂を切望するが、ゴジラには元素を変換する能力もあったことが判明し、
血液凝固剤が無力化される懸念が生じてしまった。その直後、それまで謎だった牧の暗号化資料の解読の糸口が見つかり、
解読・解析結果からゴジラの元素変換機能を阻害す る極限環境微生物の分子式が得られる。
それを抑制剤として血液凝固剤と併せて投与することで解決の見通しが立った。
国連軍の熱核攻撃開始も間近に迫る中、矢口プランは、「ヤシオリ作戦」という作戦名で、日米共同作戦として開始される。
無人運転の列車を使った爆弾でゴジラを起こし、次にエネルギー消耗のみを狙った米軍の無人航空機群による攻撃が、
ゴジラが光線を出せなくなるまで続く。光線が途切れたところを付近の高層ビルをゴジラに向け爆破・倒壊させてゴジラを転倒させる。
建設機械部隊とコンクリートポンプ車隊が近づきポンプ車のアームより累計数百キロリットルの血液凝固剤をゴジラの口内に流し込む。
これらの繰り返しにより、ようや くゴジラの凍結に成功する。ゴジラは東京駅脇に凍りついたまま立ちつくす。
その尻尾の先端部には背びれを持つ人型の小柄な生物数体が、生じかけたまま静止していた 2016年11月3日8時30分ごろ、東京湾羽田沖で大量の水蒸気が噴出、
同時に海底を通る東京湾アクアラインでもトンネル崩落事故が発生、政府は原因を海底火山か熱水噴出孔の発生と見て対応を進める。
矢口蘭堂(やぐち らんどう)内閣官房副長官は、ネット上の一般人の動画や目撃報告から、
いち早く巨大生物の存在を示唆するが、一笑に付される。
間もなく巨大生物の尻尾部分がテレビ報道され政府は認識を改める。
巨大生物は多摩川河口から大田区内の呑川を這いずるように遡上し、蒲田で上陸、北進を始める。
対処方針は駆除と決まり、自衛隊に害獣駆除を目的とした出動が要請される。巨大生物は北品川近くで変形、直立二足歩行を始める。
自衛隊の攻撃ヘリコプターが攻撃位置に到着するが、付近に逃げ遅れた住民が発見され、攻撃は中止される。
巨大生物は突然歩行を止め京浜運河から東京湾へと姿を消す。巨大生物は上陸から2時間強で死者・行方不明者100名以上の被害 を出した。
巨大生物の再度襲来に備え、矢口を事務局長とした「巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)」が設置される。
被害地域で微量の放射線量の増加が確認され、巨大生物の行動経路と一致したことから、巨大生物が放射線源と判明する。
米国より大統領次席補佐官および大統領特使が極秘裏に来日し、巨大不明生物は海洋投棄された放射性廃棄物に適応進化した、
「ゴジラ (Godzilla)」と呼称する未発表の生物であること、その研究していた牧悟郎という学者が行方不明であること、
牧が残した謎の暗号化資料等が日本側へ提供された。巨災対は、ゴジラは体内の原子炉状の器官から活動エネルギーを得ており、
そこから生じる熱は血液循環によって発散しているため、血液循環を阻害すればゴジラは生命維持のため自らスクラム停止・急激な冷却を行い、
活動停止するはずであると結論づけ、血液凝固剤の経口投与によってゴジラを凍結させる「矢口プラン」(仮称)の具体検討を始める。
11月7日、前回の倍近い大きさとなったゴジラが鎌倉市に再上陸、横浜市・川崎市を縦断して武蔵小杉に至る。
自衛隊は武蔵小杉から多摩川河川敷を戦場とした 、ゴジラの都内進入阻止のための総力作戦「タバ作戦」を実行するが、
傷一つ付けることができず、突破されてしまう。ゴジラは大田区・世田谷区・目黒区へと進行する。 米国からの大使館防衛を理由に爆撃機をグアムから日本に向かわせたとの通知を受けて、政府は正式に米国に攻撃支援を要請する。
港区にまで進行してきたゴジラに対し、米軍の爆撃機による攻撃を始め、ゴジラに初めて傷を負わせることに成功するが、
ゴジラは口から火炎や光線を、背部からも複数の光線を放射しはじめ、爆撃機をすべて撃墜し、港・千代田・中央3区の市街地を破壊する。
総理大臣官邸から立川広域防災基地へ避難するところであった総理大臣らが乗ったヘリコプターも光線によって撃墜され、
総理を含め閣僚11名が死亡する。一方ゴジラは東京駅構内で活動を停止する。
政府機能は立川に移転、総理大臣臨時代理も立てられ、 矢口はゴジラ対策の特命担当大臣に任命される。
米軍の爆撃で得られたゴジラの組織片の分析より、今後ゴジラは無生殖で増殖しネズミ算式に群体化していくことや、
小型化や有翼化、それにより大陸間を超えて拡散する可能性が示唆された。また2週間後には活動再開すると予測された。
国連安保理はゴジラへの熱核攻撃を決議し、住民360万人の疎開が行われる。
巨災対は核攻撃ではなく矢口プランによるゴジラ停止の完遂を切望するが、ゴジラには元素を変換する能力もあったことが判明し、
血液凝固剤が無力化される懸念が生じてしまった。その直後、それまで謎だった牧の暗号化資料の解読の糸口が見つかり、
解読・解析結果からゴジラの元素変換機能を阻害す る極限環境微生物の分子式が得られる。
それを抑制剤として血液凝固剤と併せて投与することで解決の見通しが立った。
国連軍の熱核攻撃開始も間近に迫る中、矢口プランは、「ヤシオリ作戦」という作戦名で、日米共同作戦として開始される。
無人運転の列車を使った爆弾でゴジラを起こし、次にエネルギー消耗のみを狙った米軍の無人航空機群による攻撃が、
ゴジラが光線を出せなくなるまで続く。光線が途切れたところを付近の高層ビルをゴジラに向け爆破・倒壊させてゴジラを転倒させる。
建設機械部隊とコンクリートポンプ車隊が近づきポンプ車のアームより累計数百キロリットルの血液凝固剤をゴジラの口内に流し込む。
これらの繰り返しにより、ようや くゴジラの凍結に成功する。ゴジラは東京駅脇に凍りついたまま立ちつくす。
その尻尾の先端部には背びれを持つ人型の小柄な生物数体が、生じかけたまま静止していた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています