当初は不動産の管理など堅実な経営を行っていたが、
バブル期に松下正治の長女(松下幸之助の孫)の夫で
浦和土木工業創業者の息子でもある関根恒雄に代替わりすると、
それまで中規模のオフィスビル・マンション開発から、
大規模開発へと事業内容が変貌した。コクドとの合弁による
ホテル部門への進出や、妙高パインバレー、マウントレースイ、
和歌山マリーナシティといった広大なリゾート開発にのめり込み、
1988年にはゴールドコーストのホテルを全日空ホテルズから買収し
ロイヤルパインズリゾートとした。
バブル期に行われた過剰投資から、バブル崩壊後の1990年代後半には
借入金が7000億円超に達するなど、経営危機に陥った。
当時はビル部門を大和ハウス工業へ売却するという
事実上の身売りが計画されたものの、松下家を中心とする
当時の経営陣が同意せず実現しなかった。
松下興産はその後、優良不動産の売却を進め、
1999年(平成11年)には住友銀行と松下グループ・松下電器から
1,500億円規模の支援を受けることによって一時的に経営危機を脱した[2]。
しかし、同年10月に同社最後のホテル開発として関根社長の出身地に
開業した浦和センチュリーシティとそのテナントである
浦和ロイヤルパインズホテルの投資が重荷となり、
長期借入金負担が一掃されなかった。
2004年(平成16年)に不動産売却損が積もり上がる形で
有利子負債額約7700億円、約1400億円の債務超過となり、
再び経営危機に陥った。当時の日経新聞の報道などによると、
この際には大和ハウス工業など数社に売却を打診したものの
条件面で折り合わず[注 1]、松下興産は自主再建を目指すこととなった。