Kがデッカードをかばったり一方的に殴られたり等は
異物だからではなく、父親だと思ってたからだ

それは演出的に間違っていない

娘に合わせることが”人”がすることだと、それが本物だという証になると思ったから
自分の命を懸けてKは自我を持つ”人”に、”本物”になれたということ

デッカードが人間だからではない

それは論理的に辻褄が合わない
本物とはつまりジョシが言う魂があるようにに見えると言う言葉にKがこだわるなら
わかるが、そういう演出はない Kが魂のある人間になろうとするこだわりのシーンはない
つまり、ピノキオが人間になろうという苦悩はこの映画にはない