http://seisyo.jugem.jp/?eid=361
加賀藩はキリシタンたちを卯辰山の山中にある藩の4か所の施設に収容した。
キリシタンに対しする扱いは過酷だった。キリシタンたちは長崎から着のみ着たままで真冬の北陸路を越えてきた。
宿舎の建物も粗末、食事もごくわずか、その上、連日僧侶による棄教説得と拷問が続いた。
金沢藩(明治2年からは、加賀藩でなく金沢藩と呼ばれた)のキリシタンたちは、全国の中で一番死者が多かったそうである。

客将として26年金沢にいても預りの身なので宗教活動が全くできなかった高山右近は最後はマニラへ送られる
それ以上に金沢は明治時代初期に長崎から送られたキリシタン500人を迫害した歴史がある
金沢は幕末や明治は時の政府に日和って率先してキリシタンを迫害した恥ずかしい土地


今こそキム沢以外のマスコミは、この歴史的事実をローマ教皇に伝えるべきだな、ローマ教皇を騙すなんて卑しいキムだぜ。