昭和49年4月(1974年)〜昭和50年3月(1975年)、オイラが中3の頃だな。
最低ランクの私立校…中1〜高3まで歳が6級違うことになり、食堂などで顔合わせる
先輩が2級も歳が上なら完全に大人に見えるわけだな。
当時、地元の向島にミナ〇ロシってチームがあってね、
二つ上の先輩に連れられて歌舞伎町へ 、薄暗い店内に煌びやかな電飾、ミラーボールと大音響。
ドキドキの期待感に不安と罪悪感が入り混じった大人の世界だったよ。

安物のハイネックの上にスィングトップ、下はフレアーパンツでデビューだ。
この年は「傷天」の影響でメンズビギ(もちろん普通の高校生には手が出ない)、
いわゆるヨーロピアンコンチ(ネンタル)というスタイルだ。(後に俺は三峰で揃えたw)
先輩方もビギではなかったが、上はスリーピーか革ジャン、カーディガンで下は何れもバギーパンツにコンビシューズ。
(これがカッコイイのなんの!ショーケンもコンビーフもサイコー!)
この年は「傷天」の影響でメンズビギ(もちろん普通の高校生には手が出ない)、
かっちょ良かったし憧れた、だからファッションに限らず、タバコの開け方からマッチの擦り方‥全てをマネした。

題名に「〇〇のテーマ」「愛の…」「ソウルトレインの…」「裏切り者の…」テーマを挿入するのが多かったかな?
オイラが曲で印象に残っているのは「悪夢」、あの出だしのイントロは今でも好きだ。
DISCO全盛期(自分的には78年前後だと思ってる)には「愛の〇〇」「愛はチョメチョメ」って曲名頭に「愛」が
やたら使われてた気がする。(ファッションはケンゾーからサーファーへ移り変わった)
俺はこの年でDISCO卒業したが、ミュンヘン=ポコorオカマ⇒竹の子、サーファーと流れていった記憶がある。
DISCOが乱立した年代。
世相・出来事 「長嶋引退」「ユリ・ゲラーブーム」「小野田少尉帰還」「ウォーターゲート事件」「オイラの筆おろし事件」(笑)

jazz喫茶ABB  ♡サファイアの伝説♪