東北は産業振興という部分でも、なぜか大きく遅れをとります。

政府もなにもしなかったわけではありません。鉄道を早めに敷き、仙台には第二高等学校(現在の東北大学)を設立させた。

大きな港湾建設計画など、産業振興の計画は立てられなかったわけではないのです。
しかし途中で頓挫してしまった計画が多く、その後のフォローがなされることはなかった。


気候的には寒冷で、特に旧南部盛岡藩領は「やませ」という夏に吹く冷たい季節風によって、作物が育たない状況が江戸期より続いていました。

そのため庶民は貧しく、食うや食わずの農民はやむなく娘たちを売るなどして糊口を凌ぐという現実があった。



こうしたことどもが、東北は遅れた地、東北人は遅れた人々、卑しい人々というイメージをかたち作っていく。



こうして東北人は、その内側に大きなアンビバレンツを抱えることになりました。みんな故郷が好きなくせに、割とあっさり故郷を捨てる。

故郷は好きだ、でも東北人であることが恥ずかしい。彼らは田舎を出て都会へ出ると、まず方言を捨てる。東北弁を話さないように努力する。

東北人であるというだけで、一段下に見られる……。