フォルトゥナの瞳 有村架純
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どう考えても「死」でしょ 「死の運命」とでも言いましょうか 人の死が見えるのだから
愛する人の死の運命を回避するため自分が死を選ぶ、そんなテーマかなと なるほど とにかく感性的だろうがなんだろうが褒めてくれているんだから(⌒_⌒) 野に腐ち鳥についばまれ海に流れ魚の餌になる
死は日常誰の目も気にしないで死ねるそんな時代もあったんだ 孤独死は迷惑この上ないけど
体から放つ悪臭にはこの世に対する恨みがこもっているのかも知れない 今の両親の間に生まれたことを運命と思うのか偶然と思うのかはたまた必然と思うのか 運命と一言で言ってもいろんな解釈の仕方があるみたいだから自分に都合のいいよう解釈することをおすすめ 偶然も必然もしかり 自分に都合よく解釈したほうが生きやすい 運命だろうが偶然だろうが
今の両親の子供に生まれたのは自分にはどうしようもないことなのでむしろ気は楽だ 自分の両親を自分で決めることができるとしたら悩ましい その場合今の両親を再び選ぶ人はどれくらいいるのだろう 少ないと思ったけどでもさんざん迷った末今の両親を選ぶ人案外多いかも ヒトは生来保守的にできているのだ 分かっているから安心できるっていうのが一番かも 嫌なことはみんな運命のせいにしてしまえるなら運命という言葉は悪いものではない
ある種人生の遊びと言えるかも ハンドルに遊びがなければ危ないし常に緊張を強いられる
運命という言葉は誰がということもなくひねり出された人が生きるための遊びなのかもしれない だとすれば運命に弄ばれることはないのだ むしろ運命を弄べばいいのだ たぶん
弱い人ねと言った桐生葵は運命と遊び言われた木山真一郎は運命に弄ばれたのだろう 同じ能力を持つ超能力者と巡り会う、七瀬ふたたび的なところもあった 七瀬ふたたびという小説を読んだこともないし映画を見たこともない というより正直七瀬ふたたびという意味がわからなかった 「七瀬が、旅先や働き場所など様々なところで自分以外の超能力者と出会い、仲間を増やして行くのだが、
途中から超能力者を抹殺しようとする組織に狙われて、逃げまわる」
と言う話と言うことを波野井露南という人が書いているのを読んだ 七瀬ふたたびというのは
火田七瀬(ひた ななせ)という人の心を読む力を持つ超能力者(テレパス)で
二十歳そこそこの若い美貌の女性が活躍する物語の2作目で1作目からふたたびという意味らしい この物語の中の超能力者たちは、
その暗黒組織(その組織が何なのか超能力者抹殺の目的の理由もはっきりとは示されていない)
にほとんど対抗できずに皆殺しにあってしまうのである。 作者の筒井康隆氏はこの悲惨な小説でいったい読者に何を訴えたかったのだろう?と波野井露南氏は首をかしげている 文庫本の解説を書いている平岡正明という人は、
「この物語が低俗なSFブームに溺れそうになったから、作者自身が自分の手で、大きくなりすぎた七瀬という主人公を殺すことで完結させた」
という意味のことを言っていると波野井露南氏は眉をひそめ言っている まあこの波野井露南という名の素性もよくわからない方の書いたものだからいささか眉につばしてはいる 確かにフォルトゥナの瞳には七瀬ふたたび的なとこがまったくないとは言えないけど
波野井露南氏の言うとおりならまったく別物と言わざるを得ない 運命という観点から見るとその殺し屋みたいな暗黒組織こそまさに運命ではないかと 筒井康隆氏は
この世に長くは生きておれないのが超能力者の運命ということを言いたかったのかも
だとすれば全くの別物とも言えないのだ 超能力者と言ってしまへば、ほかの人にはない能力を持ってるから一種の超能力者とも
いへる
超能力者の多くは、特殊能力を使うと体に大きなダメージがあるといふこと
今回は人の運命を変えることができるといふ大きなもの その分ダメージも大きい
今作で紹介されてたのは事故死の場合ばかりだったが、病死の場合はたぶん運命は
変えられないんだらうな 筒井康隆氏は運命には抵抗しても無駄と言っているのかも それにしても桐生葵は元気だ
最後の場面顔もふっくらして見るからに長生きしそうだ 定められた運命に対しあくまで狂狷であろうとする木山真一郎
誑し込んだ運命と戯れ人生をまっとうしようとする桐生葵 どちらが良いとか悪いとかいうことではないだろう
木山真一郎も桐生葵もともに与えられた命を生きるのに一生懸命なのだ 葵が言った最後のセリフ 先走りすぎだよ 意味が未だにわからない うんざりしながらいとしい いとしくなくては生きていけないもんな 葵と出会ったことで死を早めたかもしれない真一郎
でも孤独地獄からは救われた 墜落した飛行機に乗り合わせたのは運命の気まぐれだとしたら
再び出会い生きる喜びを一時でもあじわうことができたのは運命の優しさなのか かつて さびしいって痛快なことなんだと言った深沢七郎氏は運命なんて屁とも思わなかっただろう 屁とも思わなかったというより運命なんて屁のようなものと思っていたに違いない それくらい深沢七郎氏の人生は運命と深く絡み合っていたのだ ひょっとしたら深沢七郎氏には日本の未来が見えてしまったかもしれない
日本列島が透けて見えたのかも もし日本が透けて見えたなら運命なんて屁のようなものとでも思わなければやっておれん そうかそうゆうことか深沢七郎という人はそうゆう人だったのか
