だから、プラトンかトマシュコスのどちらがよい教えなのかが問題であった。
トマシュコスも生きていて実在していたであろうと考えられている。

そう、強いものが正義であるという教えに、いや、正しいもののが損をするとプラトンもトマシュコスもナザレのヨシュアもその使徒たちも考えていたはずである。