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昭和19年9月25日
米軍は次々と倒されていった。敵は我が勇壮な斬込隊に対し打つ手もなくただ恐れおののいていた。そこで敵は考えたあげく、戦車にスピーカーを付けて二世兵に放送させた。

『勇敢な日本軍(高崎第15連隊)の皆さん。夜間の斬り込みは止めて下さい。あなた方が斬り込みを中止するなら、我々も艦砲射撃と飛行機の銃爆撃は即座に中止します』
敵はこの放送を毎日続けた。しかし放送を聞いた守備隊(飯田義栄隊※茨城県出身)は逆に喜んだ。
『米軍の腰抜けめ、自分の弱さを認めて宣伝してやがる。ざまあ見ろ!』
ペリリュー島守備隊はかえっていきり立ち『もっとやろう。死ぬまでやり抜くぞ』と決死の斬り込みは後を断たずいっそう激しくさえなった。

斬り込みというのは言うのは簡単だが常に死との対決である。ひとたび出陣していったら絶対に生還は期し難しい。
米軍が震えながら警戒している敵陣に阿修羅となって肉弾で飛び込み、敵を刺し殺し、最後には手榴弾を爆発させて自爆し敵とともに倒れるという、夜間戦闘の特別肉攻斬込戦術だ。

私は多くの戦史を読んでいるが、米軍が日本軍(宇都宮14師団)の斬り込みに対して、条件を付けてまでこの損害や恐怖から逃避しようとした事実があったのは嘘偽りのないことである。
同時にこのような斬り込みのあったのは、この島が最初にして最後であった。全世界の戦史を見ても類のないことである。
(舩坂弘『ペリリュー島玉砕戦』P162~163)