悪魔の瞳を持たされていたんだ 悪魔の瞳に比べればフォルトゥナの瞳なんて可愛いもんだ 女神の瞳なんだから そうかそうゆうことかフォルトゥナの瞳は善意の瞳なんだ 女神の瞳なんだから 人の死が見える瞳もあれば人の欺瞞が見えてしまう瞳もある 誰しも人に知られたくない後暗いことはある
それが見えてしまう瞳の持ち主は孤独にならざるを得ない それに比べれば人の死が見える瞳の方がまだましともいえる
あの医者も桐生葵もうまく立ち振舞えているのだから だから
うまく立ち振る舞えない真一郎に対し弱い人となじってしまった葵 人が死ぬことを不幸な事だとすれば
木山真一郎は人の不幸を見て見ぬ振りできない性格なのだ もしかしたら木山真一郎は
運命ということを考えたことがないかまったく認めていないかどちらかなのだ
つまり運命だからと言って誤魔化すことができないのだ つまり木山真一郎は運命という言葉を安全弁として使えない人なんだ
だから人が死ぬことは運命だと割り切って見過ごすことができない不幸な人なんだ 狂狷だから見過ごすことができないのか
はたまた見過ごすことができないから狂狷なのかそれが問題だ 出来上がった性格なんだから自分でもどうしようもないことなんだけど
木山真一郎は性格のせいにもできない人なんだ これは辛い 余人にはわからない辛さ そこえあなたは弱い人ねと傷口に塩を葵に 運命のせいにも誰のせいにもできずすべて自分のせいにする真一郎は
苦しみから逃れるためには死ぬよりないのだ 自分が死ぬのがわかっていて人を助けようとするのは自殺と見るよりないのだ 自殺なんか思いもしない葵にとって真一郎の弱さは想像を超えていたのだ とは思うけど正直あのあたりのことはよくわからないのだ
真一郎が橋の上から投げ捨てたのはなに指輪?遺品を整理していて出てきたのも指輪? よくわからないけどやっぱり佳人薄命というように善人は薄命なのか!? どうも指輪を橋から川に投げたことを先走りすぎだと葵は行っているようだけどそのわけがわからない それはともかく始めの頃の場面
腕が透けている人の後について行ったのは何をするつもりだったのだろう ただ死ぬのを確かめたかっただけなのか
そんなことはないなんとか助けたかったのだと思う それはそうだろうけど
死ぬのを予知できるのと助けることはまったく別のことだと思うんだけどなあ
その辺を混同してるんじゃあないの 目の前で車にひかれて死んでしまうんだけど
もしその直前に声をかけたら死ななかったかもしれない 当然木山真一郎のことだから声をかけてればと後悔したに違いない 腕が透けてる人のあとについて行って思わず声をかけてしまった
こうゆう場合なんて言ったらいいかわからないけどとにかく声をかけた 立ち止まって一言二言言葉を交わして歩き出したとき轢かれてしまった
わずか10秒か15秒だったけどそれが命取りになった 声をかけなければとりあえずその場では轢かれることはなかったのだ
まるでフォルトゥナの瞳が殺したようになってしまった というようにあの場面をしたらこの映画はどうなっただろう
ただでさえ自分を責めるのが好きな木山真一郎はどこまで自分を攻めフォルトナの瞳を恨んだだろうか 木山真一郎と3月のライオンの零が似ているのは自分を責めたがるとこなんだ
自分を攻めるのは本人は快感だろうが傍は迷惑なんだ そんな設定にしたら木山真一郎は自殺しかねないというより自殺しなくてはおさまにない 桐生葵と出会う前に自殺したとしたら始まるかいなかに物語は終わっている 自殺しなくても仕事も辞めて引きこもってしまっただろう だからそうゆう設定はしない
でもそうゆう設定の物語があっても面白い
それにはこの作品があった上でのこと フォルトゥナの瞳の持ち主は時にはそうゆうこともありうるということ
だからあの医者が言ったように関わりにならないほうがいいんだ でも関わらなければこの物語はないわけで大抵の物語はダメだということを主人公がやることで成立しているようだ フォルトゥナの瞳を持ってしまったことが問題ではなくそれプラス木山真一郎のような性格が問題だということ 実際医者も桐生葵も瞳にとらわれることなく普通に生活しているのだから 話の中で度々力という言葉が使われる
つまりフォルトゥナの瞳は力だという認識なのだ なんの力だかわからないけどとにかく力だと 力は力でも木山真一郎にとっては禍をもたらす力なのかと思っていまう
しかし力ではないだろう フォルトゥナの瞳は力ではなく災難だろう 誰かが引き受けなくてはならない災難 だって誰かの命を助けたら自分の命が削られる 災難以外の何者でもない 墜落したときみんな死んだのに一人生き残った その代償なんだ良いわけないよ 死んだみんなの祈りがこもっているのか呪いがこもっているのかどちらがこもっているのか知らないけど何かがこもっているのだろう むろん木山真一郎も望んでこんな性格になったのではない 誰でも望んで今ある性格になったわけではない 自分の性格がいやでたまらない人の方が多いかも その多様性が生きつつ尚且つ成長する為には必要なのだろう
ただ何のために成長しなければならないかは誰も知らない それに何が成長かもわからない
ただひたすら生き続けるのが生きとし生ける物の運命なのかもしれない まあ普通の人間はひどい目に合わずに一生を終えれば良かったよかったなのだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています