徳川家康も愛用した
伝統工芸 「小倉織」再び紡ぐ伝統 地元で80年ぶり生産
https://mainichi.jp/articles/20181017/k00/00e/040/306000c
色鮮やかな縦じまが美しい、北九州の伝統工芸「小倉織」。昭和初期に途絶えた技術を復元し「小倉縞縞(
しましま)」ブランドで販売する「小倉クリエーション」(北九州市小倉北区)の築城弥央(ついきみお
)さん(38)が新会社を設立し、年内にも市中心部で初の織物工場を稼働させる。産地での生地生産
は約80年ぶりの復活となる。 新会社は「小倉織物製造株式会社」。毎日新聞社が所有する毎日西部
会館(同市小倉北区紺屋町)2階に最先端の整経機や織機などを導入。カーテンや椅子張り、壁紙など
インテリア業界からの受注も視野に、広い幅や新たなデザインの布の量産に取り組む。同会館2階は
新聞を販売店に送り出すための作業場に使われていた。小倉織は江戸時代初期に豊前小倉藩で生まれた
。丈夫で滑らかな生地が特徴で、武士のはかまや帯、武道の稽古(けいこ)着として人気があった。
徳川家康がタカ狩りの羽織に使ったという記録もある。明治期以降は学生服などに使われ、当時、小倉
には200軒以上の製造場があったとされる。他県産に押されるなどして約80年前に途絶えたが、
弥央さんの伯母で染織家の築城則子さん(65)が市内の骨董(こっとう)品店で偶然、小倉織の端切
れを見つけたのをきっかけに組成や工程を研究。1984年に復元した。当初は則子さんが手織りして
いたが「多くの人に知ってほしい」と2005年に機械織りに着手。2年後にブランドを設立する際、
台湾で日系企業に勤めていた弥央さんに「手伝ってほしい」と声がかかった。「小さな頃から伯母の織る
様子を見て育った。海外で日本文化の面白さを見直していたこともあり、興味を持ちました」 ネクタイ
やエプロン、バッグ、風呂敷などを企画製作し、販売や営業もこなした。ヨーロッパ各国の見本市にも
出品。草木染した糸で織る布は「日本人ならではの色彩だ」と高い評価を受け、海外の有名ブランド
から注文が入るようになった。生産は福岡県筑後市の業者に外注してきたが、追いつかなくなり、弥央
さんは新工場の稼働を決めた。「伝統技術をどう継承し、広げていくか。久留米絣(がすり)や博多織
などは長く続いてきたが、私たちは『技術は消える時には消える』という危機感がある。職人も減って
おり、小倉織を残していくには外注先に頼っていては限界があると思った」 北九州市内で建築士事務所
を開く台湾生まれの夫と2人暮らし。11月に出産予定で家族が増える。「子どもも工場も、生み出すと
いう大きな変化が一度に重なる。ドタバタだけど周りに支えてもらいながら大きく育てていきたい」と
弥央さん。新工場には将来、見学スペースを設けて小倉織の歴史も発信していくつもりだ。【長谷川容子】