西日本のD1bは社会の底辺のエタ部落民

縄文時代後期の約4000年前に日本列島の人口は26万人超だったが、縄文末期の3000年前には約8万人まで減少した。
しかも東日本では減少率が少なかったが、西日本は最初から10分の1の人口密度のうえに、壊滅的な減少に見舞われた。

弥生時代の大量移民
人口減少の原因は気候変動で、縄文時代をもたらした温暖化は日本海の水位を120mも上昇させるほど暖かかった。
4000年前から寒冷化が進み、木の実や魚介類や動物が少なくなり、自然減少しました。
自然採集では食えないので大陸では先に農業が始まり、後から農業を始める集団は「農業未開の地」を求めて半島や列島に移住したと考えられます。
この頃から九州に移住して田んぼを作り始めたのが半島南部から来た「渡来人」で、渡来は1千年以上続いたとされている。
推測では年平均1000人ほどの渡来が1000年間つづき、合計では100万人もの人が移住してきた。
縄文末期に西日本の人口はせいぜい2万人で、九州では1万人未満、渡来地の九州北部は数百人しか居住していなかったと考えられる。