漢民族がソウルから移住して作った伊都国

弥生中期後半から後期の初めにかけて、北部九州は鏡をはじめとした副葬品をもった墳墓が大量に増える。
しかしそれは伊都国だけである。福岡の奴国と言われているところからはほとんど出て来ない。

後漢からもらった金印が志賀島から出土したが、委奴国と彫られた金印の文字を「倭の奴国」
と読んで福岡平野の国とすると、鏡が奴国から大量に出ないのはおかしい。
金印の読み方はいくつか提案されているが、「倭の奴国」とは読まないのではないか。 (イト国が正しい)

吉野ヶ里からは鏡のかけらは出てくるが鏡が出て来ない。吉野ヶ里は福岡に持ってくれば普通の遺跡。
福岡では土地の値段が高いので吉野ヶ里のような大規模な発掘はできないのが残念。
現在の吉野ヶ里は宣伝などで過大に評価されている。そのため考古学者はそっぽを向いている。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm